マイノリティ雑貨店

自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

日本の労働ってうつ病の療養と相性悪くね?

www.hmv.co.jp

今日、この本を買ってきたのだけど読みやすくて鋭いことが書いてあるなぁと思った。

うつ病になりやすい風土というよりは、療養するうえで意外と足かせになることが結構日本の中にはあるんじゃないかなと。

自分は運よく(?)うつ病になったことはないのだが、発達障害のネタ書く以上はうつ病関係のことも学んでおくべきだと考えてはいる。

この本を書いた程衛(てい まもる)医師が日本のうつ病事情に関して指摘していることを、今回のテーマ向けに箇条書きにしてみた。

・必要のないピリピリ感は自律神経を駄目にする

・せっかちにならざるを得ない日本の職場事情

・他人の目がやたら厳しい国です・・・・

 

この本は体の内部の代謝についても言及している部分があるので、原理が分かりやすい。

 

 ・必要のないピリピリ感は自律神経を駄目にする

 

これ、単純にいえば恐怖政治がはびこっている職場なんて典型的な例ですよ。

自律神経はバランスが取れていないと健康の状態を保つのは無理。

上司にいつ叱られるかわからないような、いつも緊張を強いられるストレスのかかった職場にいると、つねに交感神経が主体になり心臓はいつもドキドキ、血管は収縮し、血圧は上昇、瞳孔も拡大といった状態が続きます。

しかもこうした交感神経優位の緊張状態がずっと続くと、身体を守ってくれるリンパ球は減ってしまいます。そうすると防衛能力は低下し、ばい菌やウイルスに抵抗できない状態になるのです。

 簡単に言えば、ストレスが多い環境でうつ病になるのが当たり前のような職場は自律神経が狂い、免疫力が低下しやすい状態なのだ。夜寝ないで仕事をこなすことがカッコイイみたいな風潮はそれこそ人を殺しにかかっている。

一部のショートスリーパー体質の化け物はそんな状態でも長い間体調を崩さないことがあるので、彼らが当たり前みたいな風潮をなくしていく必要はあるんじゃないだろうか。自律神経失調症は即うつになるわけではないが、うつになりやすくする土台を作っているのと同じだ。

タバコの吸いすぎで肺がんになりやすいことと仕組みは一緒なんですね。

 

 

 ・せっかちにならざるを得ない日本の職場事情

 

日本の就職活動はものすごく空白に対して厳しい。だから、うつ病を急いで治そうとして逆に療養の妨げになってしまっている患者が多くなっているんじゃないかなって思う。

著者は次のようなことを言っている。

ときどき、「いつ治りますか?」「1ヶ月後には元気になりますか?」という質問をされる方がいますが、治癒は早い人で半年から1年、一般的に1年半~2年が目安です。もちろん、ほかの合併症を持っていれば、その期間は長期化することもあります。気長に向き合って、のんびり構えることがうつ病と付き合う方法なのです。

 日本の労働の感覚として「のんびり構える」という言葉はない。

長時間労働に加え、アメリカ的な「効率的なもの以外は切り捨てる」やり方を導入し始めているので人間が動く上で必要な遊び(余裕とかそういう意味)がほぼない状態の人もいるだろう。日本独特の「はたらけ」という空気に翻弄され続けることで焦ってしまうのはどうしても避けられないことなのかもしれない。

それゆえか即効性のある薬ばかりに頼りがちになるという人も多くなっているらしい。

 

 

・他人の目がやたら厳しい国です・・・・

 

 著者が書いている本の見出しの中にいい題名のものがあった。

{自分の性格や個性を活かすよりも、無理をして「平均点」を目指す日本人}

これはうまく本質を突いているなと思うばかりだ。題名を見た瞬間、たからかに笑ってしまったくらい。それだけ、個人が本来持っている性質とは違っていびつなまま働かされている日本人が多いことがわかるんじゃないだろうか。

そのせいか、本来から見たらイビツな適応をしているやつが「社会人として素晴らしい、やりがいがある!」みたいな話がまかり通っちゃうのよね。

何がストレス耐性だ!どう考えても無茶苦茶な環境を直そうともしない怠慢の言い訳じゃねえか!

また引用してみたいと思います。

日本人の患者さんに触れ合ううちに、「もっと自分の性格、特徴を大切にして、人はどうであろうが自分のペースで歩けばいいのに」と思うときがあります。その理由として自分の適性に合わない仕事に就いている人が実に多いという点です。

 これは本当にそうだよなと思うことだけど、本気で実行するにはあまりにも外野の声がうるさすぎるんですよ。ガン無視するためにはかなり実力でのし上がる必要もあるのでそんなに簡単な話でもないし、妬んだやつからの妨害もありうる。

ひどいものになると「甘えるな!俺はそうやって頑張ってきたんだ!」とかいうイビツな適応で世を渡ってきた人からの説教が来る。

そもそも、日本自体の採用枠というのが独特なセンスを持った人の門戸を閉め切ってしまうことも理由としてはある。だけど、あわせて説明してしまうとややこしくなるので今回は言及しません。

 

 

本とは少し毛色の違う話をしましょうか。

個人的に思っているのは日本人って、自分の周りに変わっている価値観を持っている人が1人でもいることをすごく嫌うんだなってこと。

「こんな人と同じと思われたくない」とか思うんだろうけど、人っていうのはあくまでタイプが違うことが前提なんだからそんなことを強要すること自体まともじゃない。

違うタイプなら違うように対応すればいいだけじゃん。これ以上シンプルなことってないんじゃないのけ?

それでも分かり合えないやつはいる。無理にわからせようとする輩がいるから言うけど、時間の無駄だよ。

自分だったら「あ、こいつ(もしくは先輩・上司でも可)は人生の反面教師の例にちょうどいいや!」 という感覚になる。

言い方を変えれば「当人はうまくいっているのかもしれないけど、自分の中ではこんな大人になっちゃいかんなという基準をもつ」ってことですよ。あんまりやりすぎると社会不適合をこじらせちゃうけど、変な悩み方しているくらいならこれくらいでいいんじゃないかなって思う。

 

常識側の価値観の人は自分が理解できないようなことはいっそのこと冷ややかに見るくらいにしておいたほうがいいんじゃないかなって思う。

お世辞でもなんでもなく、素で適応できているのはすごいなって思うんだよ。

だけど、あまりにも「常識だよ!」みたいな観念で人を動かそうっていうのはどうなのかな?って思うのさ。

ましてやそれが原因でうつになった人を常識で責めてもあなたの求める答えなんて出てくるはずなんてない。

逆になんで責められる神経があるのか不思議でしょうがないのよね。もし、これが日本で生きやすくするためのストレス耐性としてのスキルの副作用だとしたらあんまり褒められることじゃないと思いますよ。