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自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

ノー残業デーは体裁だけか?

たまにtech総研の「理系の人々」を読むが、結構楽しめる。よしたに氏は専攻がコンピュータ系だが、割と自然科学の知識も出ており、分かりやすい説明がされていると思う。
そして今回、目に留まったのが「ノー残業デー」のことだ。文字通り、この日は定時で上がりましょうというものだ。仕事効率や、労働者の健康のことを考えれば短いほうが仕事の質をあげやすくなる。
だけどだ、どう考えても終わらない仕事量と言うものは存在する。
建築で言うなら、1日で2階建ての家を作ることは不可能だ。これには何カ月もかけてやっと出来上がるが、それでも作業員の人々はとてもせかせかと働いている。
理系の人々の舞台となる会社で「ノー残業デー」が設けられた。だが、一部の社員は納得していない。
なぜなら「残業なしにするならその分仕事は調整してくれるんだよね?そうじゃないならただ苦しいだけ」
効率が高くても、多すぎる仕事は絶対に時間がかかる。営業がとってきた仕事をこなすのはいいのだが、あまりにも短納期、要求が多いなどとなるとどうしても限界というものが出てきてしまう。
だから「ノー残業デー」というのは、仕事量とのバランスを考えなければやっても厳しいだけのものになってしまう。ただ、安い仕事しかとれないこともあるので、量をこなす必要が出てきてしまうのだろうか・・・
※誤解のないように言っておくと、残業しろということではない。そもそも、残業ありきで仕事を組むな。
効率はあげられるんだけど、原価を割って商品買ったりするとそれがほぼ水の泡。

安い仕事→たくさん取る→やること多い割に儲け少ない→会社からの給料の配分少ない→自由に使える金がない→経済が滞りやすく、消費しにくい。
あれ?詰んだ?ブラック企業は割と新しい概念の言葉だけど、昔からそういうのあって今もずっとやってるとしたら会社へのダメージって相当でかいと思う。