マイノリティ雑貨店

社会に関すること、自動車、発達障害などを扱うブログです。社会ブログなのか、車ブログなのかよく分からなくなってきました。

ほぼ機能していない日本の救済福祉

すべての人に「生きづらさ」強いる「本当に困っている人」も救えない福祉のパラドクスと生活保護バッシング

生活保護やホームレスに対するバッシングが大変強い国、日本。正直、貧困が見えにくいというぶん、国民1人1人が実感している感覚と貧困数の割合が明らかにずれているのがかなり問題だ。あまりにも貧困の実感がないから、相手に対して対等な感覚で「恵まれているのに」という言葉を無責任にぶつける。
会社員でうまくやれている人はなんだかんだ生活ができてしまうのだから仕方がないといえばそうなのかもしれない。でもそれって、ミクロなものの見方しすぎじゃないかなってこと。
同じこと何回も言っているけど、おそらく、昔の記事まで読む人が少ないのでちょうどいいかもしれない。

いまの日本における生活保護バッシングは、1830年代のイギリスの産業革命期の社会保障にまで後退させかねない危険性を持つものです。

1834年にイギリスで成立した新救貧法の特徴は次の4つです。

1つは、労働可能な人間に対する救済はすべて拒否。結果、どんなに悪い労働条件でも労働者は受け入れるほかないという惨状が広がりました。今で言えばブラック企業天国のような労働市場になってしまったのです。

2つは、被救済者の地位は、働いている人間の中の最下層の生活水準以下にする「劣等処遇原則」を貫くこと。

3つは、「本当に困っている人」のみを救済するため、劣悪な環境の救貧院に入ること=ワークハウス・テストを実施すること。

4つは、全国で統一基準の救貧法運営が行われるよう救貧教区の合併、中央集権化をはかること。

この新救貧法によって、貧困は犯罪と同列とみなされ、バスティーユ監獄にもたとえられた貧民収容所の惨状をもたらすことになりました。



まず、歴史的背景をおおまかに説明すると当時のイギリスはかなり環境が悪いことで有名だった。

下水道なんてものはなく、トイレは貴族ですら外に垂れ流しの状態だ。

各家庭にはおまるがあったようだが、満タンになると窓から中身を投げ捨てるというひどさ。脱線してしまったが、そんな時代に起きた4つのことが日本の生活保護バッシングに共通していることがあるのだ。
(ただし、今の日本のトイレ・下水技術は世界最高峰なので伝染病などが起こるリスクはかなり低いことを伝えておこう)

1:
ワタミを筆頭に、ブラック企業の認知が増えている。

明治や大正の時代のことはあまり知らないが、昭和のころには正社員率はかなり高かった。

労働法は今よりも無茶苦茶で休みもなかったらしいが、バイトはバイトですみわけができていた。) 

おそらく、仕事中毒の人にはよい環境だったかもしれない。
今では、学生のアルバイトにすらブラック環境が増えて、本分である学問に支障をきたすというあるまじき行為が起こっている。

でも、そうしないと生活できないため、むしろ学生というよりは条件の悪いところで働くフリーターと一緒になってしまっている。本末転倒ではないだろうか。

2:
少し前、大阪の豊中市生活保護費削減のため、「時給400円の仕事」を紹介させようとしたことに近い。

当然だが、こんな給料は最低賃品を平気で割っており、法律違反だ。自分がTwitterで言ったことと同じなのだが1日8時間働いて頑張ったとしてもだいたい光熱費を払うだけで終わってしまう。
健康で文化的な生活なんかとてもできたもんじゃない。

働いてさえすればいいのか?と思うようなことだ。たとえその仕事でまともな生活ができないといえども、「働いていること」そのもののほうが大事なのだろうな。

財政の負担はたしかに大きいのかもしれないが、個人の経済状況や「生活できるための」就労支援も考えずにただ放り出す。それってはっきり言うと貧乏人は死ねば政府が楽だと言っているのと大して変わらない。

3:
今で言うなら、生活保護をもらうための収入状況の紙に近いかもしれない。ただ、ちょっとこれは関係性がないので省略。

4:
貧困者をひとつに集めるということなのだろうか。派遣村がそれに該当するのだろうけど、たぶんここでいうほどの大規模なクラスのものが日本に存在するとは思いにくい。

まぁ、おおまかに2つの事項が問題になっているわけだ。とんでもない環境を見過ごす国民の責任は大きい。

フランスにはRMIという「参入最低限所得制度」があります。「参入」というのは、労働市場への「参入」を意味していて、劣悪な労働条件の仕事には就かないことを選択可能にする国が最低生活を保障する福祉制度です。とりわけ、若者の労働市場への「参入」を支える所得保障制度は、雇用の劣化をストップさせる効果を持つと同時に、「失業者」も、所得保障による「保護受給者」も、いま働いている労働者の雇用劣化をストップさせるという一つの社会的地位として受け容れる社会をつくっているわけです。

いまの日本は、非正規雇用ワーキングプアの増大、そして正規雇用でもブラック企業の横行などによって「働いたら普通に暮らせる社会」になっていません。こうした雇用の劣化を放置したままで、生活保護バッシングをして、「働けるのならば、働け」と、国民に「自立」を求めるこの国の社会保障制度では、孤独死・餓死・自殺などの悲惨な多くの事件を未然に防ぐことはできないのです。



そのとおり。「働いて普通に暮らせる」正社員の数は減っているんです。

あったとしても、長時間労働、パワハラなどで辞めていったり精神を病んだりする可能性がとても高くなっている。

自殺者もまだ3万人近くを維持しているようではとてもまともとは思えない。民間だけでなく、学校などの教育機関でも起こっている・・・

雇用の劣化に耐えざるを得ない人があまりにも多い。

またそんな雇用を正そうとすると主張した人を権力でつぶそうとするクズな連中も少なくない。

これでも、ユニオンみたいな人たちがだいぶ味方になってくれているからいいのだろうが、そんなミクロ単位のことで増えるブラック労働には追いつけないというのも事実だ。

企業自体の存在そのものは悪いものではないのに、いる人間によってここまで堕ちるのだ。