組織に属するのが好きかどうかのお話
面白いTweetを見つけたので、ペッタリしてみましょう。砂鉄さんのツイートの魚拓です。
(どうやら、現在は削除されているようなのでググっても存在しません)
[男性はヒーローが無職でもあんまり気にしないんだよね、男性にとって組織は「必要があるから、利益を求めて所属する」ものであって、必要がなければ本当は入りたくないわけ。結婚を渋ったり、一人になりたがるのも、必要でなければ組織に所属したくないという男性心理に寄るものなのね。]
自分は必要でなければ、組織に所属したくないという気持ちがあまりにも分かりすぎる。言いかたを変えれば、ヤドカリが体の成長に合わせて殻を変えていくようなものだと思っている。
小学校の頃は小さい殻、中学、高校、大学と段々でかくしていくのだ。
就職して会社員になるときは殻を支給される。ただし、選ぶ自由というのはそれほどない。ただ、殻なんかに入らないという選択肢は社会的に干されてしまうのだ。
裸のヤドカリに日本の人たちはそれほど寛容ではないのですよ。
このツイート、なかなか的をついていると思いますぜ。
この指摘、斬新。確かに、子どもの時から「どこの学校に行ってる」と言ったり、言われたりでとってもサラリーマン的。もっと言うと、どの部活でもいいのに、部員同士でつるむ・学校の部活でスクールカーストが決まるなどサラリーマン生活の縮図のよう https://t.co/Gr2gCEXcmV
— 三沢文也@こっちは本気で遊んでるんだ! (@tm2501) 2015, 5月 27
結局、何がいいたいかというと「組織という体裁の履歴」を重視する人たちがそれだけ多く、組織のパワーをその人のパワーだと思い込みやすい側面があるんじゃないかなって思うんですよ。
対照的に女性のほうはこういう意見があるようだ。
(砂鉄さんのツイートの魚拓がとれていないので申し訳ないが、女性側の記述に関してはあいまいな記憶のみです)
「女性は、組織に入ることで意志を共感しあう。それゆえどういう意志を持っているのか分からないから組織に入っていない人を理解できない」みたいなことをいっていたような気がする。これはすっごい記憶が曖昧なんだけど、組織に入らない人が理解できないという関連のことは確かに言っていた。
そう、三沢さんのツイートの記述をこの論理に適用すると日本は結構女性的な考えをベースに動いているような感じがする。 だから、組織に入らない人が理解できないし組織を生きるために仕方なく使う道具として使う発想もないということになる。
組織に所属することが人生や常識として当たり前になっていて、1人でなんかしようって頭おかしいんじゃないの?って批判することに躊躇がないというのにも納得がいく。
個人的に、まったく同意はできませんがそういう考えがあるということは分かります。
まぁ、あれだろうな。空気が読めないとかいうのは「組織がすきな人の発想をまるで理解しないからクソ」みたいなことをいわれているような気がしてね・・・