マイノリティ雑貨店

社会に関すること、自動車、発達障害などを扱うブログです。社会ブログなのか、車ブログなのかよく分からなくなってきました。

日本の教師に批判が直撃する社会と管理職による保守被害

息子のため、入学式を休んだり、どう考えても一人では対処できない問題にうまく立ちまわれなかった時に保護者の批判が来るここ最近の日本。
学校はブラック企業化しているといっても過言じゃない。

知り合いの小学生曰く、「若い先生ほど辞めていく」みたいなことを述べていた。どうにもそこらへんの細かい事情の直接原因まではつかめていないので、中学校を引退した先生の取材の内容を引用しながら考えていきたいと思う。

学校を“ブラック企業”化する、「子どもが可哀そう」という呪文

本当に優秀な人が学校から離れてしまうのも無理はないだろうなと思うほどの記事だ。

「先生はもう先生じゃないのよ。ただのサラリーマン。だって子供たちのための仕事より、管理職のための仕事ばかりなんだから。職員室では、どの先生もパソコンに向かって、息を潜めている」

こう話してくれたのは、昨年、定年退職をなさった中学校の先生である。

先生によれば、学校で、学級崩壊ならぬ、職員室崩壊が起こっているのだそうだ。

「昔はね、本当に楽しかった。教師みんなが一丸となって子供たちに向き合っていたし、みんなで1人ひとりの生徒のことを話し合い、考える時間もあった。例えば、何か問題を起こす子供がいるとするでしょ? 1つの原因だけで問題を起こすってことはなくて、いくつかの要因が絡み合っている場合がほとんどなの。だから先生たちみんなで子供の情報を共有して、みんなの“問題”として取り組まなきゃならない」

「でも、今は、何か問題が起きるとそれに関係のある1人の先生だけがやり玉に挙げられる。特に管理職は何かあると、自分の責任問題になるから、その先生だけに問題があったのかのような追及をしたりする。今の先生に求められているのは、間違いを起こさないこと。間違いを起こさない無難な教師が一番いいんです」



間違いを起こす場合はあるのだろうけど、それをフォローする体制がまるでなっていないことを露呈している。
今のブラック企業の状況と何ら変わりはない。

要するに、問題を本当の意味で解決できるようになるよりも、問題を隠してでも「問題はなかった・・・」としたことのほうが良いということになっているのだ。
事なかれ主義がかなりはびこっており、子供を学校に入れてどのようにしたいのかまるで定まっていない。

これでは子供をしつけるとかそういう次元ではないと思う。
だから、長年ミスをしなかったっていう人は割と運がいいだけなのかもしれない。発達障害専門のブログを書いている親御さんなどは子供の付き合い方を失敗しながら学んでいる。

発達障害などと言っても、困りごとは人によって全然違うので型にあてはめることはできない。発達障害傾向のない人だって個人によって違うので、同じ接し方をして失敗した!なんていうのは当たり前に起こることなのだ。

当然、教育に試行錯誤は必要だ。試行錯誤をせずに「何も起こさないこと」だけを目標に頑張っているのでは教育現場がゆがむっていうのはある意味当然の出来事であり、何も驚くことはないのだよ。

だが、そんな先生たちを支えていた、世間との良いつながり、保護者との良いつながり、そして同僚たちのつながりが途絶え、教師たちの支えとなる資源が失われている現状がある。今、先生たちは、非難されることはあっても、褒められることはなくなってしまったのだ。

教員の精神疾患による休職者は10年で約3倍も増え、強い疲労を訴える教員は一般企業の3倍以上。なぜ、先生たちはこんなに病んでいるのか? 私たちも、どこかで、無意識に先生たちを追い詰めているんじゃないのだろうか?



そりゃ、先生がやった子供への歩み寄りへの過程とかそういうのすっとばしてうまくいかなかったことだけを責めることがまともな対応とは思えない。

保護者はそういうことをもっと見るべきじゃないのかな?
一方的で理不尽なことだから、うつになるというのは無理もない話だ。営業ノルマを課されているけど、具体的な解決策とかそういうことを何にも考えていないことと一緒だからだ。

管理職も保身のため、仕方なしにやっているのだろうけど、若い教員と連携をしっかり取らないといけない。

管理職をやっているということは教師として指導してきたキャリアはかなり長いわけだ。新卒から計算しても20〜30年は見積もってもいい。失敗したことも、成功したこともいっぱい知っているはずだ。それを共有しないのは損失がでかすぎる。

変な話、新卒の先生っていうのはちょっと教育と専門科目の知識がついた大学生だと思う必要がある。いきなりそういった批判を老練のベテランと同じように受けるのでは心の体力が持たないのは当然ですよね。

子供への的確なアドバイスとか、授業の慣れ具合とかそういうの一番知っているのは財産じゃないの?
(年食ってるだけのろくでもないやつがいるのも事実だけどね・・・・・)

時代が違うと生徒の考え方とかは現役のころとズレがあるのかもしれない。
だけど、犯罪行為の境界線とかそういうことを教えるのはたぶんそんなに変わっていないんじゃないかと思う。

責任の所在でどうしても個人をたたかなければならない風土をなんとかしないといけない。
理由を言っても「言い訳するな」くらいの感覚なんだろうけど、もう少し冷静になってください。

ああ、これが社会全体の流れなのかな・・・疲弊する人たちが増えるね。