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自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

恐怖と服従

ずっと前から気になってしょうがなかった記事がある。
社畜ブログ「怒鳴る上司に、怖い先輩――「恐怖」で人を動かそうとする人たち」
育児パパのあったか・やさしい発達障害談義「「子どもをしっかり叱らないから、なめられてるんじゃないか」定型の常識の押付けが母と子を追い込む 」
この2つの記事をからめて話題の見解を広げていきたいと思う。

さて、恐怖で人を動かすということ。なぜ、恐怖で人を動かそう(服従させる)とするのか?
日野さんは恐怖で動かす人にこのような評価をしている。
間違った行動をした人に対して、恐怖を与えることで次はもうそのような行動をとらないようにさせる、というのは動物に対するやり方そのままだ。こういったマネジメントの方法は、人間に対してはあまりよい効果を生まない。確かに、怒られた人は「もう二度と怒られないように」と注意はするだろうが、その分間違いなくモチベーションは低下する。仕事の主眼が「価値を生み出すこと」から「ミスをしないように注意すること」にシフトし、仕事の質も二流のものに成り下がってしまうだろう。

それは恐怖で動かす人の中ではおそらく「厳しくされた(理不尽には気づかず)から今の自分がある」という考えがあるからではないからだろうか。だから、厳しくしたほうが自分の中ではいいし、論理的で優しい指導では人が付いてこないと思っている可能性があるということだ。
人はどなり声などで恐怖を感じると脳の扁桃体の部分が活性する。ずっと怒鳴られてきたような人にとってはそういった怒鳴る刺激は条件付けされてしまう。そして、怒られることは怖いということがかなり本能レベルで染み付いてしまうのである。どなられすぎて刺激が強くなると本来通じるはずの丁寧なしつけ方では役に立たなくなる場合があり、これが当然なんだなと感覚のマヒのようなものになってしまう。

日野さんの意見(社畜論?)は脳科学でも証明できている。恐怖政治はある意味プチPTSDで仕事をさせるようなもんだ。とんでもないよ!

DQNなどが先輩などにしばかれるまでは暴れているのはそういった側面があるのではないだろうか。
おそらくAC(アダルトチルドレン)家庭で起こる虐待の連鎖も同じようなループが繰り返されているのはこれと同じメカニズムだろう。
ただし、その状態になっていることに自分で気づけばその状態をやめる方向に努力していくので次の世代へ連鎖していくことを防げる。
もう一つの話題に移ろう。「子どもをしっかり叱らないから、なめられているんじゃないか」という風潮によるものだ。怒鳴ることで子供が委縮する→条件づけられてやめるようになる。
ただ、これは扁桃体が正常に機能しているうえで、正しい条件付をしているから可能なことである。
むやみやたらに怒鳴り散らすのは、扁桃体の感度を上げすぎてしまうので条件付けは悪くなる。
発達障害の当事者の場合、扁桃体の働きが定型発達とは違う可能性がある。
まだ研究が日本ではそこまですすんでいないので細かいことまではわからないが、自閉傾向の人では扁桃体からつながる問題があることは言われているそうだ。
だから、自閉・多動タイプの叱り方は独自のものを考えていかなければならないのに、まわりの同調圧力のようなものでパニックなどにならざるを得ない教育にしなければいけないのは本当に残念だ。
「甘い」ただ批判するのではなく、「なぜこの叱り方なのか」をせめて聞いて納得できるような体制を作るだけでも変な誤解はなくなるのではないか。もちろん、すぐに浸透するとは思えないが知識が正しく広まっていくことは重要だ。もちろん、犯罪を犯したらそれは追及しなければいけない。
まぁ、子供の学校内犯罪(いじめが発展したやつ)が治外法権な話はまた次の機会にでもやりましょう。