マイノリティ雑貨店

自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

自己肯定感を2つのタイプに分けてみた

tm2501.hatenablog.com

自己肯定感とは、自分を肯定(信頼)している感覚のことだ。今回の記事を書くきっかけになったのは、三沢さんが書いたこの記事だ。

単純にいえば、自己肯定感=自信と考えてもらえばいい。そして、自分は自己肯定感のタイプは2つに分けることができるんじゃないかと思った。

自尊心の2つのタイプのイメージを作ったので見てほしい。

f:id:zakka10wasabi:20150323214024j:plain

 

これは自尊心を持つイメージとして、内骨格モデルと外骨格モデルの図示をしたものだ。ちなみに、左の茶色いやつはイヌです。自分の画力ではこれが限界なのでどうしても気に入らない人はイヌの部分だけ直してくれれば助かるんですが・・・

 

まず、内骨格モデルから説明していきましょう。

内骨格の生物というのは内部が骨で構成されており、そこに内臓や筋肉がついています。外側は薄いですが羽毛や毛皮をベースに骨や内臓を守っている状態です。

体に外傷はつきやすいが、骨をベースにした構造というのは非常に安定しているのだ。

これを自尊心の形に対応させると、小さい頃から親や周りの人たちに認められて育てられることでしっかりと自分の中の自尊心が成長する。たとえ、今まで積み重ねてきた能力が競争に負けたりすることで崩れてしまったとしても、自分の中の自尊心はベースとして残っている。完全なる保険とまではいわないものの、失敗の反動からポッキリ折れてしまうようなリスクは減るようになる。

言い換えれば、自尊心の骨格で心のふんばりが効くと思ってくれればよい。

この要素を持っていて優秀な人は青い部分がそのまま厚くなったものとして考えてください。

 

今度は対照となる外骨格モデルについて説明をしましょう。

外骨格の生物といえばカブトムシやクワガタなどの甲虫、海老やカニなどの甲殻類が該当する。これらは内部に骨がなく、柔らかい内臓を硬い殻だけで守っている。

内骨格の生物より外側の剛性は高いが、殻を取り除いた内部は非常に脆弱な構造だ。 

こっちのモデルは発達障害や虐待などの影響であまり自尊心が育たなかったパターンだと思ってくれればよい。日本の発達障害の小学生などは潜在的にこのタイプが多くなりがちだ。アメリカだと、発達障害の早期対策などもしっかりしているので凸凹があっても左のパターンで育てやすいのではないかと思う。

こういった環境の中でも有能な人は自分の努力で学歴や仕事の中での出世を勝ちとることができ、成功している間は問題が露呈しない。

もっといえば、苦渋をバネにしているため一気に成功しやすいタイプとも言える。

問題が起こるのは、今まで持っていた結果や家庭内の不和などで安定が崩れたときだ。言い方を変えれば仕事や受験だけに没頭しすぎて挫折したときに、今まで積み重ねていた厚い外殻という作られた自尊心が瓦割りのごとくバキバキバキ!!と無残に割れていくのだ。

そうすると残るのは何か。生育過程で培われるはずだった脆弱な内部の自尊心だ。

ここから完全に折れてひきこもりやうつ病への方面に行ってしまうきっかけになることが多くなるのだ。人生の方向がだいぶ変わるなんていうことも珍しくない。

小さい頃から母親と確執があって拝金主義を持ったホリエモンも潜在的にはこのタイプを持っている人じゃないかと思う。ただし、彼が違うのはもう一度自分を振り返って「ゼロ」という著書を書くことで内部自尊心をつけた珍しい事例ということだ。(もちろん、彼自身の能力の高さや知名度も復活を助けたのだろうけどね)

 

三沢さんのブログでの話を引用しよう。

2、結果が伴わない好き・数字が取れない行動に満足感を得られない

人に対して「数字が取れないと意味が無い」と僕は言う。これは拝金主義でも無ければ、ストイックなわけでもない。

僕は「がんばったからいいよね」と言うのを認めてもらえずに育った人間だから「数字を出さな負けと同じ」と思ってるだけ。

 

 よく僕のブログを読んで「彼は同人誌やフリーゲーム、一部のちゃんとやった時のラノベなどオタク的な作品レビューを真面目にやった時の方が好きだ」と言ってくれる人はいるが、それは僕の個人的な好きで人には一切認められない個人的な趣向だ。

 

好評になってしまったから1年間書き続けてしまったが、1年書いてる今でも「僕がいくらゲームの感動を伝えても、ゲーム趣味やレビューが世に認められていくわけじゃないし、アクセスや収益に結びつくわけでもないからな」と葛藤しているほどだ。

3、漠然と好きなモノ・したいことを問われた時に答えられない

利害がない、正解がない状態…要するにデートとかで

「何食べたい?」「どこ行きたい?」

と言われた時にすごく困る。僕にとっての行動原則は「数字を出す」「承認した相手に尽くす」とかで、自分の希望に価値なんか感じてないから。

 

価値を感じない結果、「嫌なものはあるけど、好きなものを考えるのはやめた」という思考構造になってるから、僕ほど女性にとって扱いづらい人間はいないんじゃない?

 

いや、女心のあるナンパ師なら、僕と同じ心理のまま「本当は私がいきたいんだけど、彼に言ってほしいこと」を当てられるんだけど、僕にはそんな高等テクないから、どうしていいか本気でわかんなくなる。

 

うーん、僕みたいなやつってどのぐらいいるんだろう?

そもそも、僕の言ってることが理解できる人がいるの?

 

赤色で表したのは、先ほどの外骨格モデルの青い部分(仕事の結果や数字みたいなこと)に対応している部分だ。

小さな頃(どれくらい前かは知らないよ?)から「ゴタゴタいわずに数字や結果だけを出せ!」の価値観を刷り込まれていれば、「三つ子の魂百まで」というようにずっと心の根底に残る価値観のベースになってしまうのも無理はないと思うんですよ。

ただ、そうやって意識をできるだけでも分からないままぼやけているよりかは断然いいと思うし、言語化という作業をすることでこれからの行動原理に新しく考えたようなことを入れるきっかけにもなるわけだ。その行動のフィードバックがどのくらいで出てくるかまでは考慮できないけど。

 

だからこそ、自分はこれから子供を持つ親御さんに言いたい。

挫折しない子供になってほしいなら、できるだけ受け入れてあげること。

もちろん自分の子育て方を批判されていらつくこともあるだろうし、子供のすることが自分の常識からはとても理解しがたいこともある。

ただ、勘違いするとまずいのは受け入れることと放置することは違う。

放置するというのは、法律に触れるようなことや人に危害を加えたりするようなことを見てみぬ振りするようなことだ。知っていてやってしまった場合もそれはキチンと指導して罪を償うように指導する。

なんというか、組織的にモラルのないような人が増えている気がしてる背景に今まで培ってきた自尊心の問題とかあるんじゃないかなと考えているんだよね。これはもう少し考え直す余地があるなぁ・・・