「自立」と「自律」の違い
「不適応能力」という本を読んでみた。師友塾という塾を経営している大越俊夫氏が語る、人を良い意味で「非常識」に育てた経験を語っている。今の日本社会に適合できずにひきこもってしまった子供を素晴らしい人格に育て上げている。
日本の常識人からはかなり疎まれそうな本だが、常識が嫌いな自分にとってはとても読みやすい。
なんというか、実業家の家入一真さんみたいに一度ひきこもってしまっても、大成功できる余地はあるんだなということを認識できる。こういうことを試みたいものだ。社会に順応させる教育など、愚の骨頂だ!!みたいなことを言っているので一度目を通していただきたい本だ。というか、官僚の連中らに読ませたい。
著者いわく、「自立」と「自律」の違いがあるそうだ。なんだそれ?と思ったが、読んでいくと納得できた。
まとめるとこんな感じだ。
「自立」:経済的に自活できること。(要するに金稼げるから、親の助けがなくても生活費に困らず生きていけるということ)
「自律」:自分の考えをしっかり持ち、自分の規範に従って行動できる状態(精神的に成熟しているということ)
基本的に日本の中では前者の考え方がほとんどであろう。実質、金を稼いでいない奴は喋るなというような風潮がこの国にはある。
今のところ、これを打ち破ってくれているのは自称ニートブロガーのphaさんくらいじゃないだろうか?
言葉の意味はともかく、大きな問題がある。
この日本で過ごすには2つの「ジリツ」が両立してはならないのだ。精神的に大人かつ、経済的に安定する状態を保つことができないということになる。
団塊のおっさんたちが大好きな言葉、それは「空気を読め」とかそういうものだ。
昨日の記事でも言ったが相応性がなければ出世はできない。自分の考えを持っているやつは「邪魔」なのだ。
当然、上位の階層にいる人たちは基本的に「上に媚びへつらい、長いものに巻かれて何も考えてこなかった人」になるのでございます!
筆者の言葉でいうとこうなる。
自律が自立の邪魔になるというケースがいまの社会では多々見られるのです。つまり「精神」というものにこだわるとお金の苦労や生きにくさがついて回る。よって、経済的自立のためにはよけいなことを考えずに、社会の常識やルールに従っておとなしく生きていくのが賢明であるということになるわけです。
生きていくために企業に対して「魂を売れ」ということを社会は公言しているわけですよ。
ゲームが好きな人はこの台詞をどこかで聞いたことはあるだろう。「力がほしいか?」
これは悪魔に自分の魂を売り、強大な力を得て破壊の限りを尽くしたりする。炎を吐いたり、人を操ったりしているわけだ。だが、だいたい最後に代償が来るのがオチになる。
そして、これが日本社会では就職活動業界の連中がまだ元気な学生をこの悪魔の発想に取り込んでいく!!「金がほしいか?」とささやきながら・・・。そして変身した最終形態がなにか分かるか!?脱社畜ブログの日野さんが言っている「ゾンビ型社畜」だよ!!
生活のために魂を売らざるを得ない。これが世間体的に「自立」というのなら、発想はガキのまんまだ。
だって、「自律」していないんだもの。だから、本当は両立しなきゃいけないんだな、この2つのことは。
ホリエモンとかそういった人たちはたぶん両立しているはずだよね。ただし、一般人はホリエモンとまでは言わなくてももう少しこじんまりしたレベルで両立を目指すべきだと思う。
なぜなら、そんなことをしていると精神力が持たなくてゆるくしないと続かない。ギネス記録ねらうとか孫正義みたいになりたいなら話は別だけど。