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自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

空気を読む=「ノリ」でいじめ

いじめる子供の心理の本をさらっと読んでみた。
まず、いじめる理由は「とりあえず罪はなくてもターゲットを決める」「虐げる理由は後でつけてみんなで盛り上がることが目的」なようだ。
要するに、なんかむかつくことがあってイライラする。イライラを発散させるためにいじめで発散する。
そして自分一人では不利なので仲間を集めて集団でいじめを行うメカニズムのようだ。

「むしゃくしゃしてやった」じゃないけど、半分それに近いようなところがある。

スクールカーストというものが大まかにあるが、狙われるのは下位の子供たちだ。どうやら現在のカースト上位のこどもたちは「コミュニケーションが得意」というだけの価値観だけでクラスの雰囲気が動いているようだ。
リア充のノリ=すべての権力みたいなところでは大人しくてやさしく、勉強のできるようなタイプは「あいつキモい」というだけで十分阻害する理由になってしまうのだ。
うちらのノリに合わない→出ていって欲しい→「空気読めよ!てめえキモいんだよ!」

なんというか、リア充しかいてはいけないような排他的な教室が出来上がっているようなのだ。
リア充orDQNが社長や専務ならば、その取り巻きは平社員。 地味な人たちがアルバイトや派遣(人気者でもないけど、迫害されていない) いじめられている人が無職としてカースト的には対応できる。

リーダー気質の機嫌だけで組織がガタガタ動くというのは非常に危険ではないだろうか?
ひとりくらい「ヤバい!!」と思えるようなやつがいてこそ、まともな組織(クラス)を作るうえで必要なことなのかもしれない。

そういった排他的な雰囲気の教室になんとも感じない教員が一定数いると確信している。
なぜなら、カースト上位の人たちは割と教師受けがよく、問題を起こしていることに気づかせないからだ。
もちろんバレる要素がないとは言わないので必ずしもそうとは限らない。

精神科医の斎藤環氏いわく、「いまの学級って多様性がないよね。いろんなやつがいて教室は成り立っているのにコミュニケーションがうまいやつだけが偉そうにしてるんだもの。」
だいぶ荒めに要約したので変な言い方になってしまったが、まさにそんな感じが社会全体に流れているような気がする。
本来の自分のやりたい生き方がしにくい世の中。 素朴な生き方を「そんな性格ではやっていけないぞ」と罵倒する大人。発達障害の人が生きづらくなる最初のターゲットになるのは想像するにたやすい。
多様性を許さない学級を作ったのは誰なのか?という犯人探しは時間の無駄だ。
だから、今はそれに対してどう子供に向き合ったりしていけばいいのかを考えていったほうがいいと思う。
犯人が運よく見つかっても、その人だけでない複合的な要素もあるし、結構むずかしいところがある。

しかも、会社のいじめも学校のいじめも結構原因が似通っているところがあるのでそういった性質の人がどんどん社会に出ていることは間違いない。そういった人たちにとってはこれこそがニッチなのだが、自分自身をやたら強固に守る必要があるため、いつか仲間ですら攻撃する必要がある不健全な状態だ。
もともと歪んでいたのがさらに歪んだのか?それとも、ネットが発達して事実が分かっただけなのか?
本当のことはわからないけど、「多様性のなさはいずれ退化する」のは間違いない。