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自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

SNSにどう向き合うべきか?

twitterFacebook、LINEはとても便利な意思疎通ツールである。
言うならば、「メール」の進化版と言い換えればいいだろうか。携帯電話だと自分のまわりが殆どだが、これらの2つやSkypeなどネットを通じたツールは世界中で連絡を瞬時に取り合うことができるわけだ。
どっかの社長とかと意思疎通をすぐにしたいという人にはこれらほど向いているツールはないだろう。
どうでもいいが自分は面倒なのでやってないし、やる気もない。twitterfacebookはまだしも、LINEは実際の友人がひっきりなしに話してくるような感じでうっとうしくなるので、勘弁願いたい。そんな密なコミュニケーションを毎日やりたいとかどんだけべったりしたいのかな?と思っちゃう。

当たり前のことと、てめえのことに興味などねえ!という罵声が浴びせられるだろうと思うので話を本題にして進めていきたいところ。
SNSで疲れている人が結構いる。いろんなところでもこういう話題は扱うことが多いが、この現象が起こる原因について考えてみたい。

考えられること1つ目「登録人数が多いほど、人格が素晴らしいと思われること。」
こういった風潮があるが、ちょっとこれには疑問を呈する。登録数増やすだけなら、知らん人に無理やり話しかけて顔色うかがいながらIDとか教えてもらえばいい。果たして、見栄のためにいろんな連絡先を交換することに満足していることに意味はあるのだろうか?やっていることは交流会で名刺を無駄に配る人と変わらないだろう。名刺をいきなり渡されてもだいたいのケースは燃えるゴミの袋の肥やしになる可能性が高い。
FacebookTwitterとかで見栄の登録数を増やすのはそれのデジタル版になる。
もちろん、薄いつながりが悪いとは言わない。濃いつながりと薄いつながりがあるのは自然なことである。
素晴らしいと思われるためにつながりを無理やりもつというのは非常に滑稽だ。
わざわざ気を使って、連絡予定のない名刺交換ごっこをするなら、家で寝てたほうがよほど健康的じゃないかな?
あと、風潮の言葉の逆をとるとしっくり来る。
「人格がすばらしいと思われるほど、登録人数が多い」
これは正しいと思う。魅力的だから人が来る。そしてこの対偶は正しくない。「登録人数が多くないならば、人格は素晴らしくない。」
会ってろくに話してもねえのに、登録数だけでろくでもないと決めつけるやつのほうがよっぽどろくでもないよ。

考えられること2つ目「連絡を絶えず取っていないと仲間外れみたいで嫌だ」
個人的にはあまり同意できないが、こういう人が多いようだ。集団に属していることで安心できる人ならばその主張の通りに感じるのは当然かもしれない。スマホをずっといじっているのはだいたいLINEで通信していることが多い。友人の中でも結構使っている人がいる。
正直、携帯のEメールの往復ですら割と面倒と思うのだが、別に人が嫌いなわけではない。
会って話したり、遊んだりするのは気の合う仲間なら楽しい。しかし、LINEありきでコミュニケーションというのはいささか疲れてしまう。既読で「返信しない」ことに変な気を使ったり、あんまり長くメッセージが送れないので細切れになりがち(細切れはSkypeも同様)になる。ちょっと放置すれば、スマホの履歴にはメッセージ16件とかいうレベルでボックスにたまっていく。もうね、ヤンデレ彼女からのメール着信かと思うくらいだ。

もちろん、依存しすぎなければ久しぶりに連絡を取り合ったり、みんなで話すにはすごく便利だ。
問題なのは、依存しすぎでLINEやFacebookばっかりやっているようなことだ。楽しいからって毎日友人の家に行くだろうか? おそらく通い妻でもない限り鬱陶しがられるだろう。
つながりが強くなりすぎることによりプライバシーと友人に話せることの境がなくなるということがあっちゃいかんのですよ。適切な距離感をもう一度確認しよう。

え?適切な距離がこれだって? そうだろうか? お友達はちょっと休みたいと思っているかもしれない。