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自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

高いIQや飛びぬけた特性の人を日本が扱えないワケ

読む前の注意書き

 

この手の話をするとEQがどうのという話を出す人がいるけど、面倒くさくなるのでそれについては話しませんし絡める気はないのでご注意ください。

あと、かなり思いつきで書いているので発想がふわふわしていて適当です。

 

会社員に必要なIQってどのくらい?

別に特別成功しなくてもいい、平凡な会社員としての及第点ならばIQはバランスよく95くらいあれば問題なくやっていけると思う。

IQの高低よりも、能力的なバランスの良さが重要となってくる。

個人的に一般的な組織人的(=会社員)に成功しやすいIQはwais-Ⅲとしての基準で考えると「バランスのいい115~120くらい」ではないかと思う。頭がよくて仕事もできるけど、癖が強くないみたいな知性を持つレベルというのがそんな感じ。

waisの標準偏差のばらつきをみる基準である1σが15であることを考えると115というのは平均からギリ外れない境界線ではないだろうか。

 

 

 IQは高すぎるとバランスを失う

 

下手に130とかあるとバランスが崩れて他の人からは「なんやあいつ、意味わからん」とかいわれるし、もっとIQの高い層からは「中途半端に小賢しいやつなので非効率」みたいな感じに苦しむ傾向にあるような気がする。

なんというか、あまりに高くなると思考回路が別のOSで起動するようなことになるので、常人のフォーマットにドライバを合わせるコストが馬鹿にならない。

UbuntuでいうならWindowsのソフトをWineというエミュレーションソフトでみてるような感じだが、あれはやってみると意外と調子がよくない。

なので、IQが20離れると会話がかみ合わないというのはなんか間違っていないと思う。

なぜ、特別擁護学級が小学校や中学校に設置されているのかを考えるとIQの標準を100として扱えば、70以下という基準になるので軽度の領域でも扱いは2σ分下側にマイナスにぶれてしまう。

 それを2σだけ上側にシフトするとIQが130以上ということになるのでばらつきという視点から見ると「異常」ということになってしまう。

能力のバランスが悪い高IQの人は「コミュ障」になりやすいと思う。それも、独学で強引に常識を学んできた人は特に顕著。

なぜかというと、自分の話す内容の語彙力、興味などが周りとずれていることが多く自分の得意なフィールドに持っていくと場の空気を凍らせてしまうことがなんとなくわかるからだ。

じゃあ、他の人に合わせた会話をすればいいじゃんというが、そんなものは一朝一夕でつくようなスキルではないのでそうそう簡単な話で片付けることはできない。

干されるのが一番面倒くさいので、日本社会においてはあんまりしゃべることをしなければ軋轢を起こす可能性が少しでも減る。

それゆえ、空気が凍るよりも根暗でいたほうがまだマシだという処世術としてこの生き方を選択しているのですよ。

 

要するに、空気を読むことを重視する空間がある限り「頭はいいけどコミュニケーション能力が低い」人は黙ることを半分強要されている状態は続くのですよ。

具体的には、組織の中に隔離部署とかを作らない限りコミュ障問題は解決しない。それでもなお皆に合わせて下積みをすることをずっと望んでいれば潰れるか組織を抜け出すのは当然だよね。

 

まぁ、社会適合者の人は相互間で空気を読ませる状態を望んでいるのだからもう解決するというのも結構難しそうな話ではないだろうとは感じているんだな、これが。

 

有能な人がみんなに合わせることはロス

逆に空気も読めるし高いIQも持っているバランスのいい人はみんなに合わせてほどほどに能力を発揮することができる調整能力があるんですよ。

でも、その無駄に高い調整能力ってぶっちゃけ本人にとっては損失以外の何者でもない。

そんなこと気がついていない人たちは呑気に「あの人すごい!」ってワーワーいってる。陰で本人は「お前ら失せろ」とでも思っているんじゃないですかね。自分はそこまでバランスいいタイプじゃないので本当のところは分からないが。

会社の中でもうまくやっていって好成績を残すんだけど、周りのバカ(社会的に本当の馬鹿ではなく、能力の高い人から相対的に見て低い)に合わせているのが本気でばかばかしくなり辞職する。そして起業して大成功するっていうのがお決まりのパターン。

もしくは組織にこだわって、会社員としては結構評価が高いんだけど自分のリミッター解除を逃して普通の人にならざるを得ないってこともあるんじゃないかと。社会的な損失なのかもしれないが、他の人は意図しないにせよそんな状態を望んでいる気がして少し恐ろしくなる。

 

日本の組織は飛びぬけた人の通訳ができない

日本全体としてみればあんまり価値観が変わっていないのでまだゼネラリストが評価されているように見えるが、いつか彼らはどこかでつまづくのかな?という感じがしないわけでもないのよね。一番言葉として近いのが、猪子寿之小飼弾さんの対談

[対談:小飼弾×猪子寿之②] 変化の時代は、何でもそこそこできる「フツーの人」が一番使えない - エンジニアtype

から引用してきたものが該当するような気がする。

小飼 一番の近道は、儲かりそうな「突き抜けちゃってる人」を見つけること。彼らには通訳が絶対に必要ですから、そいつの通訳をやっているだけで、ある程度食っていけると思います。何度も言うように、通訳としての能力は高いものが求められますが。

最も救いようがないのは、自分には際立ったものがないのに、突き抜けちゃってる変わり者を毛嫌いしている自称「常識人」でしょう。そういう人には申し訳ないけど、「あなたの職業人生は、余命あとウン年です」と言わざるを得ない。

 

これはいつなのか、誰によってやられるのかは分からない。日本の雰囲気から見るとだいぶ遅い。むしろ、猪子さんと小飼さんがこんなこと言っている時点でもうだめだと思う。

小飼 でも、注意したいのは、そうやって「フツーの人」を殺してきたのが、普通の人たちだということ。普通の人たちが何かをしてもらう立場になった時、「フツー」じゃ満足できなくなった。

ネット社会、情報化社会になって、「もっと良いのがあるじゃん」、「もっと安いのがあるじゃん」と言うようになったんです。その時に決まったんですよ、「フツーの人」の死が。ヨーロッパなんかは、そのあたりのことに自覚的だと思う。だから、コンビニとかあんまりないですよね。

猪子 ただ、日本じゃもう、この流れは止めらんないと思いますけど。

小飼 うん、止まらない。むしろもっと進んでいく。

 

結局、能力あるけどアクのある人どんどん使えなくなっているよねって話。

これ、もうご臨終宣言もいいところだよ。

組織をきれいな形でそれなりにまわすことはすごく得意だし、その部分を評価しているのは分かる。完成された人で動かせば、それはもう完璧なものできるでしょう。

ただ、日本全体としてみればあんまりいいことだとは自分は思わない。

人間がすべてJISの規格品とかだったら、この理屈でもなんとかなったでしょう。

でも、実際はそういう風になっていないからこの2人が問題提起しているんですよ。

それぞれの得意不得意を埋め合わせて強く物事を動かそうって組織も動けるように整備しないと、これからの日本に社会不適合として扱われてしまう人がウジャウジャ増える。=同じ土俵だけで強制的に戦わせることはすごく国として危険な緊張感を持たせる

 

小飼 あ、分かった! 『エンジニアtype』さんみたいなメディアが、何でこういう対談を企画しなきゃならなかったのかという理由が。日本では、大企業がなくならないからだ!

はてながアクを許容できなくなったワケ

結論から言うと「ぼくのつくったおおきな組織であることを自慢したいから」です。

自分はもともとアクの強い人たちが動いていたはてなブログの時代にはいなかったんですよ。だいたい2012年から少し過ぎたくらいの頃かな?

togetterのツイートまとめみたいなのを見ると本当に戦渦の爪あとっぽいのが結構残っていてびっくりしたもの。

自分がはてなブログに入ってきたときっていうのが2013年の5月なので多少炎上騒ぎがあっても、全盛期に比べるとおとなしい感じだったしその頃ははてな村なんて雰囲気があるのを知らなかった。

ただ、その当時はブログの内容が結構面白いところあったし社会不適合者なりの生き方みたいなのを認める雰囲気があった気がするんですよ。

はてなのオフィスに著名人を呼ぶという文化ができてからだろうか、クセを排除して完成されたものだけを求めるようになってから独特の息苦しさが始まったのではないかと思う。

お金になるってこういう方向に行かなくちゃ行けないのか・・・って思うことが多いなって。結局、経済的・名声的にご立派になるためにアクがどこか抜けなくちゃいけない。

日本人の求める「社会人」というのはとことん角を削られている。

はてなのオフィスに呼ばれる状態って、儲ける能力は高いけどその人のコンテンツの個性がどこかぼやけはじめたってことじゃないのかな?って個人的には思うところがある。まぁ、こんな記事出している時点でオフィスのブラックリスト入り確定な気もするけど。

余談の前に一言言わせてくれよ!

 

 
余談:自分のブログの発想元

エキサイトブログから引き継いだ自分のブログを始めたきっかけというのが、日野瑛太郎さんの「脱社畜ブログ」なんです。

作った当時に日野さんのブログの引用が多かったのはそのせいです。ってまぁ、そこまでさかのぼって見ている人いないから気づかないと思うし移転事故で記事のリンクがおかしいけどさ。

そして、日野さんがビジネス方向にシフトし始めてあれれ?と思い始めたときにイケダハヤトさんが出てきたわけですよ。「おお、社会的に鋭いこと言うなぁ」と感心していたら、ブログ名変えちゃってから高知いって市役所の宣伝くさいことやりはじめちゃったんで、前ほど頻繁に見るのをやめました。