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自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

障害者だって、社会で納税者になれるよ

ここで「は?お前何言ってるの?」という意見と、「うん、そうだね」という意見が出てくると思う。だいたいの日本人は前者の意見が出てきそうだ。だが、逆に後者の意見を言えるようになったら、割といつも考えている人になるのではないだろうか。面白い記事を見つけたので、ちょっと考えていきたいと思う。

障がい者が自立すれば、みんなが元気になれる

岡山県総社市の市長が障害者雇用について話している記事だ。現在、障害者の法定雇用率は民間企業で2.0%、国・地方公共団体で2.3%、教育委員会で2.2%となっている。
今年の4月より少し基準が引き上げられていることから、障害者を雇用するという気概はあるのだろう。
ただ、国が政策を頑張ろうとしているように見える割には障害者の雇用状況が芳しいように感じなかった。だが、この記事を読んではっきりしてきたことがある。


障害者の親の話は長いので引用はしないが、自分が思っている以上に波乱万丈なことが起こっている。就労とかそういう以前に、毎日を過ごすだけでも嵐のような日々だなということを感じる。

そして、この対談の中で意外なことを見つけた。

■ 障がい者が入社して、会社の団結力が上がった

 坂之上:初めは企業側も「障がい者を雇うって、そんな……」って言いませんでしたか。

 片岡:はい。企業は、絶対、採りませんでした。

 坂之上:想像に難くないです。

 片岡:企業は、最初はそんな足手まといを雇うよりも、罰金払ったほうがいい、なんて考えるのです。ところが、雇ってみるとだんだんわかってくるんですよ。彼らをひとり入れると、職場の団結力が上がるとか。

 坂之上:そんなに効果が見えるのですか? 

 片岡:そう。それから社員が優しくなったりね。中の雰囲気が良くなる。で、だんだんだんだん、採る会社が増えてきて。

 坂之上:採用した会社の様子を聞いたり、横で見たりして。

 片岡:そうです。あんまりね、彼らに対してかわいそう、かわいそうじゃだめなんですよ。もっと普通に肩をぽんとたたいて、「働け」みたいにやってくれたほうがいいんです。障がいの「害」をひらがなで書かないといけないとかね。そういうもんじゃないと思います。彼らも頑張れよ、ぐらいのほうがうまくいくんです。僕ら総社市では、軽い知的障がいの子どもなら、普通に受け入れられるようになってきた。

 坂之上:それは会社側が経験値を積んだからですね。

 片岡:そう。頑張ったら彼らが納税者に変わる。それが総社市ではだんだん普通になってきました。




雰囲気が良くなるというメカニズムが示されていないので、詳細は分からない。

だが、片岡市長が「かわいそう」と変な気の使い方をするよりも、健常者に近いような扱いをしたほうがいいという意見には賛成だ。

ものごとの理解度や認知の仕方などは違うが、同じ人間という意味では共通認識が通じる部分もあるはずだ。

腫れ物に触るような扱いをされていることを気づく当事者の中には困惑している中、その気持ちを支援者に言えないという葛藤と闘っている人もいるのではないのかと感じている。

国は、「社員の何%は、障がい者を雇いなさい」みたいに、すぐ義務化するでしょ。そんなふうに形だけやるんじゃなくて、総社市では、企業が彼らを「戦力」として考えているんですよ。この市は、障がい者は貴重な戦力だと考える、そんな社会に変わり始めているのです。



そう、どうも変に感じていた部分がここだった。障害者が働けるように考えているのはわかるのだが、国のやり方は空回りしているのだ。

法定雇用率をあげることは悪いとは言わないけど、適応力が健常者に比べてどうしても低くなってしまう彼らをブラックな環境に放り込んでいるだけだとしたらそれはむしろマイナスのことになってしまうのではないだろうか。

屈強な人ですらすぐ辞めてしまう環境であるなら、なおさらだ。
腫れもの扱いせず、1人の戦力としてかかわっていく。

自分がすごいなと思う会社であげられるのは、日本理化学工業株式会社だ。

チョークを作っている小規模な会社なのだが、全社員73名中54名が知的障害者という構成になっている。割合にして障害者雇用率は7割だ。当然だが、国が無理やり大企業に対して「障害者雇用をしろ!」という文言でこの障害者雇用率を保つことは到底不可能だ。下手すれば、障害者が健常者のサンドバッグにされる背景もある。
義務化したところでまともに受け入れる体制がなければそれは戦争の時の赤紙と同じようなものだ。
ここの会社のことが書いてある本を少し読んだことがあるが、現場のラインを知的障害者の人だけで回すこともあるそうだ。そこから考えると障害者の人が働ける構造が絶対にある。
もし、興味がある人はHPを見ると、「こうすればいいんだな」という考え方を見ることができるので一度見ておくといいかもしれない。
しかも、この仕事のやり方は計量器の校正という精密な作業と構造が同じなのだ。
出ている重さが正確かどうか測るときに、国の基準で合格している基準分銅を乗せ、ハカリが正しい値を基準内で示していればOKだ。これを知能に合わせ、もう少しシンプルにしたというのは目の付けどころがいいと思う。

健常者でも全体の理解に1ヶ月くらいかかるような仕事をそのまま彼らに適用すれば、それは無理が出るのも当然ではないだろうか。
余談だが、キログラム原器という1kgを正確に測る基準は50μg減っただけでも大騒ぎになるくらい精密なものだ。ゼロが6つの精度もカバーするってどんだけっすか。

やはり、この就職難は知的障害者自閉症ふくむ)、発達障害者をはじめ健常者にもその波が来ており、現在4割程度が非正規雇用になっている背景がある。

それは社会的に無理が生じていることを語っているのだが、日本の輩には「甘え」「お前の努力が足りない」などとほざいている者がいる。
今はまだしも、これから仕事がどうなるかは分からない。

たとえブラック労働に40年耐えたとしてもそのあとの生活がまともに送れる保証がない人もいるだろう。仕事の過労がたたって、定年後、一生寝たきりの老後など、恐ろしい。そして結婚率が減っているということはそのまま孤独死の増加につながるわけだ。今ですら認知症が結構問題になっているのに、これからどうなるの?