頭の回転とアウトプットについての考察
【はじめに】
勝手に思いついたことを書いていきたいと思う。(ただし、頭の回転の話関係で結構勘違いされやすい為補足すると自分の考えている頭の回転の話は岡田斗司夫氏の「頭の回転が速い人 」という本とは考え方のベースが違います。ご了承ください。)
【読む際の注意点】
「頭の回転が速い」という言葉には、おおきくわけて2つあると個人的には考えている。なお、岡田氏の頭の回転の発想にはギアの概念があるが、自分の話はギアの切り替えではなくて個人個人が得意としやすい生まれ持った頭の回転のさせ方があるのでは?ということになります。
そして自分が考えている脳の持ち主は大きく分けて2つの特性があると思っている。
①低回転トルクのある脳をベースにしたもの
②高回転でパワーを発揮する脳
この2つを考察していきたいと思う。
まず、この図をみていただきたい。
【脳のアウトプット特性】
①の低速トルク型は一般的な会社員などに多いタイプだ。全体的にパワーの出方がフラットなのでどんな仕事も80点でこなせる。言い換ええれば合格点を安定して出せる強みがある。ただし、極端に高回転までは回せない事、まわしてもそこまでパワーが出せるわけではない。
ただ、組織の中では非常に扱いやすい特性なのだ。
ひとことでいうと①タイプの彼らは落ち着きがあり、精神年齢が高い傾向にある。
もちろん、最初からできるようなことはないが少し教えればそこそこなんでもできるような器用さを持っている。でも、極端に何かを突き詰めるタイプではないので大成功みたいな天才っぽい感じはない。
でも、安定した中程度の成功をバンバン出すには強いし、総合的な利益の総計を考えれば彼らのほうが組織としてはすごく強いのだ。
②の高回転型の脳は「好きなことにはものすごく強いタイプ」言い換えれば好きなことじゃないろくに頭が回らない感じである。非常にピーキーです。
端的にいえば、研究者とか哲学者、専門的な知識を必要とすることに向いている人はだいたいこういうタイプが多い。一般的にはちょっと変人だが、それくらいでないと専門的に突き詰めるという特性はややスポイルされるのではないだろうかと個人的には思っている。
だから普段の状態と、能力を発揮しているときの差がものすごくギャップがある。言い換えれば興味のないことだと結構だらしない人が多いかもしれない。
途中まではグダグダしているのだが、頭の回転数がある規定(グラフ上は数字の値が定義できないため、当人依存のパラメータ)になると急にターボまたは高回転機構がスイッチが入り、明らかにすごいものを作り出せるようなパワーがある。
ただし、気まぐれなのと会社員としてはあまりに安定性がなさ過ぎるため常識を重んじる人が彼らを扱うのには非常にストレスがたまるのではないだろうか。
高回転の特性上ムラが出やすいので、毎回やる気が出るかどうか?というのを意識しなくては本来のパフォーマンスを安定して出していけないのでそこは特に注意。
【アウトプット発想の違い】
気をつけなければいけないのは、双方は脳の特性だけでなくやり方の好みも間逆だったりするのだ。意外とこちらの観点を忘れると活かし方がハンパなものになりかねない。
【低速トルクが強い人】
①の人は基本的に規律的なやり方を好む。
目標ありきで行う「ゴール・オリエンテッド」のやり方だ。これは目標に向かってぶれないことを進めるやり方だ。逆に言えば、新しい発見とかは生まれにくいという弱点はある。
こっちのほうは一般的な会社員のやり方・教育が割と通用する。ある程度教育すれば、ほうっておいてもなんとかなる。日本人が彼らのような人を好むのは教育コストが圧倒的に低いことを評価しているのだ。
言い方を変えれば、日本の企業は決まったフォーマットの教育でしか教育しにくくなっているという点を指摘できるが総合的にこっちのほうがお得になってしまうので、組織上でそのことが指摘されることはない。社会不適合系を育てるコストは今は払えないんだろうなって気がする。
【高回転型の場合】
では、②の人ってどんな感じなの?というとこちらは物事をやる上での過程でブレが発生するんです。一般には
どういうことかというと、好奇心が強いから途中でいろんなものを拾おうとするためだ。そうすると本来の目的を忘れてでっかい変な塊を作りかねない。
これがうまい方向にいく場合は放って置けばいい。ただ、だいたいは変な方向に行きかねない。修正が大変なものの場合はパートナーみたいな人が修正の方向を彼らに示す必要がある。もしくは、先に決定させる必要がある。
ただ、気をつけないといけないのは「修正すべき」ということを彼らが高回転でブン回っているときに行わないこと。
高回転の状態は基本的に周りが見えていないうえにやたら頭が回っているためサポーターのパワーによっては逆に論破されかねない。もし、緊急性を要する場合は肩をたたいてでも作業を止めさせる必要があることもあるだろう。そうすると低回転気味になるので話がしやすいと思う。
逆に言えば、アイデア系の作業はいろんなものを拾ってくる必要があるのでこういうときこそグチャグチャでもいいので高回転を使わせると強い。
整理とか最終的なアウトプットの固めは①の人にやらせるとすごくきれいなものができる。
【まとめ】
どっちが使いやすいとか、優秀だというのではなくそれぞれに向いた特性があるというのが今回のお話の総論です。たしかに安定した特性の人のほうが組織では伸びやすいが、イノベーション的なものは起こしにくい。今の日本で言われる頭の回転が速いというのは、あくまで「社会の」常識的な範疇の中で安定してできることではないだろうか。
社会への適応と好奇心の低下について
今回は独自の組織論について書いていこう。忘れた頃に書きたくなってくるのだ。
だいたい同じようなことを言っているが、多少味付けとかは変えている。
知的好奇心に言及している記事を元に書き起こしていく。
よく巷で「社会人になって変わったよね」みたいな話をすることがあるが、それはだいたい肯定的な意味でとられる。
大まかな意味合いとしては「丸くなった、キチンとした」というところが多いのではないだろうか。言い方を変えれば、組織の中の仕事だけに向き合いそれに対して適応することだ。
会社人・組織人・ビジネスとしての仕事能力は純粋に上がるだろう。ただ、そこにはある一種の危険があるのでは?ということに気がついた。
物事を淡々と、要領よくこなすことだけに強くなり「純粋に面白いという気持ち」による探究心とかそういうものはすごく削られているような気がしてならないのだ。
ただ、今回のお話で対象にしているのは学生時代(もっといえば高校生の頃)から会社員っぽい振る舞いがある程度完成されているような人物には適用できない。
それはなぜかというと、彼らの素と会社で要求されるスキル/イメージはほぼ合致していることかつ何でも好き嫌いなくこなすので探究心とかそういう熱狂的な掘り下げを本当の武器にしているわけではないためだ。言い換えればそうなったとしても問題がないし、活力が落ちるわけでもないからだ。
組織にあんまり向かないような人が無理に組織に適応をすると、物事の好き/嫌い/得意/苦手を淡々とこなす能力は多少上がったとしても本来の武器であった探究心などを削る代償を負わなくてはならない。そうしなければ「あいつはくそやろうだ」みたいなことを言われ続ける。
例外としてその本人特有の特殊な分野で仕事ができまくれば、そんな言葉を貫いて叩けない杭のような存在になれる場合もあるが、プラマイで凡人だと厳しい側面もある。
社会に許されない才能とかも結構あったりするのでなかなか難しいところだ。
もちろん、好奇心を削ったところでもともと社会適合能力の高い人たちほど活躍できるような感じではない。無理はできるだけしないほうがいい。
あまりにも失うものがでかすぎて、疲弊しきった頃には元に戻れなくなる可能性が高くなるぞ。
1番最初の過去記事(日本人の知的好奇心の低さのやつ)でも言及されているように、日本人の知的好奇心は20代で衰えていると書いてある。
スウェーデンの65歳のジジイと一緒って、もう心が定年になってるよね。
これって、完全に組織に適応しすぎてしまった結果じゃないのか?と自分は思うんですよ。ただ、誰も指摘しないしもしかしたらそんなことに興味がないので言わないだけかもしれない。
その社会的背景が皮肉にも反映されているのが大学の科研費だ。
よく「日本は科研費が少ない、このままではまずい」と言われますが、ではどれくらいかというと、平成27年度は全体で2406億円です。国内の一企業の研究開発費と並べると、トップ10に入りません。これで世界中の研究者と勝負していると。https://t.co/Q4qgaCXEiy pic.twitter.com/UCBDq9lWbQ
— たられば (@tarareba722) 2016年10月4日
たらればさんのツイートがなかなか厳しいことを言っている。
要するに、企業の製品開発に付随する研究はやたら強いし「すぐ役に立ちそう」な側面があるから実務的・企業的にはすごく投資する傾向が出ているんですよ。
このような形である1つの目標に向かって一途に研究・開発するようなことを「ゴール・オリエンテッド」という。
逆に言えば、大学のような研究機関は「なんでこの研究が役に立つの?」みたいなことを問われる。
特に理学系などは物事の真理を追い求める学問の性質上、研究している本人ですら何の用途に使えるかわからない領域のことをひたすらやるのだ。言い換えれば、こういった分野は好奇心の強そうな変人みたいな人が得意とする分野だ。
ただ、最近の大学もこういった変人を排斥しようとしている動きがあるのではないかと思う。
一般に、研究者と言えば、1つの物事に執着的に興味を持つ、オタク気質のちょっと変人が多いように思われています。 って・・・そんな気がするのは筆者だけでしょうか。
たしかに1つのことを突き詰める性格は、研究者には向いている性格の1つだと思います。
良くも悪くも、これは素質のひとつとしては必要だと自分は考えている。
2.研究者に必要なこと
研究者に必要なことはもちろん研究成果ですが、それ以外にも必要なことがあります。 それはなんでしょうか?ちょっと考えてみました。
- 自身の研究を正しく伝える能力
- 他の研究者と連携して研究を進められる能力
- 後進(これから学者を目指すあなた方のこと)を育てる能力
自身の研究を正しく伝える能力
自身の研究を正しく伝える能力とは、自分の研究成果を的確にアピールすることです。
研究成果のアピールは、最終的には論文という形でアピールされますが、それが全てではありません。 例えば、科研費などのお金を取るときや、特に若い研究者に求められるポジション獲得のためのアピール(就活と同じ)、そして研究者から一般の方への公表の仕方などです。
他の研究者と連携して研究を進められる能力
次の、他の研究者と連携して研究を進められる能力とは、その文章が示すとおり、他者との協調です。 特に大きな研究は一人では出来ないため、ある程度の作業分担は必須です。 そのため、必ずしも自分自身が重視していない研究をする場面も出てくるはずです。
後進(これから学者を目指すあなた方のこと)を育てる能力
後進を育てる能力もその文章の通り、自分よりも若い研究者を育てるための能力です。 特に、大学教授というポジションについた場合には、学生の面倒を見る必要が出てきますから、必ず必要です。
あれ?会社員と変わらなくない?
こうして見ると、研究者はごく普通の会社員に求められる能力と、そう大して変わらないように思えます。 もしあなたが、人と話すのが苦手だから研究者の道に進む、と考えているなら、それは危険な選択かもしれませんね。
なんだろう、オタク気質同士ならクセはあるかもしれないけど結構なんだかんだ変な協調ができる気がするんだよな。要するに、過去よりも癖のない人が多くなってきて「すごいけど変人」を許容できなくなっているんじゃ?というのと、お互いのコミュニティの親和性がなくてオタク気質の人の居場所が少なくなっているのかな?と個人的には思ったかな。
以上から、研究者に向く性格を以下のように考えることが出来ます。
- 研究を突き詰めるのが楽しい人(物事に対して「なぜ?」と考えることが研究の本質)
- 他の研究者と十分にコミュニケーションが取れる人(少なくともきちんと話が出来る人。コミュニケーションは鍛えればなんとかなる)
- 物事を教えることが好きな人(ほっといても後輩が寄ってくるような人望の厚さがあれば強い)
もちろん語学の勉強など、絶えず自分をアップグレードできる強さも必要だと思います。
(自分の興味がある)研究だけに没頭できる人はいっぱいいます。 また、人に言われて、初めて「なぜ?」に気づく人もいっぱいいます。
でも、自発的に研究を進めながら後輩の面倒を見たり、一緒に事務作業をこなせたりする、マルチタスクの人は限られます。 ちょっと期待値が高めですが、あなたがそういう能力を満たせるなら、就職先には困らないと思います。
これね、すごく問題になっているんだよ。赤い太い字の能力があれば強いよね?は分かるけど、言い換えれば1人で何でも回そうとしすぎてろくに研究する時間がなくなってるんじゃないの?ってことになるし、本来は研究が主な仕事のはずなのになんでそんな事務仕事優先みたいになってるの?ってことだ。
「なんかノーベル賞の話になる度に財務省叩き始まるよねw」って感じのツイート見かけたけど マジで大学への予算ガンガン削られてて教授などが事務作業に時間奪われ結果として論文数もだだ下がりしてて 本当にヤバいから騒がれてるんですよ 斜めに構えてマウント取ったつもりになってる場合じゃない
— けんぼー@絶対に漏らしたりしない通販中 (@kembo_net) 2016年10月3日
ツイッターでもこのことは言っているんだけど、マルチタスクできる便利屋風情を求めてどうする気だ?ってなるんですよ。どう考えても不要な仕事とかでやりたいことを優先できない研究者じゃ意味ないんだよ。
基礎研究があまりにもおろそかになっていると本当にまずいんです。学問の基本となる大学の教科書だって、もともとは研究した内容を凝縮したものだからそういうのを軽視したら本当にまずいと思うよ。
よく話が脱線するけど、この話の要は好奇心を知らず知らずのうちに低下させていることを放置させた結果が、最終的に大学の科研費が足りない、ろくに研究ができない、人生に疲れるやつが増えまくるとかにつながってくるんじゃないの?ということを自分は考えたということです。
発達障害の人が向いていないはずの会社員を望むわけ
かなり前の記事を使っていますが、めんどくさくてしばらく放置していた結果です。はい。
リハビリとともに、記事を書いていきましょうか。
この記事にヒントをもらったので、話題を展開していこうと思う。
確かに、学校の授業はあります。
みんなで練習する部活動はあります。
国家には、社会保障制度があります。
でも、そのレールにも乗れないヤツは、レールに載るための努力が必要になる。
それはみんなでやるよりも一人でやった方がしんどくなる。
だから格差ができていく。
【当たり前だけどベースがあるやつは強い】
友達、親などの精神的・経済的支援を受けられている人が上に行けるチャンスを持つことができる。逆に言えば、経済的に厳しければ本人の能力だけで上がらざるを得ない。
本人の能力だけでいけちゃうような化け物なんていうのはそうそういない。
【発達障害だって、生きていかなくちゃいけない】
人事部や面接担当のみなさん、疑問に思っていることはありませんか?
「なんでこんな人材がうちの面接に来るのだろう? なんでこんなやつ雇ったんだ?」
なんで会社員としての就職活動に「どうみても会社員っぽい雰囲気がない」人が来るのかって? そりゃ、株式会社を作るのって結局ビジネス力じゃないですか。
そもそも、ビジネス自体に向いていないことを自覚しているからとりあえず組織に入っていればそれっぽくはなれるという担保で会社員となることを望む。
でも、それは本当にやりたいというよりは自分がどっちかといえばやりやすい自営業の儲かる確率がほぼバクチに近すぎるから消去法でやっているだけなんですよ。
逆に言えば、どんなに変わっていても収入源さえ保障出来れば問題は解決するんだ。
厚生年金は会社員じゃないともらえない。要するに、過剰適応で精神を病んだとしても「低賃金で税金が払えないよりマシ」という選択肢をせざるを得ないんだ。
発達障害を持っていると,「ましな選択肢」である会社員がベリーハードモードになる可能性が非常に高くなる。なぜならば、会社員というのは「どこにでも使いまわせる汎用性・定型発達者の想定内」を求められるからだ。
発達障害の特性って1人1人違いすぎて、対応マニュアルみたいなのが2~3割くらいしか通用しない。それゆえ、専門家ですら本当に正しい対処法を取れているかどうかということ自体が怪しい。
当事者が生まれ持った知能や独特の対策・パートナーの補助で問題を解決して対策ができているならともかく、だいたいがTwitterの隅っこや精神科の待合室で将来を悲観しながら苦しむ毎日を送っているのではないだろうか。
【居場所をなくしたのはあなたたちじゃないの?】
巷には「異型の人材が必要だ!」という人々が存在する。
基本、自分も「ズレている人」なのでこういった意見にはすごく救いを感じるし、いい観点があるんだなという感想も正直ながら持っている。
問題なのは、そのもうひとつの居場所を提供できていないことだ。そこで生活できる人の割合を増やす必要があるわけだ。それだけ適応に苦痛を感じて抜け出さざるを得なくなる。
ただ、多数派の社会にはその観点が到底浸透していると感じることはなく「社会人は云々」みたいな昭和からの教えがずっと続いていて、若者にその昭和の教えとやらが脈々と受け継がれていく。
もちろん、その教えがすべて悪いということはいわない。だが、現代向けにアップデートされていないことが問題なのだ。
時代背景に応じて変えていける部分は変化させていかないと世代間同士で消耗しあう。
常識なんていうものは一定ではない。
大多数の人はそういったことでも平気で適応しちゃう。適応した結果は発達障害のあるなしに関わらず自殺する人がバカみたいに増えている。
それが快適であるなら問題はないでしょう。でも、もう限界になっている人の割合が無視できないのではないだろうか。でも、その何割かの人が苦痛な環境でないと最低限度の生活を保てないって、まともじゃないよ。
わざとやったんじゃないんだろうけど、それは排除と同じなんです。
【これは、日本の社会が向き合わなければいけないことだ!】
「どうすれば面接で発達障害の人を弾けますか?」⇔「息子(娘)が発達障害で就職できず、困っています」のジレンマを日本はずっと放置している。
それを続けていた結末は、困った人専用の窓口ばかりが埋まっていって、対処が追いつかない状態となってしまった。
言い換えれば問題ばかりが蓄積していって腐ったカタマリが巨大化をしているのだ。
腐ったものは捨てなくちゃいけないんですよ!
東京の発達障害支援センターなんて、あんだけ人口いるのになんで1つなの?
ジョークにしてもタチがわるすぎる。予約が長すぎて機能していないみたいなアホみたいなことやってるんじゃないよ。
おまけに精神科医は「発達障害は見たくない・・」とか言い出すからね?
構造上、あなたたちが対策しなくちゃ、誰が対策するんだ?
一番まずい結末が日本で起こってしまった。 ましてや、今現在はどんどん悪化して生活できる・生活できないのというレベルの格差が起こっているわけだ。
もうね、本人の努力でどうにかなる問題じゃない。そして問題がめちゃくちゃ進行しているので今すぐ解決なんていうのも無理な話だ。
せめてもの願いはこれ以上進行させず少しずつでもいいので問題を解決していくことだ。お願いしますよ。
発達障害とチョコボール
今回ね、発達障害の得意分野がどうして組織で使いにくいのかをチョコボールで考えてみたんですよ。
ぶっちゃけ、くだらないので適当に流してくれてもかまいません。
当事者の得意分野って、チョコボールでいう「銀のくちばし」「金のくちばし」に相当する部分なんです。要するに、ベースであるチョコボールというお菓子の部分が弱くていきなり付加価値の部分だけ強いんです。
一般的な人は、その部分もある程度できるけど基本的に後回しでやるような部分だ。
組織的にはチョコボールの部分を担当してほしいんだけど、そこを本人にやらせるとチョコがだいぶ溶けていたり、そもそも金のくちばしだけくっついていて中身を入れ忘れてしまったような製品になってしまう。
だけど、金のくちばしでもらえるおもちゃとか考えたり、そういったベースから外れてしまったようなことは異常に強かったりする。
よくIT関係・塾・医者・研究者に発達障害の人がいるという話があるが、得意分野とチョコボールの本体の部分が偶然合いやすいというだけなのだ。
ただし、チョコボールの中でも基本的な事務や当たり前の社会的常識みたいに相当するチョコはだいぶ溶けているのだ。もしくは異物が混入している。(=認知のゆがみ)
だいぶライトに記事を書いたが、そういった視点で理解していただけるとうれしいなという所存だ。 おわり。
高校レベルの化学知識を使って、水素水のサイトの説明を見てみることにしたよ
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sfj/58/12/58_12_836/_pdf
えっと、水素水ってご存知ですよね。
最近、スーパーで192円くらいで売ってる高い水。
あれ、本当に効果があるのかどうか?ということを高校レベルの化学知識を用いてツッコミを入れることにした。もしかしたら、教育指導要領を少し外れる可能性は無きにしも非ずですが、やっていこうと思う。
【ターゲットはこちら】
マジメに突っ込みすぎると頭痛がしだすので、要点をまとめながらやっていこうと思う。
【pHの観点を使って見ていこう】
実は、水には下記のような物理的特性があることは一般的によく知られています。 | ||
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電気分解とかで、水素が生成される。式そのものは間違っていない。
ただし、これはあくまで水酸化ナトリウムや食塩などの電解質を溶かした状態じゃないとほとんど効果ないんですよ。
普通の水をただ電気分解しても、出てくる水素なんて微々たる物ですよ。
なぜ、そうなるのかを説明していきます。
水のイオン積というのは、簡単に言えば水素イオン[H+]と水酸化物イオン[OH-]が掛け算の合計で10^-14mol含まれるよって話。(10のマイナス14)
※大雑把な説明:[H+]は酸性の強さ。[OH-]はアルカリ性の強さ。お互いにシーソーみたいになっているのでどっちかが強くなると片方は弱くなる仕組みになっています。
pHというのは、10のマイナス何乗に対数をとって0~14までの
数字にした指標なんです。
それを14-pHすれば、pOHというアルカリの強さとして見やすい数値にできるわけ。
pHが1なら、pOHは13。 pH+pOH=14ということさえ覚えて置けば、pH=7で中世の水はpH,pOHともに7+7=14 という配分になっているということだよね。
pHが分かれば、10に対してマイナスその数字を累乗すればいいので、水の中に溶けている[H+]はpH=7だから10^-7mol
本当は誤差あるんだけど、分子状態のものに比べて量が違いすぎるからそんなもの無視して問題ない。
ようするに、水の中に溶けているイオンって言うのは全体の0.0000001%でしかないわけ。そんなものにうちの製品はアルカリが多いだのなんてギャーギャーいっている時点でちゃんちゃらおかしいんですよ。
ということは、さっきの電気分解の式から見ると、ただの水を電気分解して出てくる水素の量はその半分なんだ。0.00000005%なんて、逆にどうやって残留させないか?みたいな指標で物事考えているのと同じレベル。
今。水素水で流行りのppm濃度に直したって1%=10000ppmだから0.0005ppmだ!
水道水の基準設定されている水銀およびその化合物の残留量とかのレベルを「含んでいますよ!」みたいにいうんじゃねえ!
なにが溶存水素量だ? もしできたとしても、水素は空気より軽いし、水に溶けにくいから大半がとんでっちゃうと思うんだけど。
【活性水素?そんなレベルの水があったら、死んじゃうよ】
もうひとつ。ちょっととんでもないこと言ってるんですが、これでなんで博士号取れたのかよくわからないレベル。
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もう一回、高校化学からやりなおせバカヤロー!
あのですね、これは何を言っているのかというと教授の作った白金コロイド触媒を使えば常温・常圧で水素原子の共有結合が簡単に切れちゃうよ★ってことなんです。
どこにも加熱・加圧の条件がないからそう考えるしかないでしょ?
この説明だけ見れば「へぇ、そうなんだー」というならこれは簡単に終わるんだろうけど、こちとらそうはいかねえぜ。
原子状水素が作れるような水なんて、そもそも高エネルギーすぎて飲めないから!
ちゃんとやると高校の範囲を超えちゃうので、後半の補足を見てください。
それ以前に、マイナス水素イオンができる条件って相当な条件でしょ?
原子の酸化数がー1である水素のH-を「ヒドリド」という。これは電気陰性度が水素よりも低いアルカリ金属(Na、Kなど)と化合してできる場合のみ、例外的に+1の参加数を取らない。ようするに、Na+が安定しすぎて水素のほうが負けちゃうってわけ。
ほかの族の金属化合物と水素の反応でヒドリドができる場合はあるが、面倒くさくなるので今回は割愛する。
しかし、今回の水素水の話ではナトリウム、カリウムなどのアルカリ金属という言葉は出てこない。
要するに、水素の電気陰性度より低い元素というのが見当たらないんですよ。
そうなると次に安定な状態を決めるものとしてイオン化エネルギーの指標となる。
優秀なまとめを見つけたのでここを使わせてもらおう。
第一イオン化エネルギー
第一イオン化エネルギーとは、電子1個を取り去ることで、気体状原子を1価の陽イオンにするときに必要なエネルギー のことです(定義)。
したがって、第一イオン化エネルギーが小さいほど、
1価の陽イオンになりやすいわけです。
これは1族のH,Li,Na,K,Rb,Cs,Frがそれぞれ一番低い値をとる。言い方を変えれば、水溶液中では1価の陽イオンが安定しまくっていて最強って話。
水素をH-にするるためには電子親和力の欄を参照したほうがいい。
電子親和力
電子親和力とは、電子1個を与えることで、気体状原子を1価の陰イオンにするときに放出するエネルギー のことです(定義)。
したがって、電子親和力が大きい原子ほど1価の陰イオンになりやすい(なっていやすい)わけです。
水素の第一イオン化エネルギーと電子親和力を見て実際にどのくらいの差があるのかをみれば一目瞭然だ。
第一イオン化エネルギー:1312kJ/mol (1族としては結構大きい。)
電子親和力:72kJ/mol (17族フッ素:328kJ/mol)
水素はやや特殊で、電子親和力は低くH-にはなりにくい。水素の持っている電子数が1つしかなく陰イオンになってしまうと電子がHeと同じ2つの希ガス配置になる。
K殻が閉殻になるのでその点から見れば安定はする。
しかし、電子親和力がそれほど高くないため+のほうが比較的ましな状態だからあえて電子を失って+状態になるのである。ちょっとややこしい子なんですよ。
金属原子とかならその状態に打ち勝つ場合があるので、そのときはH-の状態が優先されると思えばいい。
話が脱線したので戻ると水素水の場合は触媒の効果自体が怪しく、H-の条件になりうるきっかけがないので単純に安定な水素分子として空気中に逃げてしまうのがほとんどだ。
だいたい、無機触媒って基本的に高温になればなるほど触媒効果が強くなるものだから、そんな常温下で最大の効果を発揮するとは思えないんだけど・・・。
かつ、気体は溶かす上で水が高温になると溶解度が落ちる性質を持つので高温ほど活性が上がる触媒との相性は最悪。
ということで、高校化学程度の知識を使った説明はここでおしまい。
活性水素なんて「出るわけない!」という理由は下の補足を見るときは覚悟してください。
続きを読むおねえちゃん成分が足りない?そんなアナタには 「すのはら荘の管理人さん」がおすすめ
さて、今回はマンガを紹介していこう。
ねこうめさんが描いている「すのはら荘の管理人さん」
場所は中学の女子寮。主人公の「椎名亜樹」は女の子みたいな男子中学生。
春原彩花(すのはらあやか)が管理人である「すのはら荘」でおねショタすぎる展開がすごいマンガなんですよ! もうね!表紙自体にもうその雰囲気が漏れちゃっている!
みなさん、こんなに母性が漏れすぎてる表紙のマンガ見たことあります?自分はないです。はい。
あげくのはてに、帯には「私がキミのこと・・・管理してあげるね」とか書かれているんですよ! こんなおねえさんなら管理されたすぎるわ。
グランブルーファンタジーのナルメアおねえちゃんもビックリの母性だ。
案外、一般的なマンガでこういうフワフワ系のお姉さんに甘やかされる作品ってないんだよね。
ここまでベタなおねショタをやってくれるとは思わなかった。
「あねどきっ」みたいに、女子高生が男子中学生にちょっかいかけてからかったりするタイプのやつはあるけど、それでも結構不人気なジャンルなため知名度が低い。
何のマンガ、読んでる?とか聞かれても「あねどきっ」ってすっげえ言いにくい空気なんだぞ! 河下水希さんの作品といえば、「いちご100%」がメジャーなんだけど、個人的には「あねどきっ」のほうが圧倒的に面白かった。
正直、いちご100%のストーリーなんて覚えてないもん。
マイノリティ雑貨店というだけあって、取り扱うマンガもやや癖があるんですよ。
すいません、脱線しました。
一般コミックスの系統で「お姉さんが甘やかしたり、からかいすぎて一回読んだらダメ人間になりそうなレベル」の作品を見つけるというのは至難の業なんです。
こことか、絶対に次の日から働かずに彩花さんに養われたいみたいな気分になる。
こんな風なコマを表現している一般のマンガ、自分は見たことがない。
もしかしたら思い出せないのかもしれないけど、それなら印象に残っているはず。
左下は主人公の亜樹が女の子っぽいことにコンプレックスがあるため、しょうがない展開だとは思う。(そのことを強く感じ取った彩花さんは後半から亜樹のことを「あっくん」と呼ぶようになる) 甘やかし方は変わらないけどね!
おまけに、彩花さんはいきなりコスプレとかするしマジぶっとんでる。
ほかにも3人の年上の女の子が出てくるけど、霞んじゃうくらいの強さを持ってる。
でも、実はすごく逆らえない雰囲気も持っている。
亜樹が彩花さんに怖いものがないかをたずねたときの返答。
いつもめっちゃフワフワな癖に、無言の圧力すごい。
男子中学生が逆らえる雰囲気じゃない。主導権を握るお姉さんっていうのはこういった意外と怖い部分をもっていないといけないんですよ。それが武器だから。
そうそう、作者のねこうめさんの後書きがなかなか秀逸なんです。
一部ですが、個人的に素晴らしいと思った部分を引用しますよ。
会社で働いておりました。社会というものに慣れていないせいか、誰かに無性に甘えたいと思っておりました。具体的にはおっぱいの大きな女性に癒してほしいと思っておりました。年上の女性に優しく弄ばれたいと思っておりました。そんな気持ちでこの漫画が始まりました。 おっぱい!おっぱい!
そうなんですよ、全くもってそのとおり!
妄想を本気で絵にしているからこそクォリティの高い甘やかしマンガができるんです。自分のように画力・表現力がないとできないけど、ねこうめさんはそれをすごく実現できるし、してくれた。
これ、ガチでアニメ化してくれないかな・・・・
siriが英語を認識してくれなかったことを思い出した
世界の共通言語は「ブロークン・イングリッシュ」だという話をちょこちょこ聞いたことがあるかもしれない。インドの人は結構英語のなまりがひどくて聞きにくいとかという話も自分は聞いたことがある。
しかしそれ以上にきつい話がここに来るわけですよ。
確かに少し前、中学校の英語教員でもTOEICスコアが682点しかないと話題になった。あれだけ単語や文法の授業をみっちりやる教育を受けているにも関わらず、なぜ教師のスコアが惨憺たる結果になってしまうのか? とさらに経営者へ質問してみたところ「発音ができないんです。発音ができなければ、TOEICのスコアも上がらないので」と即答された。
自分もああだこうだって英語の話をたまにすることがあるが、留学・会話教室などの経験もなく、はっきり言って発音なんてできない。
そのことを特に感じたエピソードがこれだ。
友人のiphoneのsiriで遊んでいて、言語を英語にしてみた。しかし、いくら言葉を変えて話しても自分のいいたいことがまったく認識されていない。だから、英語の状態のsiriでは遊べない。
要するに、自分の話している英語の発音では相手に会話として認識することができないということが分かってしまったのだ。
細かい話はともかく、カタカナ英語を身につけてしまうと正しい発音がわからなくなってしまうし、それに応じて聞く力も弱くなる。
生まれつき耳の聞こえない人のしゃべり方が独特になってしまうという話があるが、それは自分の声を聞くことができず正しい発音の学習フィードバックができないためだ。
当然、日本の英語教育というのはまともな発音じゃないんですよ。まともな発音すると「意識が高いw」と笑われてしまうし、空気を読んで教師もそれを注意せず放置するから全員できなくなる。(まぁ、それ以前にALTの人がいるけどその人の発音がまったく活かされることはないよね。)
道連れでバカになっていってしまうという悪循環だ。
去年、祖母が亡くなる当日の病院のロビーで、自分は初期の子宮がんの治療のために入院していたフィリピン人の50代くらいの女性と話していた。(職業は通訳)
少し雑談を進めていたら「日本の中学の英語教育、まじめに発音すると笑われる。あれはよくないね。」というようなことを言っていた。
この悪循環をどこかで止めなくてはいけない。かつ、もし変な英語が身についたらどこで矯正すればいいのか?ということも頭に入れておく必要がある。
母国語でない以上、ある程度やり過ごせてしまう環境なので事実上の問題が出てこないだけ。もしこれが多民族国家で3ヶ国語を教養程度に話せなくてはいけない環境だったら生活に支障が出てくる問題なのですよ。
せっかく、外国語教育をしているのだからちゃんと活かせるようにしなくちゃまずいんじゃない?と思った感想です。おわり。