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自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

「自己責任」の意味が違う日本

ちきりん女史が「日本はおこちゃまの国」という記事で「日本は自己責任を否定的な言葉だと思っている人が多い国も珍しい」という意見を言っている。

結論から言っちゃえば、間違ってはいない。日本でいい意味に使われることは少ない。

ただね、これって日本で言われる「自己責任」と海外で言われる「自己責任」の意味がずれているから感じる当然の違和感なのだ。じゃあ、どんなふうに違うのかな?ということで分類してみた。

★日本の「自己責任」→
努力だけでどうにもならない競争に負けたとき、「努力が足りない」と煽るときに使われる。

たとえば、最近の就職活動は非常に倍率が高く、一定の割合で就職浪人が出てくる。そこで何社受けても内定できなかった人に「受ける会社数が足りない!努力が足りない。努力しないんだから受からないのは自己責任」みたいなことがそうだ。
学習性無力感などガン無視だ。

ちょっとしたきっかけ(彼ら基準(!)の「空気を読まないから」という貧相な基準)で貧困やホームレスに陥れられることも「自己責任」といわれる風潮がある。もちろん、社会問題に詳しい人は「自己責任か?」ということに疑問を投げかけるので、下手にその言葉を使うことはない。


★海外の「自己責任」→
サービスの受け側に対して裁量権を与える代わりに、失敗した時の代償をある程度自分で認識してもらうこと。

これはちきりん女史のブログのところにもおおまかに書いてあるので、概要を説明すれば「沖に出てもいいけど、それなりに波も高いよ。事故起こりやすくなることは分かっているよね?それでも楽しみたいなら自由だよ。」というようなことだ。
日本ではこういった意味で使われることは少ない(ないわけではないが・・・)



小泉政権のあたりから「自己責任」の風潮が強くなったとは言われるのだが、悪い意味で自己責任の意味がずれ始めたのもここらへんなのかもしれない。

もちろん、このブログで「自己責任論なんてとんでもない」というのは前者を批判していることなのだ。実は結構おんなじこと言っているのだが、あまり浸透していないようだ・・・