マイノリティ雑貨店

自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

若者の大学に関する本音

「喋りたい若者たち 喋らせない大人たち」という本はとても熱い本だった。大学生や20代会社員の人たちっが中心になって、本音をぶつけ合う。半分くらい喧嘩っぽくなっているところもあるが議論とはこういうものじゃないだろうか?ということを知るには最高の本だ。
その中でも、高校卒業した後に無職になった青年の日本の大学に関する意見がやや暴言ぎみではあるが素晴らしい。(口頭での話らしい)
引用していきます。

日本の大学はクソだと思います。要するにウンチなんです。したがって、大学生はクソにたかる銀蠅です。ざまあみろです。ガリガリ勉強して偏差値トップクラスの大学に行こうが、まったく勉強しないで自己推薦で入ろうが、日本の大学なんて付加価値がつくような授業なんか一割も行われていないんですよ。日本の大学を評価すると、確かに偏差値という入口の評価はあるけど、出口の評価なんて存在しない。でも、多くの親たちは偏差値の高い大学にわが子を入れたがる。高いローンを払って家を買って子供部屋を与える。そして、こういうんだ。「お父さんとお母さんは、あなたが勉強に集中できるようにこの家を借金して買ったのよ。だから、あなたのやることは一生懸命勉強することなの。お父さんもお母さんも一生懸命働いてがんばって勉強してね」って。馬鹿野郎ですよ、こういう親は。
受験勉強に向いている子って絶対にいると思うんです。そういう子はどんどん受験勉強したらいいと思う。
でも、受験勉強なんか嫌いだ。好きな動物の飼育をもっとやりたいとか、(中略)いろいろな個性があると思うんです。でも、親どもは金太郎飴のように、子供を偏差値の高い小学校や中学校や高校や大学に入れたがる。わが子を自分のステータス・アップの道具だと思っていやがる。クソですよ、こういう親は。
偏差値の高い大学に入ると大企業への就職率は確かにいい。でも、大企業なんかどこがいいんですか?大銀行はつぶれるし、ゼネコンだって生命保険会社だって多すぎる。それに終身雇用が崩れて実力主義社会に
移行しつつあるのだから、偏差値の高い大学を卒業したところで、個人的に業績を上げられなければ、評価はされないはずです。(中略)
なのに、母親はわが子を相変わらず偏差値の高い学校に入れようとする。父親は大学の卒業証明書なんて、たとえ一流大学のものだろうとたいした賞味期限じゃないってことがわかっているのに、それを妻に主張しない。そんなこといったら、じゃあ、あなたが子育てに責任を持ってくださいよ、あなたが社会で実力を発揮できるような人間に育ててくださいよって迫られるのが分かっているからよけいなことはいわない。
父親も母親同様にクソです。
学生にも大いに問題がありますよ。入った大学で付加価値がつかないならば退学したらいいんだ。親に授業を払ってもらいながら、大学で勉強せず、アルバイトした金は自分の遊びのために使う。こんなモラトリアムなんて許せない。あなたたちに訊きたいんだけど、なぜ、大学に入ったのですか?



すごく長い言葉だが、しょぼいレベルの大学生をやっていた自分も思うところがある。もちろん、学歴順や面接官の好み、企業独特の学閥もあるので彼の言動だけではちょっと足りない部分もある。だが、大学へ行くためには勉強することしか手段がないこと、子供本人の意見をほとんど聞く気がないことに関しては大いに賛成できる。あとは大学に入ったのに勉強しないのはもったいないと思う。どっかの大卒のおっちゃんに何か専門知識聞いてみ、だいたい忘れてるよ。大学に限らずなにか勉強している人はやっぱり話していると分かる。
ここ最近は就職活動がおかしいくらい激化しており、東大卒のニートも珍しい時代ではなくなった。
ブロガーのphaさんだって立派にニートとして活動しているが、京大を卒業できるほどの頭脳の持ち主だ。
大学を卒業したから立派な会社員になれるというのはもう、幻想なのかもしれない。
実質、卒業証明書というのは卒業できたということだけを示し、就職の実力とはまるで関係のないことだ。
ただ、学歴が高いと「優秀な人を探す」というクジ引きの確率は高くなるのは確かだ。
ここ最近はくじ引きの外れ(会社員向きじゃない)のがもっと表面化したんだと思うので、決してただの無能としてつぶされるのかと思うと、悲しくなる。
だから、何らかの形で支援ができないだろうか、考えていきたい。ただ、自分はその方法がわからない。
発想をまとめるしかないか・・・