マイノリティ雑貨店

自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

考えを書くということをやめてしまうわけにはいかない。

ろくな議題が思いつかない以前の話をしていきたい。ぶっちゃけ、今回の記事はあまり読むに値しないが、頭の中をアウトプットするという目的として動かしている。

 

最近、「ブログを書く」ということが著しく弱くなっている気がする。

短い文章だけでつぶやけるTwitterも前ほどつぶやいていない。

 

そう、おそらくインプット自体が昔に比べて少なくなっていることが原因ではないかと思う。要するに、学ぶことを怠ってしまっている。

非常にまずい。新しい情報がろくに入らない。考えることをやめたら終わりだ。

そこで本を読もうとするが、うまく読めない。おそらく集中力が続いていないのではないかと思う。

いろんなことに対して興味を持とうとしていたはずなのに、このざまだ。

自分であれだけ「好奇心を失ったものはバカだ」みたいなことを言っていたはずなのに、そんな存在にドンドンなりつつある。

 

心の原動力がかなり弱くなっているような気がする。完全に落ちてしまっているわけではないが、かろうじて現状維持をしているような感じが否めない。

 

ただただ焦りだけが自分を襲っているが、思っている以上に行動などはできていない。

考えることを辞めるということはマイノリティ雑貨店をやめることと同義だ。

考えたことをアウトプットするのがブログだというが、現状は開店休業中の白い板切れだ。

 

そして本日気が付いたことがある。

毎日、考えがまとまらないと思ったら一度はボーっとすることも大事なのではないだろうか。もしくは無心にペンやキーボードに手をかけてみる。これだけでもだいぶ違う。

物事を吐き出すためには心の余裕が必要になる。

 

そう、2年くらい前はもっと心に余裕があった気がする。だからこそ、いろんな本やブログを引用しながらいろんな文章をもっと書けていたんだと思う。

もちろん、本の習得効率が段違いであったことも間違いない。

ただし、自分の場合は医学的なうつ病の症状とかではない。

おそらく無気力な状態を続けたツケが今になってきたのではないかと思う。

 

だが、無意味だと思っていてもひたすら書き続けたり表現することは大事だ。

何もしていないときよりもだんだん活き活きしてきたような気がする。そう、無意味な文章を書き続けているとなぜか学ぶ意欲が出てきた。

もちろん当時の水準ではなく、今からすればかなり調子が良くなっている兆候が出ているのだ。いわば書くための準備運動を今まさに行っている。

 

こんな記事を書くんじゃない!という声もあるが、あまりにも脳内の文章を書く・生み出すということをあまりにもやらなすぎた。

起承転結もクソもないことは自覚している。頭の中があまりにも混沌としすぎていて非常によろしくない状態だ。このクソみたいな作業をもとにもう少し脳内を整頓できれば儲けものではないだろうか。

 

とりあえず、今回はこれで終了としよう。

オープンカーのクーラントは定期的に変えよう。快適さが違いますよ!

【冬のオープン、みなさんはどういった感想をお持ちですか】

みなさん。オープンカーの快適な季節っていつだか知ってるだろうか?

みなさんは「絶対夏の昼間だろ?屋根を開けたら涼しいよね!」

いやいや、とんでもない。日本の夏の昼間とか、一番オープンに向かない季節だ。

日本の真夏の真昼間に開けているのはただの自殺行為だ。日差しはガンガン、コンクリートからの熱はMAX、冷房の効きは弱くなるという大変デンジャラスな環境に身をおくことになる。

もし、夏に乗りたいのならば夜がおすすめ。若干湿気はあるものの、それなりに気温や日差しの条件が緩んでいるため寒くもなく快適だ。あと、虫が飛んでくるのでそこだけは注意してね。

 

本格的に寒くなる前の秋口もそれなりに楽しめる。同じような理由で春は花粉がうっとうしいことを除けば気温的には悪くないだろう。

 

だが、日本の人たちは冬のオープンカーを「やせ我慢、夏のほうが快適だろクソが」みたいなこと言い出すんですよ。

そういうこといわれるとですね、バイクに乗っている人たちにそれをつっこまないのはなんでだろうと毎回思うわけですよ。

その理由を次のところで話していこう。

 

【オープンカーは冬でも乗れるんです】

考えてみてください。バイクにあって、車にあるもの。それはエアコンやヒーターだ。

オープンカーが屋根を開けて冬でも乗れる理由ってヒーターがあって暖かくできるからなんです。

あまり日本でやっている人がいないので実際に冬のときに開けていると対向車線の人が「なんか頭の弱い子がいる・・」みたいな感じになりますが、気にしないほうがいいかと。

逆に言えば、ヒーターがまともに聞かないオープンカーはかなり寒い。

だからこそ、ヒーターを効かせる要素であるクーラント(冷却液)の交換と、そこを通る経路の掃除をしたほうがいいということになる。

もちろん、クーラント交換は慣れていない素人が簡単にやれる作業ではないため専門の業者に依頼したほうが無難ではないかと思う。

特にエア抜きの作業などがありこの作業を手抜きでやるとオーバーヒートをおこして車をお釈迦にするようなことを避けるためにも言っています。

 

【車のヒーターの原理を知り、なぜ交換するのかを理解しよう】

自分が説明するより、もっと詳しいところがあるためそこを引用しましょう。

www.sankyo-radiator.co.jp

エンジンで温まった冷却水をヒーター(小型ラジエーター)につなぎ電動ファンを取り付けてラジエーターで放熱された暖かい空気で車の室内を暖めます。

後部座席からのものは リアーヒーター(小型ラジエーター)がついています。
あるいはフロントヒーターの熱をダクトを通して噴出しています。

エンジンの温度が上がらないとヒーターは上がりません。

温度は湯量のヒーターバルブによって調整します。

ウォーターポンプによってクーラントは回転します。

風量はヒーターファンの回転によります。

風の方向は方向板によって 窓、足もと、真中、と変える事ができます。

最近は自動でクーラーと組み合わせて空調している車が多くなりましたが、原理は同じです。

 

簡単に言えば、エンジンを冷やすための冷却液がエンジン熱で熱くなる。

熱くなった液体はヒーターコアという部品(引用文章の小型ラジエーター)へ入り、そこについたファンから熱い風を送って車内を暖かくする。

ということは、この冷却液や冷却液が通る経路が詰まったり、汚くなっていては熱効率が落ちてしまうということだ。

熱効率が落ちれば、当然「暖房が弱くなる」というのは理解できると思う。

一番だめなのはヒーターコアが詰まっているパターン。自分の前の車はこの部分がかなり詰まっており、暖房がほとんど効かなかった。そのため、冬はコート着用が当たり前だった。外の気温が2度くらいの時には最大10度くらいまでしか上がらずシャレにならないくらいの状況だったこともある。

この前、自分のMR-Sクーラントを交換と清掃を依頼したところ、気のせいではないレベルで暖房が強くなった。以前は冬のオープンがきつかったが、きちんとした暖房の効きになっていれば着込む前提で乗ることはできるようになる。

 

そう、冬にオープンにできるのは、このヒーターが普通の車よりも強めに設定されているおかげである。クローズ状態で温度と風量をMAXにしていると確実に汗が出てくる。

普通の車に乗る感覚でこれをやると本当に地獄を見るので注意。

 

もし、古いロードスターに乗っている方などで「最近冬に屋根開けていない」と思ったはクーラント交換+冷却経路の清掃を依頼するなりしてみるといいかもしれない。

 

今回は以上です。

 

 

 

お姉さんタイプの魅力をギュギュっと絞ったエキスが出ているぜ!

www.tukinasikotonoha.com

www.tukinasikotonoha.com

 

 

若干こじらせぎみの記事です。あんまり真面目な書き方をしていません。

 

 

【魅力のエッセンスについて説明しようか】

この2つの記事を読んで、「お姉さんの魅力がマジで凝縮されている」って感じた。

ぶっちゃけて言うと自分のようなコミュ障オタクタイプは女性と関わる機会ってまずほとんどないんですよ。

 

ただ、今回の記事のお姉さんみたいな人と会うと意気投合できるっていう感覚はものすごくわかる。ちなみに同級生クラスでいうと、下に弟がいるような子もだいたいそんな感じの人がいる。

なんというか、素のテンションで話しても割と受け入れてくれるという雰囲気がある。

変なこといっても「あ~www君はまったくしょうがない人だなwww」みたいな。

 

もちろん、それに甘えていてばかりではいけないんだけど、そうでない人に比べると下手にボロを出さないように・・・出さないように・・・ということをやって、結果的に変なコミュニケーションになる確率は圧倒的に低い。

 

いやね、お姉さん的な雰囲気がない人に素のコミュニケーションすると明らかにテンションがね・・・やばいというか・・あれ?やっちまった感がすごいことになる。

あれは本当に胃が痛くなるからできるだけコミュニケーションしなくなるんですよ。

そしてどんどん独身街道を歩む。それが結果なんです。

 

 【恋をするためには社会の風潮に従わなくちゃいけない?】

明言されているかどうかは不明だし、これは自分が勝手に感じているだけのことだが、世の中のカップルってイメージ的に「男性>女性」みたいなのが求められている風潮があるような気がするんですよ。

なんというか、男のほうが女のほうをからかっているような図が恋愛市場において浮き上がっているようなのがメジャーだったりするわけじゃないですか。

 

そうするとですよ、「需要と供給」のモデルとしては大まかに2つあるんですがそのうち1つは選択肢として消されやすくなるんです。社会の風潮的にやりづらいところがあるというかね、はい。

1.「お姉さんがぐいぐい引っ張り、男のほうが優しい感じ」

2.「男のほうがぐいぐい引っ張り、それに女性がついていく感じ」

 

 当然、パートナー同士持ちつ持たれつでやっていかなければいけない部分はあると思う。だけど、ことのはさんみたいな前者のありかたってなかなか見ない部分があるんですよ。

もしかしたら、自分が不勉強がゆえに観測していない・できていないだけでそういう人たちがいるのかもしれない。でも、社会的に「出会いを重ねるうちに2人が恋に落ちた・・・」みたいな感じが許されるのは2番のスタイルが多いと感じる。

(誤解防止のために言っておくと、1番/2番に優劣があるとかそういうことを言っているわけではないです)

だからこそ「恋人がいない/結婚率が落ちた」という問題は、非正規雇用が多くなったなどの経済的な問題を抜きにすれば「付き合うにしても社会的な空気を読まなくてはならない」という壁がどこかにあるんじゃないかな?って個人的には感じているのだ。

 

【ことのはさん達みたいな雰囲気のカップルが増えてほしい】

半分ふざけたようなタイトルかもしれないが、ことのはさんとしおりさんが一緒になれることを自分はかなり真面目に応援しています。

ことのはさんの記事がウケたのは、こういった記事を出すことで「ああ、女性に引っ張られるタイプの恋愛の形があってもいいじゃないか」って思えるきっかけを提供できたからだと自分は感じています。

だからこそ、恋愛のあり方にもう少し寛容になれる感じの社会になればいいんじゃないかな?ということを少し期待しています。

誰もが成功するわけじゃないとは当然思いますが、新しい視点を得られたということは風潮を変えられるきっかけになる。それは間違いないと確信した記事でした。

頭の回転とアウトプットについての考察

【はじめに】

勝手に思いついたことを書いていきたいと思う。(ただし、頭の回転の話関係で結構勘違いされやすい為補足すると自分の考えている頭の回転の話は岡田斗司夫氏の「頭の回転が速い人 」という本とは考え方のベースが違います。ご了承ください。)

【読む際の注意点】

「頭の回転が速い」という言葉には、おおきくわけて2つあると個人的には考えている。なお、岡田氏の頭の回転の発想にはギアの概念があるが、自分の話はギアの切り替えではなくて個人個人が得意としやすい生まれ持った頭の回転のさせ方があるのでは?ということになります。

 

そして自分が考えている脳の持ち主は大きく分けて2つの特性があると思っている。

①低回転トルクのある脳をベースにしたもの

②高回転でパワーを発揮する脳

 

この2つを考察していきたいと思う。

まず、この図をみていただきたい。

 

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 【脳のアウトプット特性】

①の低速トルク型は一般的な会社員などに多いタイプだ。全体的にパワーの出方がフラットなのでどんな仕事も80点でこなせる。言い換ええれば合格点を安定して出せる強みがある。ただし、極端に高回転までは回せない事、まわしてもそこまでパワーが出せるわけではない。

ただ、組織の中では非常に扱いやすい特性なのだ。

ひとことでいうと①タイプの彼らは落ち着きがあり、精神年齢が高い傾向にある。

もちろん、最初からできるようなことはないが少し教えればそこそこなんでもできるような器用さを持っている。でも、極端に何かを突き詰めるタイプではないので大成功みたいな天才っぽい感じはない。

でも、安定した中程度の成功をバンバン出すには強いし、総合的な利益の総計を考えれば彼らのほうが組織としてはすごく強いのだ。

 

②の高回転型の脳は「好きなことにはものすごく強いタイプ」言い換えれば好きなことじゃないろくに頭が回らない感じである。非常にピーキーです。

端的にいえば、研究者とか哲学者、専門的な知識を必要とすることに向いている人はだいたいこういうタイプが多い。一般的にはちょっと変人だが、それくらいでないと専門的に突き詰めるという特性はややスポイルされるのではないだろうかと個人的には思っている。

だから普段の状態と、能力を発揮しているときの差がものすごくギャップがある。言い換えれば興味のないことだと結構だらしない人が多いかもしれない。

途中まではグダグダしているのだが、頭の回転数がある規定(グラフ上は数字の値が定義できないため、当人依存のパラメータ)になると急にターボまたは高回転機構がスイッチが入り、明らかにすごいものを作り出せるようなパワーがある。

ただし、気まぐれなのと会社員としてはあまりに安定性がなさ過ぎるため常識を重んじる人が彼らを扱うのには非常にストレスがたまるのではないだろうか。

高回転の特性上ムラが出やすいので、毎回やる気が出るかどうか?というのを意識しなくては本来のパフォーマンスを安定して出していけないのでそこは特に注意。

 

【アウトプット発想の違い】

気をつけなければいけないのは、双方は脳の特性だけでなくやり方の好みも間逆だったりするのだ。意外とこちらの観点を忘れると活かし方がハンパなものになりかねない。

 

【低速トルクが強い人】

①の人は基本的に規律的なやり方を好む。

目標ありきで行う「ゴール・オリエンテッド」のやり方だ。これは目標に向かってぶれないことを進めるやり方だ。逆に言えば、新しい発見とかは生まれにくいという弱点はある。

こっちのほうは一般的な会社員のやり方・教育が割と通用する。ある程度教育すれば、ほうっておいてもなんとかなる。日本人が彼らのような人を好むのは教育コストが圧倒的に低いことを評価しているのだ。

言い方を変えれば、日本の企業は決まったフォーマットの教育でしか教育しにくくなっているという点を指摘できるが総合的にこっちのほうがお得になってしまうので、組織上でそのことが指摘されることはない。社会不適合系を育てるコストは今は払えないんだろうなって気がする。

 

【高回転型の場合】

では、②の人ってどんな感じなの?というとこちらは物事をやる上での過程でブレが発生するんです。一般には

どういうことかというと、好奇心が強いから途中でいろんなものを拾おうとするためだ。そうすると本来の目的を忘れてでっかい変な塊を作りかねない。

これがうまい方向にいく場合は放って置けばいい。ただ、だいたいは変な方向に行きかねない。修正が大変なものの場合はパートナーみたいな人が修正の方向を彼らに示す必要がある。もしくは、先に決定させる必要がある。

ただ、気をつけないといけないのは「修正すべき」ということを彼らが高回転でブン回っているときに行わないこと。

高回転の状態は基本的に周りが見えていないうえにやたら頭が回っているためサポーターのパワーによっては逆に論破されかねない。もし、緊急性を要する場合は肩をたたいてでも作業を止めさせる必要があることもあるだろう。そうすると低回転気味になるので話がしやすいと思う。

逆に言えば、アイデア系の作業はいろんなものを拾ってくる必要があるのでこういうときこそグチャグチャでもいいので高回転を使わせると強い。

整理とか最終的なアウトプットの固めは①の人にやらせるとすごくきれいなものができる。

【まとめ】

どっちが使いやすいとか、優秀だというのではなくそれぞれに向いた特性があるというのが今回のお話の総論です。たしかに安定した特性の人のほうが組織では伸びやすいが、イノベーション的なものは起こしにくい。今の日本で言われる頭の回転が速いというのは、あくまで「社会の」常識的な範疇の中で安定してできることではないだろうか。

 

 

社会への適応と好奇心の低下について

今回は独自の組織論について書いていこう。忘れた頃に書きたくなってくるのだ。

だいたい同じようなことを言っているが、多少味付けとかは変えている。

 

知的好奇心に言及している記事を元に書き起こしていく。

 

zakka10wasabi.hatenablog.com

 

 

zakka10wasabi.hatenablog.com

 

 

zakka10wasabi.hatenablog.com

 

よく巷で「社会人になって変わったよね」みたいな話をすることがあるが、それはだいたい肯定的な意味でとられる。

大まかな意味合いとしては「丸くなった、キチンとした」というところが多いのではないだろうか。言い方を変えれば、組織の中の仕事だけに向き合いそれに対して適応することだ。

 

会社人・組織人・ビジネスとしての仕事能力は純粋に上がるだろう。ただ、そこにはある一種の危険があるのでは?ということに気がついた。

 

物事を淡々と、要領よくこなすことだけに強くなり「純粋に面白いという気持ち」による探究心とかそういうものはすごく削られているような気がしてならないのだ。

ただ、今回のお話で対象にしているのは学生時代(もっといえば高校生の頃)から会社員っぽい振る舞いがある程度完成されているような人物には適用できない。

それはなぜかというと、彼らの素と会社で要求されるスキル/イメージはほぼ合致していることかつ何でも好き嫌いなくこなすので探究心とかそういう熱狂的な掘り下げを本当の武器にしているわけではないためだ。言い換えればそうなったとしても問題がないし、活力が落ちるわけでもないからだ。

 

組織にあんまり向かないような人が無理に組織に適応をすると、物事の好き/嫌い/得意/苦手を淡々とこなす能力は多少上がったとしても本来の武器であった探究心などを削る代償を負わなくてはならない。そうしなければ「あいつはくそやろうだ」みたいなことを言われ続ける。

例外としてその本人特有の特殊な分野で仕事ができまくれば、そんな言葉を貫いて叩けない杭のような存在になれる場合もあるが、プラマイで凡人だと厳しい側面もある。

社会に許されない才能とかも結構あったりするのでなかなか難しいところだ。

 

もちろん、好奇心を削ったところでもともと社会適合能力の高い人たちほど活躍できるような感じではない。無理はできるだけしないほうがいい。

あまりにも失うものがでかすぎて、疲弊しきった頃には元に戻れなくなる可能性が高くなるぞ。

1番最初の過去記事(日本人の知的好奇心の低さのやつ)でも言及されているように、日本人の知的好奇心は20代で衰えていると書いてある。

スウェーデンの65歳のジジイと一緒って、もう心が定年になってるよね。

これって、完全に組織に適応しすぎてしまった結果じゃないのか?と自分は思うんですよ。ただ、誰も指摘しないしもしかしたらそんなことに興味がないので言わないだけかもしれない。

 

その社会的背景が皮肉にも反映されているのが大学の科研費だ。

 

たらればさんのツイートがなかなか厳しいことを言っている。

要するに、企業の製品開発に付随する研究はやたら強いし「すぐ役に立ちそう」な側面があるから実務的・企業的にはすごく投資する傾向が出ているんですよ。

このような形である1つの目標に向かって一途に研究・開発するようなことを「ゴール・オリエンテッド」という。

逆に言えば、大学のような研究機関は「なんでこの研究が役に立つの?」みたいなことを問われる。

特に理学系などは物事の真理を追い求める学問の性質上、研究している本人ですら何の用途に使えるかわからない領域のことをひたすらやるのだ。言い換えれば、こういった分野は好奇心の強そうな変人みたいな人が得意とする分野だ。

 

ただ、最近の大学もこういった変人を排斥しようとしている動きがあるのではないかと思う。

 

www.ninja-ninja.xyz

 

一般に、研究者と言えば、1つの物事に執着的に興味を持つ、オタク気質のちょっと変人が多いように思われています。 って・・・そんな気がするのは筆者だけでしょうか。

たしかに1つのことを突き詰める性格は、研究者には向いている性格の1つだと思います。

 

 良くも悪くも、これは素質のひとつとしては必要だと自分は考えている。

2.研究者に必要なこと

研究者に必要なことはもちろん研究成果ですが、それ以外にも必要なことがあります。 それはなんでしょうか?ちょっと考えてみました。

  • 自身の研究を正しく伝える能力
  • 他の研究者と連携して研究を進められる能力
  • 後進(これから学者を目指すあなた方のこと)を育てる能力

自身の研究を正しく伝える能力

自身の研究を正しく伝える能力とは、自分の研究成果を的確にアピールすることです。

研究成果のアピールは、最終的には論文という形でアピールされますが、それが全てではありません。 例えば、科研費などのお金を取るときや、特に若い研究者に求められるポジション獲得のためのアピール(就活と同じ)、そして研究者から一般の方への公表の仕方などです

他の研究者と連携して研究を進められる能力

次の、他の研究者と連携して研究を進められる能力とは、その文章が示すとおり、他者との協調です。 特に大きな研究は一人では出来ないため、ある程度の作業分担は必須です。 そのため、必ずしも自分自身が重視していない研究をする場面も出てくるはずです。

後進(これから学者を目指すあなた方のこと)を育てる能力

後進を育てる能力もその文章の通り、自分よりも若い研究者を育てるための能力です。 特に、大学教授というポジションについた場合には、学生の面倒を見る必要が出てきますから、必ず必要です。

あれ?会社員と変わらなくない?

こうして見ると、研究者はごく普通の会社員に求められる能力と、そう大して変わらないように思えます。 もしあなたが、人と話すのが苦手だから研究者の道に進む、と考えているなら、それは危険な選択かもしれませんね。

 

なんだろう、オタク気質同士ならクセはあるかもしれないけど結構なんだかんだ変な協調ができる気がするんだよな。要するに、過去よりも癖のない人が多くなってきて「すごいけど変人」を許容できなくなっているんじゃ?というのと、お互いのコミュニティの親和性がなくてオタク気質の人の居場所が少なくなっているのかな?と個人的には思ったかな。

 

以上から、研究者に向く性格を以下のように考えることが出来ます。

  • 研究を突き詰めるのが楽しい人(物事に対して「なぜ?」と考えることが研究の本質)
  • 他の研究者と十分にコミュニケーションが取れる人(少なくともきちんと話が出来る人。コミュニケーションは鍛えればなんとかなる)
  • 物事を教えることが好きな人(ほっといても後輩が寄ってくるような人望の厚さがあれば強い)

もちろん語学の勉強など、絶えず自分をアップグレードできる強さも必要だと思います。

(自分の興味がある)研究だけに没頭できる人はいっぱいいます。 また、人に言われて、初めて「なぜ?」に気づく人もいっぱいいます。

でも、自発的に研究を進めながら後輩の面倒を見たり、一緒に事務作業をこなせたりする、マルチタスクの人は限られます ちょっと期待値が高めですが、あなたがそういう能力を満たせるなら、就職先には困らないと思います。

これね、すごく問題になっているんだよ。赤い太い字の能力があれば強いよね?は分かるけど、言い換えれば1人で何でも回そうとしすぎてろくに研究する時間がなくなってるんじゃないの?ってことになるし、本来は研究が主な仕事のはずなのになんでそんな事務仕事優先みたいになってるの?ってことだ。

 

ツイッターでもこのことは言っているんだけど、マルチタスクできる便利屋風情を求めてどうする気だ?ってなるんですよ。どう考えても不要な仕事とかでやりたいことを優先できない研究者じゃ意味ないんだよ。

 

基礎研究があまりにもおろそかになっていると本当にまずいんです。学問の基本となる大学の教科書だって、もともとは研究した内容を凝縮したものだからそういうのを軽視したら本当にまずいと思うよ。

 

よく話が脱線するけど、この話の要は好奇心を知らず知らずのうちに低下させていることを放置させた結果が、最終的に大学の科研費が足りない、ろくに研究ができない、人生に疲れるやつが増えまくるとかにつながってくるんじゃないの?ということを自分は考えたということです。

 

発達障害の人が向いていないはずの会社員を望むわけ

かなり前の記事を使っていますが、めんどくさくてしばらく放置していた結果です。はい。

リハビリとともに、記事を書いていきましょうか。

tm2501.hatenablog.com

 

この記事にヒントをもらったので、話題を展開していこうと思う。

 

 

確かに、学校の授業はあります。

みんなで練習する部活動はあります。

国家には、社会保障制度があります。

 

でも、そのレールにも乗れないヤツは、レールに載るための努力が必要になる。

それはみんなでやるよりも一人でやった方がしんどくなる。

 

だから格差ができていく。

 

【当たり前だけどベースがあるやつは強い】

友達、親などの精神的・経済的支援を受けられている人が上に行けるチャンスを持つことができる。逆に言えば、経済的に厳しければ本人の能力だけで上がらざるを得ない。

本人の能力だけでいけちゃうような化け物なんていうのはそうそういない。

 

発達障害だって、生きていかなくちゃいけない】

人事部や面接担当のみなさん、疑問に思っていることはありませんか?

 「なんでこんな人材がうちの面接に来るのだろう? なんでこんなやつ雇ったんだ?」

 

なんで会社員としての就職活動に「どうみても会社員っぽい雰囲気がない」人が来るのかって? そりゃ、株式会社を作るのって結局ビジネス力じゃないですか。

そもそも、ビジネス自体に向いていないことを自覚しているからとりあえず組織に入っていればそれっぽくはなれるという担保で会社員となることを望む。

 

でも、それは本当にやりたいというよりは自分がどっちかといえばやりやすい自営業の儲かる確率がほぼバクチに近すぎるから消去法でやっているだけなんですよ。

逆に言えば、どんなに変わっていても収入源さえ保障出来れば問題は解決するんだ。

 

厚生年金は会社員じゃないともらえない。要するに、過剰適応で精神を病んだとしても「低賃金で税金が払えないよりマシ」という選択肢をせざるを得ないんだ。

 

発達障害を持っていると,「ましな選択肢」である会社員がベリーハードモードになる可能性が非常に高くなる。なぜならば、会社員というのは「どこにでも使いまわせる汎用性・定型発達者の想定内」を求められるからだ。

 

発達障害の特性って1人1人違いすぎて、対応マニュアルみたいなのが2~3割くらいしか通用しない。それゆえ、専門家ですら本当に正しい対処法を取れているかどうかということ自体が怪しい。

当事者が生まれ持った知能や独特の対策・パートナーの補助で問題を解決して対策ができているならともかく、だいたいがTwitterの隅っこや精神科の待合室で将来を悲観しながら苦しむ毎日を送っているのではないだろうか。

 

 【居場所をなくしたのはあなたたちじゃないの?】

巷には「異型の人材が必要だ!」という人々が存在する。

基本、自分も「ズレている人」なのでこういった意見にはすごく救いを感じるし、いい観点があるんだなという感想も正直ながら持っている。

問題なのは、そのもうひとつの居場所を提供できていないことだ。そこで生活できる人の割合を増やす必要があるわけだ。それだけ適応に苦痛を感じて抜け出さざるを得なくなる。

 

ただ、多数派の社会にはその観点が到底浸透していると感じることはなく「社会人は云々」みたいな昭和からの教えがずっと続いていて、若者にその昭和の教えとやらが脈々と受け継がれていく。

もちろん、その教えがすべて悪いということはいわない。だが、現代向けにアップデートされていないことが問題なのだ。

時代背景に応じて変えていける部分は変化させていかないと世代間同士で消耗しあう。

常識なんていうものは一定ではない。

大多数の人はそういったことでも平気で適応しちゃう。適応した結果は発達障害のあるなしに関わらず自殺する人がバカみたいに増えている。

 

それが快適であるなら問題はないでしょう。でも、もう限界になっている人の割合が無視できないのではないだろうか。でも、その何割かの人が苦痛な環境でないと最低限度の生活を保てないって、まともじゃないよ。

わざとやったんじゃないんだろうけど、それは排除と同じなんです。

 

【これは、日本の社会が向き合わなければいけないことだ!】

 

「どうすれば面接で発達障害の人を弾けますか?」⇔「息子(娘)が発達障害で就職できず、困っています」のジレンマを日本はずっと放置している。

それを続けていた結末は、困った人専用の窓口ばかりが埋まっていって、対処が追いつかない状態となってしまった。

言い換えれば問題ばかりが蓄積していって腐ったカタマリが巨大化をしているのだ。

腐ったものは捨てなくちゃいけないんですよ!

 

東京の発達障害支援センターなんて、あんだけ人口いるのになんで1つなの?

ジョークにしてもタチがわるすぎる。予約が長すぎて機能していないみたいなアホみたいなことやってるんじゃないよ。

おまけに精神科医は「発達障害は見たくない・・」とか言い出すからね?

構造上、あなたたちが対策しなくちゃ、誰が対策するんだ? 

 

 

一番まずい結末が日本で起こってしまった。 ましてや、今現在はどんどん悪化して生活できる・生活できないのというレベルの格差が起こっているわけだ。

もうね、本人の努力でどうにかなる問題じゃない。そして問題がめちゃくちゃ進行しているので今すぐ解決なんていうのも無理な話だ。

せめてもの願いはこれ以上進行させず少しずつでもいいので問題を解決していくことだ。お願いしますよ。

発達障害とチョコボール

今回ね、発達障害の得意分野がどうして組織で使いにくいのかをチョコボールで考えてみたんですよ。

ぶっちゃけ、くだらないので適当に流してくれてもかまいません。

当事者の得意分野って、チョコボールでいう「銀のくちばし」「金のくちばし」に相当する部分なんです。要するに、ベースであるチョコボールというお菓子の部分が弱くていきなり付加価値の部分だけ強いんです。

一般的な人は、その部分もある程度できるけど基本的に後回しでやるような部分だ。

組織的にはチョコボールの部分を担当してほしいんだけど、そこを本人にやらせるとチョコがだいぶ溶けていたり、そもそも金のくちばしだけくっついていて中身を入れ忘れてしまったような製品になってしまう。

 

だけど、金のくちばしでもらえるおもちゃとか考えたり、そういったベースから外れてしまったようなことは異常に強かったりする。

よくIT関係・塾・医者・研究者に発達障害の人がいるという話があるが、得意分野とチョコボールの本体の部分が偶然合いやすいというだけなのだ。

ただし、チョコボールの中でも基本的な事務や当たり前の社会的常識みたいに相当するチョコはだいぶ溶けているのだ。もしくは異物が混入している。(=認知のゆがみ)

 

だいぶライトに記事を書いたが、そういった視点で理解していただけるとうれしいなという所存だ。 おわり。