マイノリティ雑貨店

自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

「何でもそつなくこなしそう」という雰囲気至上主義

自分は、かなり小さいころからこういう感覚が日本の中にあることを感じていた。一般的にはゼネラリストというような言葉で言えばいいのだろうが、ちょっと違う。今回話したいことというのはゼネラリストの要素の中に含まれている「何でもそつなくこなしそう」という雰囲気をすごく好む人がこの国に多いのではないかということを考えたのだ。

逆に言えば「そつなくこなす」雰囲気がない人を異常なまでに嫌う人が多いということになる。
別に嫌われている当事者が「そつなくこなせる」かどうかは問わない。最初の雰囲気だけで厳しくあたったりするのがあまりに多いのではないか?ということを問題にしたいのだ。
言い換えるならば自分たちの感覚とはなんか違う独特な雰囲気を醸し出していること自体に免疫がない人がこの国には多い。

社会人としての自覚なんて面倒な言葉が使われるが、そこには確実に「何でもそつなくこなす」ということが含まれている。もしそうでなければ、「教えてもらっていないから、この仕事はできません」という質問をした人が炎上するなんてことが起こるはずはない。
元サイト:「教わってないので、できません」はダメ?

これは例なのだが、明らかに分かっていないことでも「格好良く、こなしてもらわないと困る」ということがこういうところで発生している。
自分で勝手に考えて進めるだけでなく「ホウレンソウ」なんてものが必要なくらい、日本の職場には裁量権が従業員に渡されている環境ではないので、正直教えないのは業務的にまずい気がする。

話を戻しましょうかね。
「私は得意不得意の差が激しいです!」というような人は結構独特な雰囲気になる。自分の周りには結構そういったタイプのやつが多いのだが、それを「許せない!!」と思うタイプがこの国をいきづらくしているというのはあるんじゃないかと思う。
個性的な人を、日本では勝手に「空気を読めない人」みたいな感じで言うことが多い。
同調性が高い社会に適合しすぎていると、個性的な人を会社組織での中で扱える人は当然少なくなる。経験上ある程度、変人を許容できるという人はいるものの、割合としては決して多いとはいえないし、完全に味方になってくれるとはとてもいえない。
当然、発達障害を持っている人を許容できるタイプの割合はそれ以下になると予想できる。
「この人にはなんでも任せられる」ということを重視するというのは分からないでもない。
ただ、それを重視しすぎるが故に、雰囲気で決め付けることに対しては問題がある。当事者が本当の意味で得意な分野があることを見逃しやすくなり、「それなりにできる」というだけほかの人に回される可能性があるということだ。これは非常にもったいない。

当事者がみんなに合わせろよ!という意見があるかもしれない。それに関して答えるにはとてもいいブログの記事があったのでそれで代弁をさせていただきたい。

引用:日本人はとにかく「変な人」に厳しい
えんぴつメガネさんの「いきづらいふ」から、自分のいいたいことを代弁してるところがあるので引用をしたい。

1人の人間にはいろんなものがその人に影響を与え、それらがその人の性格や人格といったものを形成していく。その人が人生のなかで経験してきたことに基づいて、その人独自の価値観や思想・行動パターンなどが作られる。それが個性というものだ。
(中略)
しかし、日本人はどうも、自分が理解できない個性や常識はずれな個性を受け付けない傾向がある。僕はそんな社会に疑問を感じる。
しかし、日本人が間違っているのは、「Aさん=万引きをする人」と、考えてしまうところである。ニュースで犯罪者として報道されると、世間の人はその犯人のことをどこにいっても「悪いことをする人」のように思ってしまう。
日本人は、自分が理解できない人の存在自体、あるいは人格自体を否定する。自分にとって「変な人」のことは、その人の人格自体を「変」だと思ってしまう。「変」なのは、その人の行為や価値観である。存在や人格は「変」ではない。
(中略)
身近な人間関係の中でも、自分には理解できないような行為・発言をする人がいることがあるだろう。そういうときでも、その人の存在・人格を簡単に否定してはいけない。その人が選択した行為・発言が間違っていた、もしくは自分には理解できないものだっただけなのである。



全文だと長いので一部省略させてもらった。
万引きの例えは微妙な線だが、日本人の傾向として個性的な人に勝手な悪いイメージを植えつけてそれに固執してしまうことがあるという点では完全に同意したい。
価値観は違うけど、違うことを執拗に責めるのはお門違いではないだろうか。
発達障害などがあると、親のしつけとかそういうレベルで説明や矯正ができない「特性」が出てくる。

たとえば、聴覚失認という特性でいうなら「電話や口頭など、耳だけの説明だと話がうまく理解できない。しかも、職場のような緊張している場だと余計その傾向に拍車がかかる」という人が理解できず、「お前は甘えている!」と怒鳴りつけるだけの人が多いというようなことだ。

単純に失認系の症状が一般社会にあまり知られていないというのもあるが、特性を持っている人が長く続くことは難しいため、人々の印象に残ることがないからかもしれない。
社会のハードルがあがっている今、「そつなくこなす雰囲気」の強さを求める人がどんどん増えていくと思う。
運よく対応できればいいが、やはり何割かは精神を病んでしまったりしている。

だからこそ、「そつなくこなす雰囲気」のハードルが低い引きこもり業界、ニート業界による「生きるための場所や独特の雇用」が発達しているんだと思う。
個人的にはもっと、そういった場は増えていってもいいんじゃないかと思っている。むしろ、増えないことには問題が解決するとは思えない。