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自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

学校で勉強以外の要素を学ぶとき(なぐり書き)

散らかし気味に書いていこう。まとめるにしても要素がめちゃくちゃだ。
学校という組織は授業をやって勉強させる。よくもわるくも最低限の教養はつくだろう。
(もちろん、やる気や好奇心の有無により同じ教育でも知識に差が出る。)

集団生活、作業に耐えること、コミュニケーション、精神と実際の状況の葛藤、休み時間に自分の好きなことの知識を深め、友人と共有し合う。(議論も含む)

かなり大雑把に書いたが、こういった側面も教育にはある。日本の学校はこういった要素はすべてやっており、これだけの項目を見る限り好奇心を学んだり、意見を主張するうえで問題はなさそうに見える。
だけど、学生自身の好奇心や意見主張というのは空気に縛られた範囲の中でのものがほとんど・・・
カリキュラムとかを実際に組んだ経験はないので、実学的なことは分からないが細かくやっている割にはなんか生徒自身の質がなんかぱっとしない感覚がある。

目の前を生きるために空気に縛られた行動をせざるをえないのだろうか?だが、それでは確実に説明不足だ。行動力とかのことも考慮に入れないといけないから。行動力のあるやつは目立つには目立つのだが、濃すぎて何人もがやっているように見えるときがある。

やっぱり、ちょっと前に考える人はコミュ障ぎみとか言ったことがあったような気がしたが、小学校の頃からそういう気質ってどのくらい相関があるのだろうか?いや、保育園や幼稚園からのほうがいい。
おゆうぎやるにしても、「なんでこんなことやってるんだろう?他のことしたいのに、みんなと一緒なんて嫌だ」とか考えているやるとかいそうだし。 でも、幼稚園とかなら衝動的に逃げ出すやつもいるから案外不思議じゃないのかも。

下手に空気読めちゃうと言いたくても言えないし、なんか本心と建前の差が激しい人生を生きないといけないわけだ。 あ、中島義道氏の小学生時代だこれ。 「なんで中島君は(写真撮るときに)笑わないの?」 「ばからしいから。」 
いっそのこと、ここまで言動を突き抜ければ怖くないのかもしれない。
分からないことは聞きたいのだが、おとなや先生に聞いちゃいけない質問というのもあるわけだ。
聞いて怒られるか、黙殺されるか、聞けなくて発狂しそうなほどもやもやする、もう質問内容がどうでもよくなる。具体的にはなんだろう・・? ちょっと思いつかないが、領域や状況によってボーダーラインがあるのは間違いない。

学校で校内犯罪(通称:いじめ)とかを集団でやられている子はスクールカーストの順位が低い。
高いグループが低いグループに向けて秩序を保ちながら攻撃・威嚇をしていく。なんというか、なわばり争いを幼いうちから習得して実行しているのか? なんか、やらないといけない事情でもあるのか。
親の教育の影響にしては、ずいぶん高レベルだし第一そこまでやる手間もおかしい。
 単純に自分が虚勢を張って本当に強くなった気分なのか? たまたま体格がでかければなんとかなっちゃうケースもあるんだろう。
友人がやっているから 仕方なくの部類の人はだいたい取り巻きだ。主犯格がいじめをやめればだいたい問題ない。 しかし、校内犯罪といわれるくらい学校の陰の内部っていうのは怖い。
教師の知らぬふりもあるけど、明らかに生徒の意識もちょっと尖っている。なにがそうさせているのかがわかれば解決する。

いじめを休み時間に学んでも人格形成にろくな影響はない。ほかの国がどうか知らないけど、体育会系の風潮ってこのいじめみたいな集団攻撃の意識から生まれているんじゃないかな。妙に1人が権力をもってそれに従がわせる(団結させる)カリスマ性はともかく、それがゆがんだ方向に行っちゃってるのがね。

ブラック企業の疲弊で親がギスギスしている家が多いからそれが子供にも伝わるのか!?
それだったら確実に学校生活の悪影響だっ! ぐれるということは子供が不満をためこんで出た末路。

このぐちゃぐちゃの要素から考えると生徒の周りにある重い空気が好奇心を奪うんじゃないかな?
機械の外側はピカピカでも、中はオイルや錆でギトギトみたいな状態だよね。