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自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

学び方を固定しない

基本的な学びスタイルは(幼稚園?)「小学校・中学校」の義務教育と高校・大学の学校教育だ。
それも、集団生活を備えた社会性を鍛えるためのプログラムが組み込まれている。
同じ教育を受けているはずなのに、みんな知っていること、習得レベルがそれぞれ違う。
それは、教育を受けている人が感じていることや興味を持っていることの違い、学習のしやすさなどが関係してくるからだ。
太郎君は機械に興味がある。だから、自分で雑誌を買って機械いじりをして習得をしている。
花子さんは学校の勉強はそんなに得意じゃないけど、このまわりのあたりのレストランやファッションショップの流行やドラマの俳優には誰よりも詳しく、グッズなども集めている。
変な分析だが、こういうのも習得という学びのスタイルなのだ。
たまに学校で「勝手に予習するな」とかいう先生がいる。おそらく、授業で協調性を持たせたいと考えているのだろうが、それは正直微妙なところだ。
ノートの進度が狂うなら、授業ノートに書かせなければいい。そこらへんのメモに書いて生徒が授業の前に理解することの何が問題なのだろうか。正直、学問に関して協調性というものを考えるというのが無理があると思う。もちろん、授業の態度(うるさくして妨害してしまう、やる気がなくなる)に関してはしっかり指導をしていけばいい。ただ、この方法は習得が人よりも早いギフテッドのタイプには不向きなので別の環境を与える必要がある。四谷学院で55段階レベル指導をやっているが、あれはなかなか習得レベルの扱いを細やかにしていると思う。まぁ、細かすぎて管理が大変というデメリットもあるかもしれない。

学び方の固定は体験の偏りを引き起こす。会社が「学生の学んできたこと役に立たねえんだけど何なの?」といったようなことを訴えることがあるが、それは大学(もしくは高校)で学ぶことと実務がかけ離れすぎていてしまうことだろう。前提として言っておくが机上の知識を入れることを批判しているわけではない。
大学のコスト(会社に近いような労働環境を作りあげること、維持すること)がシャレにならないので、やれない。即戦力っていうのは逆にコストがかかる。

落語家で有名な林家木久扇氏が卒業した東京都立中野工業高等学校ではなんと「本物の食品工場」が設備されている。生徒は実際の工場でレトルト食品を作る実習を行うそうだ。いつのテレビでやっていたかは忘れたが、実際にリンゴの皮むきをやり、殺菌工程のために窯の中に製品を入れている様子は本当に業務をやっているようにしか見えなかった。
おそらく、普通の工業高校でも普通高校に比べれば、これに準じたようなことをやっているとは思う。
即戦力として使える人材になりやすい専門教育は余裕のない最近では重宝されているのだ。

あとは、普通なら面接で弾かれるような人をうまく使えるような制度を入れてみるのはいい学び方ではないだろうか。これは個人が学ぶのではなく、企業が学ぶのだ。
社会不適合者といっても、別に悪いことをやるわけでもない。仕事の出来不出来は個人次第なので正直わからない。少なくとも自宅の警備ではなく、納税者としての役割を果たさせるスタートにはなりそうだ。
まぁ、日本の会社ってギークな人を案外大事にしないかも。よくもわるくも世間体とか見た目を重視するからスペシャリストな人を安くこき使っちゃたりして韓国・米に逃げられるとかやっちゃうし。
就活でも「リア充」「さわやか/体育会系」を割と好まれるので、その対極だと日本ではやりにくいだろう。

専門スキルのポテンシャルが高いダイヤモンドの原石的な人は絶対どこかに隠れていると考えている。
しかし、イメージが先行して扱いにくいというだけでその人が潰されるというのは非常にもったいない。
内向的なタイプっていうのは、うちに秘めるパワーは大きいですぜ。表面に出すのがそんなにうまくないけど、外交的な人と組めばお互いの長所を出せるはずだ。
しがらみって面倒ね。