マイノリティ雑貨店

自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

平均化の弱点

朱に交われば赤くなるという。具体的に言うなら、DQNとばっかり付き合っているとほかの集団にいったときにDQNの感覚が常識として出てしまうような状態だ。

ちょっとギフテッド教育の話をしたい。今回は定型発達のギフテッドに対して考えたい。
(2Eの概念の場合、発達障害があるので別の話になってしまう)
「え?なんとかなるっしょwww」とか思うかもしれない。 それは間違っているわけではないが、良い答えともいえない部分がある。
あまり深い話ではないが、考える価値はあると思う。
日本という国は基本的に「空気を読ませる」文化があるわけだ。そこに、IQが高い人はみんなと集団生活を送るのだ。こういう言い方はあまり良くないと思うが、高いIQから低いIQの人を見ると「バカ」に見える。
だが、そこで協調性のない行動、この場合で言うならチートじみた能力丸出しみたいなことをやると干される環境である可能性が少なくない。=村意識、嫉妬
そこで定型ギフテッドはどうするだろうか?みんなに合わせて「馬鹿のフリ」をするだろう。
そう、ここに割と大きな問題ってあるんじゃないかと思う。本気を出せばできるけど、飛び級もできない中でやっていく。空気も読める分、こういう葛藤が本来の能力の限界枠を狭めるような気がしてならない。
「効率が悪いのは分かっているんだけどこうやらないと自分は先生(もしくは上司)に怒られる・・・」
(まぁ、彼らの場合、特性を生かして社長やっている人のほうが多いかな・・・?)
だから、いかんなく発揮させる場を作ってあげることが重要だと考えたい。親はもちろん、信頼できるような人はそういった特性を生かしてあげてほしい。
自分1人でもいける人材ではあると思うが、高いIQならではの苦悩もあるということをしっかり受け止めてあげるような人がいるとまた違うのではないかと思う。
贅沢な悩みなのかもしれないが、得意を超得意くらいにするような感じだ。