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マイノリティ雑貨店

社会に関すること、自動車、発達障害などを扱うブログです。社会ブログなのか、車ブログなのかよく分からなくなってきました。

体育会系部活と社会でのバッドスパイラル

日本の部活文化がブラック企業の温床に(ニュース)
日本の学校は軍隊か刑務所(脱社畜ブログ)

これらの記事を見ると、体育会系の部活によって生み出されたブラック企業があるんじゃないかなと考えた。
50代、60代とかの人もそういう人がいることを考えると昔からこういった背景があったんじゃないだろうか。起源はわからないが、そうやって始まった体育会系独特の組織運営は積もり積もって社会問題として貼り出されるほどに数が多くなっているのだ。当然、同じ習慣が途切れずに続けばその考えに染まっていく人は増えていく。
大まかにループ図を書いてみよう。

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図式としてはこんな感じのループが起こる。生化学で例えるならまるでクエン酸回路の簡略版のようだ。
社会に出るときはまるでATPみたいだな。こんな腐ったATP、使いたくないけど。
(ちなみに、ATPっていうのは体内の化学反応に必要なエネルギーのことです。)

社畜ブログの日野さんは次のように言っている。
例えば、部活動について。野球部のあり方として、「みんなで全国大会を目指そう」というのも当然あっていいが、一方で「楽しさを失わない範囲でゆるく野球をやりたい」という考え方もあってもいいのではないか。どちらがよいとか悪いとかいうことは基本的にはないはずである。しかし現実には、学校の部活動では後者の考え方は容認されにくい。「自分の好みに応じて選ぶ」道が、最初から閉ざされている。大学あたりでは体育会の野球部の他に、ゆるく野球をするサークルがいくつかあったりするが、中学校などでそのような部活の編成は認められてもいいと個人的には思う。

後者の考えが容認されないのは日本特有の悪い文化によるものではないだろうか。
「お前ばっかり楽をしやがって」「お前も俺と同じように不幸になれ!」といったようなものである。
後者のような部活に入りたい(作りたい)と思っても、顧問教師の権限が強すぎて自由な活動ができにくい側面がある。
大学でゆるい野球サークルというものがあるのは、顧問教師の権限が割と部内に入りにくいということがある。自分は茶道部にいたのだが、顧問がくるのはむしろ稀で、来たらビックリぐらいの感覚だ。(先生が忙しいということもある)
あと、中学・高校では顧問教師に「大会に出させろ」といったプレッシャーがかけられる。
生徒だけでなく、顧問教師もこの慣習に巻き込まれている現状がある。
部活指導はほとんど給料に反映されないらしく、実質その時間はほとんどタダ働きをさせられている状態みたいだ。
部活の強さは高校のPRにもなるので入ってくる生徒が多ければ学校関係のふところも暖かくなるというしがらみもある。「うちはこれだけ厳しくやっています!」みたいなことを言っておけば、そこにしびれるという生徒や保護者にとっては非常に受けがいいのだろう。実際の黒い部分までは殆どわからないのでころっと騙される生徒も多数いることだろう。
また、体育会系はOB(さっき出てきたATPに例えた人々)との繋がりが非常に強い傾向にある。
全てかどうかは知らないが、現役世代の3年生とかに口出しをしていることもあるんじゃないだろうか。
自分のチームが勝っているのはうれしいだろうが、そのためにやり方などを強要させることはいただけない。

この考え方をもった人たちが社会にいったらどうなるか?もう一度ループを作成しよう。

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綺麗なくらい4段階のループがつながった。これが半世紀くらいつもり積もればその影響は計り知れないものになる。実際、どのくらいの人がこの感覚をよいとして考えているのだろうか不思議で仕方がない。
ただ、最近の人たちは多かれ少なかれ知恵をつけてきているので、少しずつ理不尽体育会系の考えは弱くなっていくだろうとは思うが、定年の延長により風潮をつぶすのはまだ時間がかかりそうだ。

集団のことがあるので組織そのものを変えることはできないが、自分だけでも意識そのものは気をつけることができる。転職が簡単にできる時代ではないし、組織がとんでもないとわかってしまった時は絶望するかもしれない。だが、いつでも自分を守れるような証拠立てとかの準備はしておくだけでも大分違うと思う。
そうすることにより、集団心理の結果としてできた腐敗を止めるきっかけにはなっていく。
非体育会系の戯れごとにすぎないが、こんなところでおしまいとしましょう。