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自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

意見に「立場」なんて関係ない

あまりにも日本は「立場による意見のバイアス」の割合がでかすぎるんじゃないかなと思うときがある。
本質としては同じようなことを言っているのにもかかわらず、賞賛される人とボコボコにたたかれる人の差がすごい。前者は成功した有名人などが多い。もちろん、実際にすごい能力をもっているだろうし、それだけの影響力があるのは確かだ。だから素晴らしい言動も多くなることは不思議じゃない。

だが、それ以上にフリーターなどがまともな意見を言った時に無関心ならまだしも、異常なまで叩く人がいる。明らかにまずい意見なら叩かれるべきものもあるだろう。だが、無職やフリーターが能力のある有名人と本質的に同じような事を言っても「いいから働けよ」「そんなことじゃ社会ではやっていけないよ」のような関係のないことを言ってくるやつが多すぎるのではないか。

そんな下の立場から言っても説得力がない!というのは簡単だ。だが、生まれてきた場所からクラスを変えることは相当運がない限り、難しい。

特に、今の就職状況は劣悪な環境が多く正規で就労してもすぐに無職や非正規になる確率が高い。財閥の家に生まれた息子と、一般家庭に生まれた息子ではこれから出会う人間や触れ合う文化、知ることのできる仕事内容なども全然違う。

だから、日本において発言がまともに受け取られる機会というのはそこまで平等に与えられていないのではないかと思う。本来、「運」のレベルとしてとらわれるべき要素を「努力」の要素で考えている限り、この風潮は止まらない。

この状況だからこそ、あえて「意見の本質」を重要視すべきではないかと考えている。日本独特の同調圧力の強さにより、集団で個人の意見をボコボコに叩くことで当事者を委縮させる状況はよろしくないからだ。
いろんな本を読んでいると学生や無職の人に発言の機会を与えている著者などがいる。そういう人たちを自分は応援したい。

空気を読まず、良くも悪くも平等に話せる場をもっと作るべきだと思う。今の日本ではかなり貴重な場所だ。
ネットなら個人ブログで少しは意見を言える。それがもう少しリアルにも浸透できるようになればいいのに。