マイノリティ雑貨店

社会に関すること、自動車、発達障害などを扱うブログです。社会ブログなのか、車ブログなのかよく分からなくなってきました。

柔軟な人格はゆとりの部分から生まれる

数ヶ月前にホリエモンの「ゼロ」を読んだ時にこんなことが書いてあった。「私は絶対8時間の睡眠をとる。16時間の中でどう仕事をするか考える必要があるから、眠らない人よりも時間を有効に使わなければならない。」
彼のイメージとしては「眠らずにバリバリ仕事をする企業家」と思う人もいるのだろうが、予想に反して睡眠時間はとっているようだ。もちろん、悪いことではなく健康にとってはいいことになる。休息を取っているのでパフォーマンスもしっかり出せるメリットとなるわけだ。

このことを前置きとして、少しずつ話題を進めていこう。
子供の時間の無駄を恐れてはいけない-街場のワーキングマザー日記

4歳の息子は保育園に通っています。平日の5日間、朝から晩まで集団生活を営む子供たちは、お絵かきしたり、生活習慣を身につけたり、友達同士の人間関係を学んだり。高度な早期教育なんて受けていなくても、頭と心をフル稼働させ、多くのことを学んでいます。
それなのに、お友達の中には、週末に2個も3個も習い事を入れられたうえ、今週は遊園地、来週は水族館、その次はホームパーティ…とイベントが目白押しで、週末の度にSNSにその詳細報告が書き込まれている…という子がたまにいます。
もちろん、我が家もよく遊園地などに出かけますし、体力が有り余っている息子に、そろそろスイミングスクールくらいは行かせようかとも思っています。それでも、あまりにビッシリと予定が詰まっている話を聞くと、「週末くらい、もう少しボーッとさせてあげてもいいのに…」と、他人事ながら思ってしまいます。完全に余計なお世話ですが。



どうやら、今の幼稚園児(保育園児)は忙しい傾向にあるようだ。

保育園はだいたい朝から昼の4時くらいまでが滞在時間の相場なので、毎日だいたい会社員の定時と近い時間を過ごしているわけだ。たとえ保育園や幼稚園が楽しいとしても、彼らにとってまったく負担のない時間ということにはならない。

みんなと一緒にダンスしなくてはいけないし、勝手な行動をすると先生に怒られたりもする。

(当時の自分の感覚で言っているので、あまり参考にならないかもしれない)

4〜6歳くらいの子供は基本的に遊ぶことが大好きだ。遊びを通して学ぶといってもいいくらいだ。だけど、今の時代の教育熱心なエリート人にはそれがどうも「無駄な行為」に見えてしまうようだ。
なんというか、子どもが遊びを通して「興味」や「得意なこと」を探す前に親が無理やり潰しのきく特技を付けさせようという風潮がすごく強い。

おそらく、そこまで待っていると実力的に置いて行かれる、もしくはほかの母親からの圧力に押されるという背景があるのだろう。
子供は親の期待の習い事に「興味があるふり」をして育っていく場合もあると考えると、それこそ無駄になるんじゃないだろうかという気がしないでもない。

技術はつくだろうし、まったくの無駄な行為ではない。だけど、それをやりすぎると「あまり考えない子供」を作ることになる。

なぜなら、親が決めたスケジュールというのは本人の意思が入っていないからだ。「○○ちゃんと遊びたい。何日なら空いているかな?」ということだって、少しは考える訓練になる。相手の都合も考えないといけないし、自分の予定も把握することが必要になってくる。
あまりいい例ではないが、そういうことは基礎として少しずつ積みあがっていくものだと思う。あとは親子同士の話し合いなども必要らしいが、今回では話が脱線しすぎてしまうので省略しよう。

そして、世の中の風潮として「アウトプットをすぐに出せないやつはダメだ」ということが子供を教育する上でも変な影響を与えている。

大人は子供達に対してアウトプットを期待しすぎている感があります。 やれ感想文を書かせたり、意見を言わせたり。 しかしアウトプットさせてしまうと、そこで思考がストップしてしまうこともあるんですよね。 自分の中で深く考えることができる人間に育てるためには、あえてインプットのみを与えてアウトプットを促さないのも手かなと思いました。



引用の引用になってしまうわけだが、これは面白い意見だと思う。

あえて子供にぶん投げてみてそれをどういじるかは個性に任せる。

長い目で見なければいけなくなる反面、熟成されたよいものができる確率は高くなるだろう。また、多様性を広げる点ということではとてもいい。

学校などの話し合いではなんだかんだ人の意見を変に気にしてしまうということもありうるからだ。特に空気を読むことが大事な日本では、絶対に影響を無視することはできない。

子供たちは、その小さな全存在を通して、五感で世界を学び取っています。そうして学び取ったものはワインのようにじっくりと寝かせて醸成させるものであり、過剰にアウトプットさせて大人の勝手な評価に晒すためにあるのではない、と私は思います。
これはあくまで私個人の印象ですが、学びを常にアウトプットに変換させられ続けている子は、どこか自信がなかったり、逆に自信があり過ぎたり、イライラしているように感じることがあります。おそらく、親をはじめとする他者からの評価に、過敏になっているからでしょう。



前半は完全に自分とほぼ同じことを言っている。これを大人の世界に例えるなら、会社の中で成績や契約件数を出すことだけがよく、家庭や休日、個人的な趣味などを全否定する状態だ。

楽しいことは悪と言えば極端になるが、評価軸が自分からのエネルギーではなく他人からコントロールされているという状態は健全ではない。

同調圧力をベースとした「無理なエリート教育」というのはそういった側面があることを認識すればいい。
感性を大事にしない国にはなってほしくないな、本当に。