マイノリティ雑貨店

自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

自明なことの喪失

定型発達の人にとってほとんど当たり前のこと。(身体障害を持っている場合だと、状況が変わってくるのでその限りではない。)
これは一般的に常識といわれるものといえるものとして扱える概念ではない。
「人生はこういうものだ」とかそういう説教臭いもので決してない。
下手すれば、自閉特性・不注意・衝動特性を持つある人は持っている特性かもしれない。しかし、ある発達障害特性を持っている人にとってはありえない場合がある。
具体的な例をあげると、感覚過敏(鈍磨)が一番分かりやすいのではないだろうか?
電車の中はうるさ過ぎて苦痛になってしまったり、においの感覚が脳で増幅されて人ごみへ行くと倒れそうになってしまうようなことは多数の人が持ちにくい悩みではないだろうか。
自分も特に感覚過敏の関係で生活に支障が出ているようなことはない。
そう、感覚が違いすぎることにより、共感を持つどころか別の世界に生きているような状態になってしまっているのだ。
決して、当事者は共感する気がないわけではない。当たり前の基準が多数と比べてずれてしまうので人からの誤解を強く受けやすくなってしまうのだ。
発達障害者の仕事における苦労というものは、割と定型発達者には受け入れにくいのかもしれない。
やはり、困っている次元がほかの人と違うからだ。
今回は短めにまとめておわりとする。