マイノリティ雑貨店

自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

まだまだゼネラリストかつ硬直な社会である日本

「この世に天才はいない」 チームラボ・猪子氏が語る、誰もが活躍できる”スキル”の身につけ方

個人的に思っていることがある。日本の企業、特に大企業は「なんでもできる」、言い方を悪くするなら「器用貧乏」なくらいでいいということだ。
これって、優秀なんだけど無個性の集まりなんじゃないかと思うんですよ。むしろ、多様性が必要なんだけど、本来必要な特性から遠ざかっている気がしないでもない。これって就職活動のハードルを上げすぎていることと同じだ。

猪子:社会に出て一般的な企業とかで働くのって、個人としてある程度最低限の完成度が必要で。朝起きるとか、メールがきたら返事をするとか、電話がきたら応じるとか。ちょっと色々無理だったんですよね。個人として社会の中に入っていくのは無理なんじゃないかと当時思っていて。でも友達とか仲間がいるとそこらへんがギリギリ大丈夫なんじゃないかと。



こういうことが苦手な人って絶対いると思う。個人的に、こういったキッチリ系のスキルはほかの人にブン投げたい。書類ハンマー投げの加藤部長みたいに、「お前がやれー!!」と絶叫しながら・・・



猪子:そういう感じのことを今では言ってるんですけど。実際は友達と居たかったから友達と始めちゃったんですよ。全員欠陥だったんですよね。

堀:皆?(笑)

猪子:皆!(笑) それで結構どうしようもない状況だったんですけど、たまたま一人比較的完成度が高いやつが入ってきたんですよね。それで成り立ち始めたっていう。

堀:でも面白い表現ですよね。「ある程度完成度が必要だ」っていう考え方っていうのは。事の大小あるんだけれども、完成度が高くないと社会に受け入れられないかもしれない、と思って足踏みしている人って結構いると思うんですよね。就職戦線戦う中で。それが本当に完成度の高いものが必要なのかどうか、それぞれが知るっていうことはすごくいいことだと思うので。

猪子:一般的な大きな会社に入る、今の現状の日本社会の企業に入るときには、最低限の完成度が必要とされるんです。つまり長所よりも短所がないことを求められるんですよ。長所がなくてもいいから、短所が極めて無いことを求められるので。そこにはちょっと……。入れてくれるんだったら入りたかったですけど、なんか入れてくれない空気だったんで。



自分の言いたいことをやたらと言ってくれる2人だ・・・。この「最低限の完成度」というのがとても厄介で、一朝一夕で作られるものではないということだ。しかも、これは本人の努力とかでなんとかなるとかそういう類のものとして扱うにはやや荷が重い部類なのだ。「日頃からきちんとしなさい!やればできるよ」という言葉はよくあるのだろうが、本人にとって苦痛なものは苦痛なのだ。努力して無理やり繕った「最低限の完成度」など、すぐ潰える。
面接官が見る「最低限の完成度」というのは受験者の雰囲気や立ち振る舞いなどを総合し、フィーリングで決めている部分が大きいため、受かる人は受かるし落ちる人は落ちる。
そのよく分からない指標を使って就活では「高スペック」とかということを決めている。なんだかんだ、器用なので中身もそこそこできてしまうっていうのもある。

几帳面すぎは、非常時に弱い!」という記事でも、似たようなことを述べた。日本企業が欲しいのはキッチリとした判断的態度の人だ。ここの記事に対応するなら猪子さんの「最低限の完成度」を持った人材ということになる。確かに、きちんとした人は仕事において心強い。信頼できるし、いいんだけど個人的になんかしっくりこないというのも事実だ。

そこでしっくりこない問題を少しだけ解決してくれたのがNPOの小沼大地さんの話だった。
厳密に言うと、少し発想が変わったかもしれない。

堀:やっぱりグローバル人材と聞くと、本当に完成度の高いものを求められているような印象がありますけど、さっきの猪子さんの話を聞いて逆に小沼さんどう思われましたか?

小沼:僕猪子さんにすごく賛成なところがあって、大企業が今「完成度の高い人間を作りたい」ということをすごく言っているんですけれど、本当に「完成度の高い人間」を日本企業は必要としているのかというところなんですよね。

日本企業もですね、「すごく尖った人材が欲しい」と採用のときには言っていて、実際尖った人を採っていると思うんですけど。段々と尖っている角をとって丸くしていってしまうんですね。日本企業が昔求めていたような、上司が言うことをとにかくやってちゃんとこなす、ちゃんと朝起きてちゃんとメール返すような人。そんな人をとにかく作りたがって、入ってきた人を変えようとしてしまうんです。

そうではなくて、今って尖っている人をもっと尖らせるというのが日本企業の中でも求められていると思うんですよね。「留職」というのもある種、とんがりの部分というのを使って、日本企業の中から一旦はずれて途上国の現場に行くことで、枠を超えてもう一回成長する、という経験をしてもらいたいという想いがありますね。




とがっている人を実際に採用しているかどうかは細かく分からないが、「社会人はこうでなくてはならない。マナーだよ。」みたいなことを言われる人は多いんじゃないかと思う。スーツとネクタイに身を包んで、お辞儀はこうで、取引先の人に気を使うことが・・・みたいなうるさい話だ。怒られそうだな。
そういうことができるかどうかっていうのは生まれもった性質によるものが多い。本人にとっては努力しているなんて思っていないんじゃないかな。ちょっと前に、家入一真さんが「あいさつとか敬語とかをキッチリやりすぎるのはコストだ」みたいなことをTwitterで言っていた。(正確には「いや、それコストだよ」で終わってたが)

日本には結構几帳面な人が多いから、きっちりできない人が苦しんでしまう背景があると思う。丸まった人を見て「あの人はきっちりしていていいな」っていうのを見ているとなんだか複雑な気分になる。3DCADでいうなら立方体の箱の角にR5のフィレットをかけたくらいの丸さと思ってくれればいいだろう。(辺の長さはつっこまないで)

堀:逆に今、働く環境としての日本ということを眺めた時には、何かそこに問題があるのか無いのか。そのあたりを話のきっかけにお伺いしたいんですけれど。朝比奈さん、どうでしょうか。

朝比奈:そうですね。僕はわりと大学までいわゆるエリートが多いところにいたんで、本来はリスクとって色々やると面白そうな人たちが、さっきの猪子さんの話じゃないですけれど、基本的に朝きちんと起きてあんまり余計なことは言わずに、言われたこときちんとこなすみたいな。そういうところに相当流れちゃってるのがもったいないと。

いいんですよ。いきなり猪子さんみたいに始める天才型の人もいたり、下積みをしばらくしてから出る人がいたって。色んなパターンがあっていいと思うんですけど、どこかで自分なりの問題意識を持って、その問題に真正面から立ち向かう瞬間があって……っていうことをやっていければいいんですけれど、何となく段々(流されていってしまう)。毎日忙しいし。
(中略)

堀:前も教育の話で討論したと思うんですけれど、猪子さんとも一緒に。覚えていますか? そのときにも出てきたのは、たとえば東大とか最高学府で非常に能力があって色んなクリエイトできる技量があるのに、なぜか社会にでると、途端にそこまで積んできた才能っていうのが発揮されずに、世の中に改修されていってしまうと。

一体これは何なんだ、何でそんなことが起こるのかということを議論したんですけれど、その時には明確に答えは出なかったんですけど。出なかったですよね?

猪子:何の話してるのか全然わかんなかった。



最後のやつはネタでつけました。さて、次のページに移ってしまうわけだが、猪子さんのスキル論はいいこと言っているなと思う。若い人が教えることがあってもいいはずなんだよね。極端な話、子供たちとかから学ぶことってあるんじゃないかねと。

猪子:本当はもうちょっと学校が、新しくて今必要なんだけど前の世代はできなかったようなスキルを身につけさせてあげれば、若い子はもっと活躍できるはずなのに。そういうことも教わらないまま、今の大学生とか見てると、古い世代のスキルを身につけて古い世代と同じものになろうとしていて。

そうすると結局古い世代の人たち、オッサンに「まだまだだなあ、何だよそのプレゼン、下手だなあ」とか偉そうに言われて。「まだまだです! 頑張ります!」ってまた頑張るみたいな。



個人的な具体例を出すと、自分の親戚に小さな会社(零細)をやっている60代後半の人がいる。経営とか製造とか法律関係の分野は確実に向こうのほうが分かっている。
でも、書類とかを管理するためにはPCのスキルが必要だ。今までは手書きの伝票を使って細かく管理していたようだが、取引先にメール添付の関係をやるには紙媒体はすごく都合が悪い。だけど、急にPCを導入したところでメールやエクセルをいきなり使いこなすというのはすごくハードルが高いことになる。
だんだん使っていけば慣れてくるじゃん!という方もいるかもしれない。
それはその通りかもしれない。だけど、急いで正しい操作を覚えるにはあまりにも手探りのやり方って効率が悪い。メール送信のボタンを押したつもりが、「削除」を押していたらシャレにならないからだ。
そこで、自分はたまにその親戚にメールやエクセルの細かい操作を教えていたりすることがある。(最近はスキルが上がってきたので、頻度は減っているが・・・)

まぁ、猪子さんたちの話題に比べればえらくグレードの低い話ではあるのだが、例としては本当にこんな感じだと思う。
ただ、職人などの経験を学ぶ時はやはり経験値に分があることは間違いない。ただ、IT業界というのは師匠の年齢が逆転している現象が起こっているようだ。もしかしたら、他業界でも師匠の年齢逆転化が自分の知らないところでは進んでいるのかもしれない。