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自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

コミュニケーション能力と「考えること」

情報化社会で真の知識人は「コミュ障」の人間(角川歴彦×川上量生対談)
※2ページ目から読むことをおすすめします。

リンクでドワンゴの社長が言っていること。(面接の有料化に関してはろくでもないと思っているが、この「どういう人が知識人か?」という視点はいいと思う)
会社で仕事ができる人っていうことの区別にはこの2つの視点が欠かせない。水色は抜粋部分。


どういうことかというと、まさに今、知識じゃなくて情報の社会になっているというのを僕なりに言い換えると、知識が情報によってのみ込まれている時代なんです。昔は情報が少なかったから、みんながそれぞれ自分の頭で考えていたけど、今は情報がたくさんあるから、みんな自分で考えなくなっているわけです。何か与えられた知識を借りてきて、それが自分の知識だと開陳する人たちが増えている。だから、学校に提出する作文やレポートも、ググってコピペで済ませてしまう。そういうことが起きるのは、まさに知識が情報にのみ込まれているからだなと思っていて。そんな情報化社会においても知識人たりうる人はどういう人かと考えると、やっぱりこれは「コミュ障」だなと思っているのです。コミュニケーション障害。要するに、人付き合いが下手な人間なんですよ(笑)。


要約すると、論理が頭の中で自己完結しているようなタイプの人が本当の意味での知識を持っているということになるのだ。コミュ力のある人は知識がないわけではないが、そこまで深く掘り下げないのでどこかの受け売りみたいな感じになることをいいたいのだろう。
引用が多いけど、ドン。

たとえば、「国債の赤字はよくない」という現実に対して、「なんでよくないの?」と思う人と、「そうか、よくないんだ」とそのまま受け取る人がいる。そのまま受け取る人は他人の「知識」を借りてくる人、「そもそもなんでよくないの?」というところに興味がいく人は、自分の頭で「知識」を生み出す人だと思うんですよね。
こういう人は手を動かさないのです。仕事をしているときも、そのままやればいいのに、根源的なところが気になって仕事にならない(笑)。クリエーターでもそうで、やはり根本に疑問が行く人は、概して優秀なんだけど仕事は遅い。



個人的な意見で付け加えると、コミュ力がある外交的な人は人から情報をもらってくるのは割と早いと思う。詳しい人とコネがあったりしてそういうことを話し合っていることが多いからだ。飲みにいくことも多いので深い話で対談しあっているだろう。
ただ、持ってきた知識をひとりで考えるようなタイプではないので、そういった意味では内向的な人のほうが圧倒的に有利であり、考える習慣は付くだろう。
根本的なところというのは非常にシンプルだが、その周りにいろんな情報が付いているので分類しながらそれを掘り進めていくのはコミュ力のある人の得意分野ではないと思う。
それだったら、その知識をそのままやってみようというのが外交的な人が好むやり方だ。
日本ではそのままやってみようというのが好まれるので就職面接などで「コミュニケーション能力」というよく分からない物を求める傾向にある。
実際、深く考えすぎることを嫌う会社では外交的な人のほうが仕事ができると認められる。
そして、発表するのも早いので、世の中には出やすい。アップルの共同経営者で言うなら、やってみようというタイプがスティーブ・ジョブズ。根本を考えるのが好きなタイプがスティーブ・ウォズニアックだ。言葉をしゃべることに問題があるとかそういうことではなく、人に話す前に完璧にしたいのではないだろうか?その完璧だと思うレベルが、外交的な人のほうが低いレベルで完結しやすい。
さて、ここまでは自分の考えだが、社長の次の言葉をどうぞ。


僕は、ネットには隠れた論客がまだまだいるなということをすごく感じています。従来のマスメディアに出ている知識人は、フィルタリングした知識を拡散する拡声器のような役割を果たしてきた。自分で何かを考えるというよりは、どちらかというと、マスコミというフィルターが集合知になっていて、そこで決まった公式発表のスピーカーみたいな人たちが多かった。
そうした人たちは、コミュニケーションをいっぱいしているので、たぶん時間が足りないのだと思うけれど、何かを深く突き詰めて考えている人は少ないなと僕は思います。


コミュ力を重視しすぎると今度は深く考える人がいなくなる。すべてが行動しない人ではさすがにまずいが、考える人が何人かいると間違って行動している人に指摘をしやすくなるので修正がききやすい。間違った頑張り方で国がダメな方向に行くことだってあるのだ。え?もうダメだって?