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マイノリティ雑貨店

社会に関すること、自動車、発達障害などを扱うブログです。社会ブログなのか、車ブログなのかよく分からなくなってきました。

GDPを重視し、人間を軽視した政治の末路

声に出して言いにくい「日本の大問題」第2回 藻谷浩介×湯浅誠 人口減少社会 日本人が「絶滅危惧種」になる日 地方が消滅し、都会は認知症の老人ばかり

絶滅危惧種について、視点を変えてもうひとつ話していきたい。1つの記事でやると話がくどくなるうえ、脱線するので2つの記事に分けていきたい。

経済も社会も不安だし、支える制度もないから若者は子供を作ろうと考えない。この負のスパイラルが少子高齢化、人口減少を加速させていく。そうなることは、みんなわかっているはずです。これだけ統計的なデータが示されているのですからね。わかっていながら、見て見ぬふりをしている。


しわ寄せは若者ですね。勘弁願いたい。

藻谷:私は今の「経済成長が何よりも大事」という風潮自体が問題だと思っています。日本のGDP(国内総生産)は戦後ずっと成長しっぱなしでした。不景気だったはずのここ20年を見ても、総じて横ばいで減っているわけではない。貿易額に至ってはバブル期の1・5倍に増えている。その一方で子供の数は半減しています。カネを基準にすれば成長はしていても、人を基準にすれば衰退です。これが幸せと呼べますか。それなのに今の安倍政権は、まだGDPを押し上げる政策ばかりを旗印にしている。

湯浅:株価が上がっても、人口は増えない。

藻谷:アベノミクスで「円安だ、株高だ」と言っていますが、その円安のせいで日本の経常収支は昨年後半から、ついに赤字基調になった。日本からどんどんカネが出て行っているのに、「これから内需回復だ」と言っている。円安で輸入している燃料や原材料も値上がりし、国民の生活コストは上がっている。しかしほとんどの人の賃金は上がっていない。ですが、家計から支払われるコストが増えるとGDPは上がるんです。おかしいでしょう?

湯浅:介護や子育てのコストも、上がるとGDPが上がる。子供が増えない社会を進めたほうが、成長していることになる。

藻谷:欧州では子供に対して日本の4~5倍の予算をかけ、少子化を食い止めています。一方、日本では、輸出大企業を優遇して経済成長というのが最優先のまま。



ここで考えるのは、なぜ日本はGDPをやたら重視し、生み出す立場となりうる人間の軽視を行っているのか?大企業は基本的に資金が多く、コネも強い。そこに媚びておけばうまくお金が入ってくる構造になっているのではないか。そんな楽な方法を政治家が見逃すはずはない。また、この非人道的な行為をやるうえでやりやすい風潮が日本にはある。そして、国民の間で内戦を起こさせ、思想の布教に成功している状態だ。
そして、少子化になっても総理大臣や政治家たちの生活には何の影響もないし、子供が自分たちの家族の中でできてしまえば後継ぎの問題もないので痛くもかゆくもない。GDPを上げさせれば間接的であれ、彼らの税収は増えるのでそれだけが最優先事項になっている。

湯浅:日本にはもの凄く強い「勤労イデオロギー」があるからでしょう。「働かざるもの食うべからず」の精神です。現役世代が多い時代はそれで良かったかもしれませんが、今の日本には働ける人が2人に1人しかいない。

高齢者や障害者に対してはいたわりの精神があり、介護離職者にもそれなりの理解があるけど、そうではない現役世代で仕事がない人間や妻子を養えていない人には「人間失格」という烙印を押してしまう。こういう考えの人は年配の富裕層に多くて「私たちは戦後の酷い状態でも子供を生んで子育てをした」という自負心がある。

藻谷:だから頑張りなさいと。しかし彼らもこれから必然的に年金も減るし、介護も受けられないという問題に直面する。現実を目の当たりにすれば、勤労イデオロギーが通じないことは、わかってくれるんじゃないでしょうか?



そこまで物わかりが良かったら、この問題はとっくに解決していると思うのは自分だけだろうか?目の前の年金がなければ「若者が頑張らないせいでわしらの年金が減って介護が受けられない!」とかいう文句をいうやつが出てくる可能性がある。藤原智美氏の「暴走老人!」に出てくるような人たちなら普通に言いそうだ。
彼らの勤労イデオロギーの精神をひん曲げるのはおそらく一枚岩じゃない。
戦争後の努力を踏みにじられたという思いがあるからだろうが、今ほど流動性の低い社会ではないため状況があまりにも違う。そこらへんを勘違いしている人が多い。

湯浅:はい。自己責任論は、働けないということも含め、うまくいかないのはすべてその人個人の責任だという考え方。日本人の根っこには勤労イデオロギーがあって、それが近年の経済第一の競争社会の中で強まってしまった。働けない奴は振り落としてしまえと。仕事がないのも子供が作れないのも、介護が受けられるだけのカネがないのも、「結局その人の頑張りが足らなかったからでしょう?」という風潮になった。



終戦からもう70年弱くらいになるのだろうか?もう明らかに社会状況が変わってもおかしくない頃なのに、精神的には何にも変わる様子がない。そして、今は明らかに努力馬鹿みたいな状態が無駄ということを認めたがらない。いや、認めたら負けだと思っている。某ニートの名言みたいになってるじゃねえか!

藻谷:そうですね。私たちは何も経済成長そのものを否定しているのではありません。しかし経済成長だけを求め続けると人口減少に拍車がかかり、消費する人がいなくなって、結局は経済成長の足かせになる。このパラドクスに日本人は気付いていない。

湯浅:同感です。途上国型の成長ビジョンから、成熟型の成長ビジョンへの転換が必要です。自己責任論で誰かを排除するのではなく、みんなで支えあう包摂社会を目指したいですね。



現在、社畜的自己責任論を唱えているバカは中東で内戦やってるイスラム教の連中とレベルは一緒だ。「宗教のことで戦争なんてばかみたいな事やってるよなあいつら。」と思っている人は少し考えてみてください。
労道(社会人の常識)というカルト宗教の教義の中で、「社畜が社会のレールから外れてしまった人を迫害している様子」は完全に内戦です。この内戦に武器や銃弾はないけど、精神的に大きな負担を与え続けている。そして暴力やパワハラもあるから単純に精神的なダメージだけではない。しかも、たちが悪いのは社畜側の人間が一方的に攻撃しているということだ。これははっきり言って平和な国へテロ行為をしていることとほぼ一緒だ。平和な国は銃弾への対抗手段が乏しくなりがちだ。しかも、この内戦では毎年3万人という死者も出ている。自殺という形で・・・ 結局、暴力的な要素が内部に向けられているだけで、本質はまったく一緒なのである。

だから、もうこんなくだらない内戦はやめましょうや。まぁ、政府がけしかけて国民がそれに納得している以上終わらないだろうけど・・・。