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マイノリティ雑貨店

社会に関すること、自動車、発達障害などを扱うブログです。社会ブログなのか、車ブログなのかよく分からなくなってきました。

コミュ力や潜在能力とかの知識の整理をしてみたい

教育関連のお話 社会などの風潮

世の中はコミュ力コミュ力うるさい。就職活動でも「コミュ障」は結構惨敗したりする傾向にある。それってなんでだ?というと、コミュニケーションの能力がすべての潜在能力みたいにいわれている背景があるということらしい。月刊児童心理(2014年12月号)を見てみたら、静大の講師がすごくいいことを書いてくれてあったのでちょっと参考にする。ただ、あんまり目新しくないのは性質上しょうがない。

 

日本の雇用慣行では、人の潜在能力が評価基準となっていることがある。(中略)職務内容は限定されず、命じられらたことは何でもやらなければならない。よって、人の選抜評価の対象は学んだことというよりもその人の潜在能力となる。この流れを残したまま、失われた20年の中で選抜が厳しくなり、潜在能力である人間的なもの、つまり「人間力」が、評価の対象としてかなり過剰になってきたというのである。

 前半はもう、みなさんもご存知かと思う。もしくは、感じられていて同意できることだと思われる。ただ、人間力って結構聞くことあるけど具体的によく分かってない。

あいつはすごいやつだ!じゃないけど、言葉で説明できないような要素がすごく重なっていて、でも雰囲気を見れば「コミュ力が高いってこういうことなんだろうな・・」と納得できる要素が一般的に認知されている。最近の青二才さんの記事で言うなら「慶応ボーイ」あたりがちょうど分かりやすい。

ただ、人間力とかコミュ力の厄介なところってこういうところだよね。

人間力」は「一見してにわかには信じられないような言葉」で、「コミュニケーション力」はそれを構成する「ぽわっと」した要素にすぎない。どのような「人間力」なり「コミュニケーション力」を持った就活生が内定を得られるか、明確な答えはない。内定という結果から、方々でナイーブ(素朴)な逆算的判定が行われれば、これらの「力」はあいまいなままである。なお、人間力のようなあいまいで逆算的な評価基準は、社会人や経営者でどんな人が「成功」するのかを語る際にもあてはめられているという。

 あのですよ、これってさ言ったら負けなんですかね。それとも、求められることが多岐にわたりすぎて一言で言い表せないうちに学生たちが理解できずにパニくってんじゃないかな。優秀なやつっていうのはだいたいこういうのをなぜか中坊の頃から分かっていて動いているんだよ。どこで知ったかっていうのがいまいちよく分からんけどさ。たぶん、彼らは周りの人たちを見ただけで何かを吸収する能力がシャム・ワオくらいに高いんだろうなと思うね。

Amazing!だよ。こういうのを説明するの面倒くさいから潜在能力とか人間力とでごまかしている人たちいるんじゃないか?って思っちゃうときあるんだよ。うちの会社は、生まれつき世渡りがうまい奴か、スーパーマンを求めていますでいいじゃん。

それはともかくとして、コミュ力至上主義で被害を受けまくって自信喪失している層がいるっていうのは確かだ。だって、コミュ障という便利な言葉のせいで間接的にではあるものの人格否定しているも同然な気がするんだよね。

また引用したい部分があったのでそこを。

結果として、「コミュニケーション力の低い人は人格的に未熟である」という「コミュニケーション主義」に陥ってはいないだろうか。就職とは直接関連しないが、最近話題となっている「ぼっち」は、残念なことに社会性や活動性の低さといったネガティブ評価を受けることが多い。それも当人の「コミュニケーション力の欠如」にすぐさま帰結されることが多いのではないか。

 よくもまぁ、こんなあいまいなものを使って「性格が未熟だ!」なんていえる義理があるんだなと思っちゃう。活動性が低いように見えたって頭の中がどう動いているかなんて分かりっこない。もしかしたらじっとしているように見えて頭の中はフル回転しているかもしれない。それに加えて「見えるような成果出していない」っていう風に責め立てているのは本当にせわしない。

なんか、すごくせっかちなんだよ。確かに動きが速い人は強いと思うのだが、そればっかになってやしないかな?というような感じ。

批判するなとまでは言わんけど、非バトルタイプの人の場所を作ってせめて殺さないであげて。