マイノリティ雑貨店

自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

借金玉さんのブログを見て、発達障害の生き方を考えてみた。

 

【前書き】

ずいぶんと書くのが遅くなってしまった。

このクソみたいな先延ばし癖をなんとかしなければ人生は開かれない気がするのは間違いない。それはともかく、今回は題名の通り借金玉さんのブログより思ったことを書いていきたいと思う。

はてブでは言及しきれないので、こちらのほうで感想とかを言わせてもらおうと思う。

 若干、発達障害界隈の雰囲気を使って話しているため、変な感じになっていますがご承知おきを。

ピーキーな脳を振り回して社会で事故るぜ!】

特にこのエントリはなかなか刺さるものがある。あまりにも本質をよくついている。

これですね、「言語性優位で大学生活~就職活動までは世の中をある程度ぶん殴って生きてしまった人」にはだいぶクるものがあると思うんです。

中途半端に資格を取る能力が高かったり、成績もよかったり、マニアックな知識を得てできない部分を無理やりカバーして生きていくと本当にこんなことが起こる。

なまじ大学生という身分である以上、「うるせえ!我が道を行くんだ!」というスタンスでなんとかなってしまうと会社員としての社会適応で死ぬパターンだ。

運よく二次障害のない自分ですら、軽く死にかけるのだ。

僕は大学生の頃には自分が発達障害であることに気づいていました。通院もしていました。元来が躁鬱病を患っていたので、実のところを言えば大学時代からコンサータを飲むことは可能だったと思います。そして、そうしていればまた違う未来があったのかもしれません。しかし、これは本当に運が悪いことだと思うんですが、飲まなくても結構なんとかなってしまったんです。

もちろん、客観的に見れば高校は落第寸前の出席日数、人間関係はほぼ全てで破綻を繰り返しその度に別の場所に逃げる、定期的に躁鬱の波を繰り返し、薬物のオーバードーズと自殺未遂を繰り返す、明らかにダメです。でも、その破綻寸前の生活を僕はギリギリの線で乗り切ってしまいました。また、中途半端にテストの成績などは良かったため、問題が中々表面化しなかったのです。大学時代も薬物とアルコール、自殺未遂などは定期的にやらかしていましたが、「圧倒的に大学が楽しい」という事実が問題にフタをしてしまっていました。また、大学は圧倒的な規模があり人間関係を次から次へと乗り換えることが可能だったため、様々な問題を回避することが可能でした。

話を読むたびに血の匂いがただよう感じの黒さだ。むしろこの状況から立ち直るというのは容易な話ではなく、そのまま大学を中退して真っ逆さまに転落することだってありうる。

金玉さんの場合、大学生の時点で双極性障害躁うつ病)を患っているため血の色に染まったダークモードに突っ込んでいる。多分、そういった状態の悪さを加味してもいろいろパワフルに押し切れてしまう分、仕事能力とかそういった器用さはすごく高いと自分は思っている。

 

【会社員=定型発達の前提】

もう、本当に安定した組織が多くなっている以上この事態は避けられない。

だいたい「みんな同じ発想持っているよね?」みたいなことを武器にしてご立派な組織は動いている。

みんな能力が高いー退屈さと面白みのなさに強い

職場に入って一番先に思ったことは「こいつらみんな能力高え」ということでした。もちろん、能力の一番尖った部分で遅れを取る気はない、くらいの自負は僕にもありましたが、総合的な能力のバランスという面で僕は同期の中で圧倒的に劣っていたと思います。端的に言えば、能力のムラがあり過ぎました。

ホワイト企業の最も厄介な面はこれです。学歴はあって当たり前、その中で更に苛烈な選抜を潜り抜けてきた彼らは「出来て当たり前」なのです。もちろん、新卒にいきなり難度の高い仕事が回ってくることなどありません。しかし、「誰でも出来る仕事を効率よくこなす」という点で競い合った場合、能力ムラが大きく集中力にも難のある僕は圧倒的な遅れを取りました。

眠気。耐え難い眠気。僕があの職場にいた時の記憶の中で最も印象深いのがこれです。とにかく仕事に興味が持てず頭に入らない。そして、単調に続く事務作業の連続は、耐え難い眠気を僕に起こしました。また、僕は当時コンサータを入手することに成功しておらず、薬によるブーストをかけることも出来ませんでした。(後にこの症状はコンサータの投与で劇的な改善を見ることになるのですが、その時には全てが手遅れでした)

事務処理能力というのは残酷なジャンルです。素体スペックの差が隠しようもなく露呈します。何の面白みもなく、また仕事の全体像も見えないまま取り組む果てしない事務作業は、僕にとって最も適性のない仕事でした。しかし、ほぼ全ての同期は研修から配属初期に続くこのなんの面白みのない作業に難なく順応していきました。

当たり前です。僕のように中学校は半分以下の出席、高校は単位取得ギリギリのサボリ魔なんてバックボーンの人間はほとんどいなかったはずです。彼らは退屈さと面白みのなさを克服する訓練を果てしなく重ねてきた人間たちでした。その上、定型発達者でした。「こいつら本当に人間なのかよ」と思った記憶があります。しかし、彼らから見れば「人間ではない」のは僕の方だったでしょう。

僕は、人生のほとんどを「圧倒的に出遅れた後、後半で爆発的な加速をしてマクる」というパターンで乗り切って来ました。文句なしのスロースターターです。どこかで強烈な過集中がやってきて、全てをチャラにしてくれる。その繰り返しで生きてきました。中学も、高校も、入試も、大学も、就職活動も全てこのパターンでした。例えば、1年の期間で一定のタスクをクリアするのであれば、僕はその半分は浪費します。そして、誰もが「あいつはダメだ」と思った頃、強烈に加速してチギる。この繰り返しでした。そして、一番悪いことはそのパターンで新卒になるまではなんとかなってしまっていたことです。僕は「出遅れなんていつものこと。どうせ後半になればいつものアレがやってくる」という強い楽観を無意識のうちに持っていました。

しかし、仕事というのはそういうものではありません。特に、巨大なシステムの歯車として機能する事務職に於いては、そのようなやり方は一切通用しません。安定した出力を常時出し続けることこそが一番大事なのです。突出する必要はありません。安定感こそが最重要です。僕には危機感がまるで足りませんでした。そして、1年が経つ頃、僕はどこからどう見ても手遅れになっていました。

僕に仕事を教えようとする人間はおらず、また同情的に振舞う者もおらず、それでも職場は問題なく回っていました。一度掛け違えたボタンは時間の経過とともに加速度的に悪化し、二度と元に戻ることはありませんでした。全てが手遅れだったのです。

これね、本当に素晴らしい典型的ストーリーかつ、発達障害当事者が感じている感覚の言語化だと思うんですよ。特に注目してほしい部分は赤色で強調しています。

「お前に気に入られて勝手に赤色にされても困るんだけど」とか言われても知りません。はい。

本当に、当事者の武器って爆発的な加速でマクるっていうことだと思う。あくまでこれは発達障害界隈独特の言葉・感覚なのであまり一般的に通じる言葉ではない。

これを自分が使う言い方にすると「過集中ターボ」とかいう言葉になるのだが、要は概念としては全く同じなのだ。エンジンで言えば超高回転型で馬力を稼ぐような感じだ。

だが、会社員の業務というのは基本的に渋滞路とか一般道みたいなことが多いような感じだ。

当然、当事者というのはある意味ではすごい部分もあるのだろうが乗り心地は競技用車両みたいなのでは運転手の疲労ばかりがたまる上に本気で高回転を回そうとするとチームプレイを重視する上司というポリスメンが大変こうるさい。下手すると説教や厳重注意という赤切符を食らう羽目になる。

 

【結局は自分にとって”マシ”な選択肢を選ぶしかない】

金玉さんは「会社員として生きていくためには適応しろ」ということを言っている。

ただ、ある人の中にはそれがどうしてもできない発達障害当事者はどうやって生きていけばいいんだ?という深刻な質問が刺さってくると思うんですよ。

この中の言葉に少しヒントが隠されているような気がしたのだ。

発達障害の特性を強く有したまま人生を駆け抜けていける人も稀にいます。それはそれでとても素晴らしいことです。しかし、僕を失敗に導いたのは、正しくそのような発達障害者達の神話でした。自分は突出した能力を持っていて、それ一つで社会を駆け抜けていけるのか、それとも「出来損ない」として社会に順応していく努力をしないと生きていけないのか。僕は今、明確に後者が自分であると認識して生きています。

僕はジョブズではない。エジソンでもない。社会の中で稼いで生きていくためには、己を社会の中に適応できる形に変化させていくしかない。言うなれば、呑み込むべき事実はたったそれだけなんです。それさえ出来れば、後は具体的にどうするかという戦略を組み立て、トライアンドエラーを繰り返すだけのことです。それだけのことを理解してこの文章を書けるようになるまでに、取り返しのつかない時間が浪費されました。なにをどう悔いても、時間は戻ってきません。20代は終わってしまいました。

とはいえ、僕はまだ人生を諦める気はありません。神話的な発達障害者になることを諦めただけです。地道に愚直に積み上げることを今更ながら目指すだけです。

ただ、どうしても個人的に「発達障害の神話」という言い方がもやっとくるのでちょっとそこだけ言及させてほしい。

神話というと「ものすごい!だから簡単にまねできないから強引に適応してでもサラリーマンやれ!」みたいなところあると思うんですが、それはあくまで有名になった人の生き方が最終形になっただけなのでは?と思うんですよ。

どうしてもサラリーマンは無理だった・・・起業なんてできるわけないしほかの生き方を探そう・・・たまたま運よくこの形におさまれた・・・とか、特性を持っていたとしても問題なかった生き方だったみたいな運も含めての話なんですよ。

だからこそ、自分が言いたいのは「自分の発想・能力とかで総合的にできそうな・マシな生き方/稼ぎ方は何か?」ということを高校くらいから考えたほうがいいんじゃないかなって。もし、もう就職しちまったよ!ジーザス!ということであっても、常にそういったことは考えておくべきだということだ。

 

サラリーマンとかをやっているとどうしても精神が発狂してしまう!なら茨の道を覚悟してフリーのライターみたいな生き方をせざるを得ないとか結局は選択肢のどこを重点に置いて生活するか?に尽きる。最強のニートことphaさんみたいな生き方だって、結局は試行錯誤の末にあの形になっている。

phaさんも最初からニート(というか、半分くらいだるいめの自営業?)なわけじゃなくて4年間サラリーマンやって発狂しそうになってじゃあいろんな生き方をグダグダ模索してきたわけですよ。それがいきなりストレートでできていたとしたらあなたの人生って相当幸運をつかんでいる。だったらあとはそこに乗っかるだけ。

(ただし、当事者向けなので先延ばしとかそもそもチャンスに気づいていないとかあるのでそこだけは気を付けないといけないかな・・・)

 

平たく言えば借金玉さんは「サラリーマンがマシ」という結論に行きついて「自分の持っている特性上、組織内ではパワフルではないけどほかの選択肢があまりにもデンジャラスすぎるから曲がりなりにも適応しましょうや」ということになったわけだ。

【あとがき・余計な話】

よく説教臭い人が使う「努力をしている・していない」というのは、そもそも努力の仕方を分かっているか?というところになると思うんです。

得意/マシな分野なら分かる、そうでない部分は努力の仕方すら分からない。ただ、生き方が器用な人ってそのツボの範囲がやたら広いんですよ。その前提をそうでない人に強引にぶつけるからお互いに齟齬が起きる。そういうのってすごい悲しいですよ。

最終形なんてものはやってみないと分からない。だるいけどしょうがないやたら死ぬわけにもいかないし、折り合いをつけていかなくてはいけないのかな・・・と自分はしみじみ思った次第である。

技術が進み過ぎて、価値観の変化が間に合わない世の中になっている気がする

【物事の効率化=仕事が減る】

とくに製造業などは顕著だ。TVの取材などで見る、大手食品工場にある卵割りマシーンはめちゃくちゃ速い。千手観音でもこんな数は割れないんじゃないか?というレベルでバンバン割って工程に流している。

人間の本気の操作速度というのは機械にとってはチンタラやっているようなものだ。

でも実際の速度を自分は知らないので、割卵機専門メーカーのHPを参照してみた。

www.tsk-mc.jp

こんなコンサルティング会社があるのかよ・・・という感じだが、見てみるとなかなか興味深い。実際のスピードがあったので引用してみよう。

◆ 共和機械割卵機( 36000卵~39600個/分)高速割卵機
◆ QP割卵機(36000卵/時)高速割卵機

 1分間に36000個。1秒あたりに換算すれば600個だ。もはや人間でできていたらそいつは人間じゃない。当然、こんなところに人を雇えば赤字になるし衛生問題なども考えれば間違いなくデメリットしかない。

だが、工場に人はいる。人にできて機械にできないこと。それは仕組みを作ることという仕事があるからだ。しかし、その数もドンドン減るようになってくる。

技術を上げれば上げるほど、楽をする仕組みを作るための前提知識を習得できる人間の割合は減るからだ。

大学で前提の知識を習得したり、現場で長い修業を積まないと分からないことが多い。当然そこには教育コストもかかるし、面接などで技術を確実に習得できるのか?ということをしっかり見極めなければ途中でドロップアウトする場合も珍しくない。

だからこそ、仕組みを作る人間というのが相当高度化していかざるを得ず、いままでなんとかなっているレベルの人はついていけないのは必然の流れとなっていく。

ということは、「高度化しすぎて誰もが仕事に就けるわけではない」時代が来ることは想定しなくてはいけないのだ。

 

【働かなくてはいけないと思い込むことが前提の社会

本当は、どうせ仕事なんてなくなるんだから大半の人が「働くための仕事がない」といいながら遊んで暮らすみたいなのが一般的になるんじゃないかと思っていた。世の中の動きとしてはまだそんな感じはない。

ただ、現時点では完全に自動化できない部分があり、これからドンドン高度すぎるレベル以外の仕事がなくなっていく過渡期の時代となっている途中だから「就職する」ということがまだかろうじて可能な時代を保っているのだと思う。

あまりにも高度すぎると、今度は就職活動自体がなくなって遊んでいても暮らせる仕組みを作る必要がある。そこが「ベーシック・インカム」とかの考えにつながってくるのだ。

だが、今の技術の進歩はすごく早い。

車だって、最初は馬車だ。自動で動く機関を作らずに移動せざるを得なかった。

もっというなら、日本の江戸時代は東海道五十三次というものがあった。それは、あの気が狂うような距離を徒歩という一番原始的な移動方法で動いていたという事実があるからだ。籠や船があるじゃねえか!みたいな意見があるかもしれないが、そんなに速い速度で動かせるほどの技術はないし、交通としては便利ではなかった。その時代には不便な状態を改善するためにみんなで道などを整備してきたのだ。

 

その改善の積み重ねで、今は飛行機、船、新幹線の陸・海・空をすべてカバーできる。

移動するだけでなく、船に至っては世界一周をしても下手な家なんかよりも快適に過ごせる豪華客船なんてものもある。

どのくらい先なのかは分からないが、まじめにテレポートやワープの技術というのは具現化される可能性があるんじゃないのかな?という気はしている。

もしテレポート/ワープの技術が本当に具現化されたらトラック運転手をはじめ、運送業にはワープ装置にモノを通し、今まで使っていたトラックなんて過去の産物にはサヨナラしなくてはいけない。当然、そこで運転していた人たちもいらなくなるわけですよ。

ということは、技術が高度化しすぎるということは仕事がまともにみんな持てるなんて状態のは幻想なんですよ。テレポート装置を本気で作れる人・管理できる人だけがいれば十分ですよ。

でも、人口は急に減らないわけだ。そこで無理やり仕事を作ると圧倒的に無駄なことをやるしかない。そして、貨幣経済を急にやめるなんて話があれば別だが、そうでない可能性が高いので死なないためにはお金を稼いで食い物を買わなければいけないわけだ。

だが、物理的に仕事がなければ価値を生み出せないのでみんな貧困になっていく。

街はホームレスがあふれ、失業者が増えすぎてどんどん治安が悪くなる。

それを防ぐためにみんなが暮らせる仕組みを作ろうと考えているのがベーシック・インカムなのだが、「働かなくては食っていけない」と頑なにと考えると過当競争を前提に社会が動く羽目になる。

当然、そういう人の頭の中には「ベーシックインカムだけではなく、そのうえ労働収入がある前提でないと生活できないような物価設定まで値段を吊り上げなければいけない」という発想が浮かんでくると思うんですよ。

だって、「俺だけ働いているのに、なんでお前ら遊んでいるの?」みたいな感じになるだろうし、技術が高度化しすぎた状態での過当競争なんかに巻き込まれたくない人が増えている中での勝利者ってよっぽどの人だと思うからそんな低い意識の奴なんて叩き潰してやろうってなる人が多くなるんじゃないかなって。

【そもそも、僕たちの定年ってどういう状態なんだ?】

もう20年くらいは過渡期で仕事を作れるギリギリの状態を保てるとは思うけど、自分含め今の20代があと40年もまともに働けるだけの仕事が作れるほど世の中に改善できる場所があるんだろうかって気がしてならないんですよ。

今だって、就職できないやついっぱいいる時点でもう厳しい感じがする。

自分はその関係の背景知識も細かい業界情報なんかも全然わからないからあくまでデタラメの感覚で言っているだけなのだが、40年も先なんて時代が変わりすぎていて今までの常識を持っていたら間違いなくやっていけないと思うんだよね。

下手すれば年金引き延ばしの関係でばサラリーマンの定年が75歳になるんじゃないかって噂がある前提で考えれば、あと50年も同じ価値観を持ち続けるのかい?というのが正直ある。考えてみよう、今から50年前って1967年。当時、ロンドンに初めてのATMができた時代だ。

当然、世界初なので当時の日本になんかATMなんてあるわけがないんですよ。ちょっとお休みの日に金おろそうなんて発想持てるわけじゃないですか。だいたいクソめんどくさい窓口で銀行印が前提だ。

だからこそ、50年後までサラリーマンという職業があるかどうかなんて怪しいかもしれない。自分もそんなことを頭の片隅に思いながら生きていこうかなと考えた。

考えを書くということをやめてしまうわけにはいかない。

ろくな議題が思いつかない以前の話をしていきたい。ぶっちゃけ、今回の記事はあまり読むに値しないが、頭の中をアウトプットするという目的として動かしている。

 

最近、「ブログを書く」ということが著しく弱くなっている気がする。

短い文章だけでつぶやけるTwitterも前ほどつぶやいていない。

 

そう、おそらくインプット自体が昔に比べて少なくなっていることが原因ではないかと思う。要するに、学ぶことを怠ってしまっている。

非常にまずい。新しい情報がろくに入らない。考えることをやめたら終わりだ。

そこで本を読もうとするが、うまく読めない。おそらく集中力が続いていないのではないかと思う。

いろんなことに対して興味を持とうとしていたはずなのに、このざまだ。

自分であれだけ「好奇心を失ったものはバカだ」みたいなことを言っていたはずなのに、そんな存在にドンドンなりつつある。

 

心の原動力がかなり弱くなっているような気がする。完全に落ちてしまっているわけではないが、かろうじて現状維持をしているような感じが否めない。

 

ただただ焦りだけが自分を襲っているが、思っている以上に行動などはできていない。

考えることを辞めるということはマイノリティ雑貨店をやめることと同義だ。

考えたことをアウトプットするのがブログだというが、現状は開店休業中の白い板切れだ。

 

そして本日気が付いたことがある。

毎日、考えがまとまらないと思ったら一度はボーっとすることも大事なのではないだろうか。もしくは無心にペンやキーボードに手をかけてみる。これだけでもだいぶ違う。

物事を吐き出すためには心の余裕が必要になる。

 

そう、2年くらい前はもっと心に余裕があった気がする。だからこそ、いろんな本やブログを引用しながらいろんな文章をもっと書けていたんだと思う。

もちろん、本の習得効率が段違いであったことも間違いない。

ただし、自分の場合は医学的なうつ病の症状とかではない。

おそらく無気力な状態を続けたツケが今になってきたのではないかと思う。

 

だが、無意味だと思っていてもひたすら書き続けたり表現することは大事だ。

何もしていないときよりもだんだん活き活きしてきたような気がする。そう、無意味な文章を書き続けているとなぜか学ぶ意欲が出てきた。

もちろん当時の水準ではなく、今からすればかなり調子が良くなっている兆候が出ているのだ。いわば書くための準備運動を今まさに行っている。

 

こんな記事を書くんじゃない!という声もあるが、あまりにも脳内の文章を書く・生み出すということをあまりにもやらなすぎた。

起承転結もクソもないことは自覚している。頭の中があまりにも混沌としすぎていて非常によろしくない状態だ。このクソみたいな作業をもとにもう少し脳内を整頓できれば儲けものではないだろうか。

 

とりあえず、今回はこれで終了としよう。

オープンカーのクーラントは定期的に変えよう。快適さが違いますよ!

【冬のオープン、みなさんはどういった感想をお持ちですか】

みなさん。オープンカーの快適な季節っていつだか知ってるだろうか?

みなさんは「絶対夏の昼間だろ?屋根を開けたら涼しいよね!」

いやいや、とんでもない。日本の夏の昼間とか、一番オープンに向かない季節だ。

日本の真夏の真昼間に開けているのはただの自殺行為だ。日差しはガンガン、コンクリートからの熱はMAX、冷房の効きは弱くなるという大変デンジャラスな環境に身をおくことになる。

もし、夏に乗りたいのならば夜がおすすめ。若干湿気はあるものの、それなりに気温や日差しの条件が緩んでいるため寒くもなく快適だ。あと、虫が飛んでくるのでそこだけは注意してね。

 

本格的に寒くなる前の秋口もそれなりに楽しめる。同じような理由で春は花粉がうっとうしいことを除けば気温的には悪くないだろう。

 

だが、日本の人たちは冬のオープンカーを「やせ我慢、夏のほうが快適だろクソが」みたいなこと言い出すんですよ。

そういうこといわれるとですね、バイクに乗っている人たちにそれをつっこまないのはなんでだろうと毎回思うわけですよ。

その理由を次のところで話していこう。

 

【オープンカーは冬でも乗れるんです】

考えてみてください。バイクにあって、車にあるもの。それはエアコンやヒーターだ。

オープンカーが屋根を開けて冬でも乗れる理由ってヒーターがあって暖かくできるからなんです。

あまり日本でやっている人がいないので実際に冬のときに開けていると対向車線の人が「なんか頭の弱い子がいる・・」みたいな感じになりますが、気にしないほうがいいかと。

逆に言えば、ヒーターがまともに聞かないオープンカーはかなり寒い。

だからこそ、ヒーターを効かせる要素であるクーラント(冷却液)の交換と、そこを通る経路の掃除をしたほうがいいということになる。

もちろん、クーラント交換は慣れていない素人が簡単にやれる作業ではないため専門の業者に依頼したほうが無難ではないかと思う。

特にエア抜きの作業などがありこの作業を手抜きでやるとオーバーヒートをおこして車をお釈迦にするようなことを避けるためにも言っています。

 

【車のヒーターの原理を知り、なぜ交換するのかを理解しよう】

自分が説明するより、もっと詳しいところがあるためそこを引用しましょう。

www.sankyo-radiator.co.jp

エンジンで温まった冷却水をヒーター(小型ラジエーター)につなぎ電動ファンを取り付けてラジエーターで放熱された暖かい空気で車の室内を暖めます。

後部座席からのものは リアーヒーター(小型ラジエーター)がついています。
あるいはフロントヒーターの熱をダクトを通して噴出しています。

エンジンの温度が上がらないとヒーターは上がりません。

温度は湯量のヒーターバルブによって調整します。

ウォーターポンプによってクーラントは回転します。

風量はヒーターファンの回転によります。

風の方向は方向板によって 窓、足もと、真中、と変える事ができます。

最近は自動でクーラーと組み合わせて空調している車が多くなりましたが、原理は同じです。

 

簡単に言えば、エンジンを冷やすための冷却液がエンジン熱で熱くなる。

熱くなった液体はヒーターコアという部品(引用文章の小型ラジエーター)へ入り、そこについたファンから熱い風を送って車内を暖かくする。

ということは、この冷却液や冷却液が通る経路が詰まったり、汚くなっていては熱効率が落ちてしまうということだ。

熱効率が落ちれば、当然「暖房が弱くなる」というのは理解できると思う。

一番だめなのはヒーターコアが詰まっているパターン。自分の前の車はこの部分がかなり詰まっており、暖房がほとんど効かなかった。そのため、冬はコート着用が当たり前だった。外の気温が2度くらいの時には最大10度くらいまでしか上がらずシャレにならないくらいの状況だったこともある。

この前、自分のMR-Sクーラントを交換と清掃を依頼したところ、気のせいではないレベルで暖房が強くなった。以前は冬のオープンがきつかったが、きちんとした暖房の効きになっていれば着込む前提で乗ることはできるようになる。

 

そう、冬にオープンにできるのは、このヒーターが普通の車よりも強めに設定されているおかげである。クローズ状態で温度と風量をMAXにしていると確実に汗が出てくる。

普通の車に乗る感覚でこれをやると本当に地獄を見るので注意。

 

もし、古いロードスターに乗っている方などで「最近冬に屋根開けていない」と思ったはクーラント交換+冷却経路の清掃を依頼するなりしてみるといいかもしれない。

 

今回は以上です。

 

 

 

お姉さんタイプの魅力をギュギュっと絞ったエキスが出ているぜ!

www.tukinasikotonoha.com

www.tukinasikotonoha.com

 

 

若干こじらせぎみの記事です。あんまり真面目な書き方をしていません。

 

 

【魅力のエッセンスについて説明しようか】

この2つの記事を読んで、「お姉さんの魅力がマジで凝縮されている」って感じた。

ぶっちゃけて言うと自分のようなコミュ障オタクタイプは女性と関わる機会ってまずほとんどないんですよ。

 

ただ、今回の記事のお姉さんみたいな人と会うと意気投合できるっていう感覚はものすごくわかる。ちなみに同級生クラスでいうと、下に弟がいるような子もだいたいそんな感じの人がいる。

なんというか、素のテンションで話しても割と受け入れてくれるという雰囲気がある。

変なこといっても「あ~www君はまったくしょうがない人だなwww」みたいな。

 

もちろん、それに甘えていてばかりではいけないんだけど、そうでない人に比べると下手にボロを出さないように・・・出さないように・・・ということをやって、結果的に変なコミュニケーションになる確率は圧倒的に低い。

 

いやね、お姉さん的な雰囲気がない人に素のコミュニケーションすると明らかにテンションがね・・・やばいというか・・あれ?やっちまった感がすごいことになる。

あれは本当に胃が痛くなるからできるだけコミュニケーションしなくなるんですよ。

そしてどんどん独身街道を歩む。それが結果なんです。

 

 【恋をするためには社会の風潮に従わなくちゃいけない?】

明言されているかどうかは不明だし、これは自分が勝手に感じているだけのことだが、世の中のカップルってイメージ的に「男性>女性」みたいなのが求められている風潮があるような気がするんですよ。

なんというか、男のほうが女のほうをからかっているような図が恋愛市場において浮き上がっているようなのがメジャーだったりするわけじゃないですか。

 

そうするとですよ、「需要と供給」のモデルとしては大まかに2つあるんですがそのうち1つは選択肢として消されやすくなるんです。社会の風潮的にやりづらいところがあるというかね、はい。

1.「お姉さんがぐいぐい引っ張り、男のほうが優しい感じ」

2.「男のほうがぐいぐい引っ張り、それに女性がついていく感じ」

 

 当然、パートナー同士持ちつ持たれつでやっていかなければいけない部分はあると思う。だけど、ことのはさんみたいな前者のありかたってなかなか見ない部分があるんですよ。

もしかしたら、自分が不勉強がゆえに観測していない・できていないだけでそういう人たちがいるのかもしれない。でも、社会的に「出会いを重ねるうちに2人が恋に落ちた・・・」みたいな感じが許されるのは2番のスタイルが多いと感じる。

(誤解防止のために言っておくと、1番/2番に優劣があるとかそういうことを言っているわけではないです)

だからこそ「恋人がいない/結婚率が落ちた」という問題は、非正規雇用が多くなったなどの経済的な問題を抜きにすれば「付き合うにしても社会的な空気を読まなくてはならない」という壁がどこかにあるんじゃないかな?って個人的には感じているのだ。

 

【ことのはさん達みたいな雰囲気のカップルが増えてほしい】

半分ふざけたようなタイトルかもしれないが、ことのはさんとしおりさんが一緒になれることを自分はかなり真面目に応援しています。

ことのはさんの記事がウケたのは、こういった記事を出すことで「ああ、女性に引っ張られるタイプの恋愛の形があってもいいじゃないか」って思えるきっかけを提供できたからだと自分は感じています。

だからこそ、恋愛のあり方にもう少し寛容になれる感じの社会になればいいんじゃないかな?ということを少し期待しています。

誰もが成功するわけじゃないとは当然思いますが、新しい視点を得られたということは風潮を変えられるきっかけになる。それは間違いないと確信した記事でした。

頭の回転とアウトプットについての考察

【はじめに】

勝手に思いついたことを書いていきたいと思う。(ただし、頭の回転の話関係で結構勘違いされやすい為補足すると自分の考えている頭の回転の話は岡田斗司夫氏の「頭の回転が速い人 」という本とは考え方のベースが違います。ご了承ください。)

【読む際の注意点】

「頭の回転が速い」という言葉には、おおきくわけて2つあると個人的には考えている。なお、岡田氏の頭の回転の発想にはギアの概念があるが、自分の話はギアの切り替えではなくて個人個人が得意としやすい生まれ持った頭の回転のさせ方があるのでは?ということになります。

 

そして自分が考えている脳の持ち主は大きく分けて2つの特性があると思っている。

①低回転トルクのある脳をベースにしたもの

②高回転でパワーを発揮する脳

 

この2つを考察していきたいと思う。

まず、この図をみていただきたい。

 

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 【脳のアウトプット特性】

①の低速トルク型は一般的な会社員などに多いタイプだ。全体的にパワーの出方がフラットなのでどんな仕事も80点でこなせる。言い換ええれば合格点を安定して出せる強みがある。ただし、極端に高回転までは回せない事、まわしてもそこまでパワーが出せるわけではない。

ただ、組織の中では非常に扱いやすい特性なのだ。

ひとことでいうと①タイプの彼らは落ち着きがあり、精神年齢が高い傾向にある。

もちろん、最初からできるようなことはないが少し教えればそこそこなんでもできるような器用さを持っている。でも、極端に何かを突き詰めるタイプではないので大成功みたいな天才っぽい感じはない。

でも、安定した中程度の成功をバンバン出すには強いし、総合的な利益の総計を考えれば彼らのほうが組織としてはすごく強いのだ。

 

②の高回転型の脳は「好きなことにはものすごく強いタイプ」言い換えれば好きなことじゃないろくに頭が回らない感じである。非常にピーキーです。

端的にいえば、研究者とか哲学者、専門的な知識を必要とすることに向いている人はだいたいこういうタイプが多い。一般的にはちょっと変人だが、それくらいでないと専門的に突き詰めるという特性はややスポイルされるのではないだろうかと個人的には思っている。

だから普段の状態と、能力を発揮しているときの差がものすごくギャップがある。言い換えれば興味のないことだと結構だらしない人が多いかもしれない。

途中まではグダグダしているのだが、頭の回転数がある規定(グラフ上は数字の値が定義できないため、当人依存のパラメータ)になると急にターボまたは高回転機構がスイッチが入り、明らかにすごいものを作り出せるようなパワーがある。

ただし、気まぐれなのと会社員としてはあまりに安定性がなさ過ぎるため常識を重んじる人が彼らを扱うのには非常にストレスがたまるのではないだろうか。

高回転の特性上ムラが出やすいので、毎回やる気が出るかどうか?というのを意識しなくては本来のパフォーマンスを安定して出していけないのでそこは特に注意。

 

【アウトプット発想の違い】

気をつけなければいけないのは、双方は脳の特性だけでなくやり方の好みも間逆だったりするのだ。意外とこちらの観点を忘れると活かし方がハンパなものになりかねない。

 

【低速トルクが強い人】

①の人は基本的に規律的なやり方を好む。

目標ありきで行う「ゴール・オリエンテッド」のやり方だ。これは目標に向かってぶれないことを進めるやり方だ。逆に言えば、新しい発見とかは生まれにくいという弱点はある。

こっちのほうは一般的な会社員のやり方・教育が割と通用する。ある程度教育すれば、ほうっておいてもなんとかなる。日本人が彼らのような人を好むのは教育コストが圧倒的に低いことを評価しているのだ。

言い方を変えれば、日本の企業は決まったフォーマットの教育でしか教育しにくくなっているという点を指摘できるが総合的にこっちのほうがお得になってしまうので、組織上でそのことが指摘されることはない。社会不適合系を育てるコストは今は払えないんだろうなって気がする。

 

【高回転型の場合】

では、②の人ってどんな感じなの?というとこちらは物事をやる上での過程でブレが発生するんです。一般には

どういうことかというと、好奇心が強いから途中でいろんなものを拾おうとするためだ。そうすると本来の目的を忘れてでっかい変な塊を作りかねない。

これがうまい方向にいく場合は放って置けばいい。ただ、だいたいは変な方向に行きかねない。修正が大変なものの場合はパートナーみたいな人が修正の方向を彼らに示す必要がある。もしくは、先に決定させる必要がある。

ただ、気をつけないといけないのは「修正すべき」ということを彼らが高回転でブン回っているときに行わないこと。

高回転の状態は基本的に周りが見えていないうえにやたら頭が回っているためサポーターのパワーによっては逆に論破されかねない。もし、緊急性を要する場合は肩をたたいてでも作業を止めさせる必要があることもあるだろう。そうすると低回転気味になるので話がしやすいと思う。

逆に言えば、アイデア系の作業はいろんなものを拾ってくる必要があるのでこういうときこそグチャグチャでもいいので高回転を使わせると強い。

整理とか最終的なアウトプットの固めは①の人にやらせるとすごくきれいなものができる。

【まとめ】

どっちが使いやすいとか、優秀だというのではなくそれぞれに向いた特性があるというのが今回のお話の総論です。たしかに安定した特性の人のほうが組織では伸びやすいが、イノベーション的なものは起こしにくい。今の日本で言われる頭の回転が速いというのは、あくまで「社会の」常識的な範疇の中で安定してできることではないだろうか。

 

 

社会への適応と好奇心の低下について

今回は独自の組織論について書いていこう。忘れた頃に書きたくなってくるのだ。

だいたい同じようなことを言っているが、多少味付けとかは変えている。

 

知的好奇心に言及している記事を元に書き起こしていく。

 

zakka10wasabi.hatenablog.com

 

 

zakka10wasabi.hatenablog.com

 

 

zakka10wasabi.hatenablog.com

 

よく巷で「社会人になって変わったよね」みたいな話をすることがあるが、それはだいたい肯定的な意味でとられる。

大まかな意味合いとしては「丸くなった、キチンとした」というところが多いのではないだろうか。言い方を変えれば、組織の中の仕事だけに向き合いそれに対して適応することだ。

 

会社人・組織人・ビジネスとしての仕事能力は純粋に上がるだろう。ただ、そこにはある一種の危険があるのでは?ということに気がついた。

 

物事を淡々と、要領よくこなすことだけに強くなり「純粋に面白いという気持ち」による探究心とかそういうものはすごく削られているような気がしてならないのだ。

ただ、今回のお話で対象にしているのは学生時代(もっといえば高校生の頃)から会社員っぽい振る舞いがある程度完成されているような人物には適用できない。

それはなぜかというと、彼らの素と会社で要求されるスキル/イメージはほぼ合致していることかつ何でも好き嫌いなくこなすので探究心とかそういう熱狂的な掘り下げを本当の武器にしているわけではないためだ。言い換えればそうなったとしても問題がないし、活力が落ちるわけでもないからだ。

 

組織にあんまり向かないような人が無理に組織に適応をすると、物事の好き/嫌い/得意/苦手を淡々とこなす能力は多少上がったとしても本来の武器であった探究心などを削る代償を負わなくてはならない。そうしなければ「あいつはくそやろうだ」みたいなことを言われ続ける。

例外としてその本人特有の特殊な分野で仕事ができまくれば、そんな言葉を貫いて叩けない杭のような存在になれる場合もあるが、プラマイで凡人だと厳しい側面もある。

社会に許されない才能とかも結構あったりするのでなかなか難しいところだ。

 

もちろん、好奇心を削ったところでもともと社会適合能力の高い人たちほど活躍できるような感じではない。無理はできるだけしないほうがいい。

あまりにも失うものがでかすぎて、疲弊しきった頃には元に戻れなくなる可能性が高くなるぞ。

1番最初の過去記事(日本人の知的好奇心の低さのやつ)でも言及されているように、日本人の知的好奇心は20代で衰えていると書いてある。

スウェーデンの65歳のジジイと一緒って、もう心が定年になってるよね。

これって、完全に組織に適応しすぎてしまった結果じゃないのか?と自分は思うんですよ。ただ、誰も指摘しないしもしかしたらそんなことに興味がないので言わないだけかもしれない。

 

その社会的背景が皮肉にも反映されているのが大学の科研費だ。

 

たらればさんのツイートがなかなか厳しいことを言っている。

要するに、企業の製品開発に付随する研究はやたら強いし「すぐ役に立ちそう」な側面があるから実務的・企業的にはすごく投資する傾向が出ているんですよ。

このような形である1つの目標に向かって一途に研究・開発するようなことを「ゴール・オリエンテッド」という。

逆に言えば、大学のような研究機関は「なんでこの研究が役に立つの?」みたいなことを問われる。

特に理学系などは物事の真理を追い求める学問の性質上、研究している本人ですら何の用途に使えるかわからない領域のことをひたすらやるのだ。言い換えれば、こういった分野は好奇心の強そうな変人みたいな人が得意とする分野だ。

 

ただ、最近の大学もこういった変人を排斥しようとしている動きがあるのではないかと思う。

 

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一般に、研究者と言えば、1つの物事に執着的に興味を持つ、オタク気質のちょっと変人が多いように思われています。 って・・・そんな気がするのは筆者だけでしょうか。

たしかに1つのことを突き詰める性格は、研究者には向いている性格の1つだと思います。

 

 良くも悪くも、これは素質のひとつとしては必要だと自分は考えている。

2.研究者に必要なこと

研究者に必要なことはもちろん研究成果ですが、それ以外にも必要なことがあります。 それはなんでしょうか?ちょっと考えてみました。

  • 自身の研究を正しく伝える能力
  • 他の研究者と連携して研究を進められる能力
  • 後進(これから学者を目指すあなた方のこと)を育てる能力

自身の研究を正しく伝える能力

自身の研究を正しく伝える能力とは、自分の研究成果を的確にアピールすることです。

研究成果のアピールは、最終的には論文という形でアピールされますが、それが全てではありません。 例えば、科研費などのお金を取るときや、特に若い研究者に求められるポジション獲得のためのアピール(就活と同じ)、そして研究者から一般の方への公表の仕方などです

他の研究者と連携して研究を進められる能力

次の、他の研究者と連携して研究を進められる能力とは、その文章が示すとおり、他者との協調です。 特に大きな研究は一人では出来ないため、ある程度の作業分担は必須です。 そのため、必ずしも自分自身が重視していない研究をする場面も出てくるはずです。

後進(これから学者を目指すあなた方のこと)を育てる能力

後進を育てる能力もその文章の通り、自分よりも若い研究者を育てるための能力です。 特に、大学教授というポジションについた場合には、学生の面倒を見る必要が出てきますから、必ず必要です。

あれ?会社員と変わらなくない?

こうして見ると、研究者はごく普通の会社員に求められる能力と、そう大して変わらないように思えます。 もしあなたが、人と話すのが苦手だから研究者の道に進む、と考えているなら、それは危険な選択かもしれませんね。

 

なんだろう、オタク気質同士ならクセはあるかもしれないけど結構なんだかんだ変な協調ができる気がするんだよな。要するに、過去よりも癖のない人が多くなってきて「すごいけど変人」を許容できなくなっているんじゃ?というのと、お互いのコミュニティの親和性がなくてオタク気質の人の居場所が少なくなっているのかな?と個人的には思ったかな。

 

以上から、研究者に向く性格を以下のように考えることが出来ます。

  • 研究を突き詰めるのが楽しい人(物事に対して「なぜ?」と考えることが研究の本質)
  • 他の研究者と十分にコミュニケーションが取れる人(少なくともきちんと話が出来る人。コミュニケーションは鍛えればなんとかなる)
  • 物事を教えることが好きな人(ほっといても後輩が寄ってくるような人望の厚さがあれば強い)

もちろん語学の勉強など、絶えず自分をアップグレードできる強さも必要だと思います。

(自分の興味がある)研究だけに没頭できる人はいっぱいいます。 また、人に言われて、初めて「なぜ?」に気づく人もいっぱいいます。

でも、自発的に研究を進めながら後輩の面倒を見たり、一緒に事務作業をこなせたりする、マルチタスクの人は限られます ちょっと期待値が高めですが、あなたがそういう能力を満たせるなら、就職先には困らないと思います。

これね、すごく問題になっているんだよ。赤い太い字の能力があれば強いよね?は分かるけど、言い換えれば1人で何でも回そうとしすぎてろくに研究する時間がなくなってるんじゃないの?ってことになるし、本来は研究が主な仕事のはずなのになんでそんな事務仕事優先みたいになってるの?ってことだ。

 

ツイッターでもこのことは言っているんだけど、マルチタスクできる便利屋風情を求めてどうする気だ?ってなるんですよ。どう考えても不要な仕事とかでやりたいことを優先できない研究者じゃ意味ないんだよ。

 

基礎研究があまりにもおろそかになっていると本当にまずいんです。学問の基本となる大学の教科書だって、もともとは研究した内容を凝縮したものだからそういうのを軽視したら本当にまずいと思うよ。

 

よく話が脱線するけど、この話の要は好奇心を知らず知らずのうちに低下させていることを放置させた結果が、最終的に大学の科研費が足りない、ろくに研究ができない、人生に疲れるやつが増えまくるとかにつながってくるんじゃないの?ということを自分は考えたということです。