言っちゃ悪いけど、球技の学校教育とかってトラウマを作る要因じゃないの?
ごめんなさいね、教育担当者の人や球技のチームプレイが好きな人たち。
学習指導要領のやり方、チームプレイの前提なのかもしれないけど、あれは確実に社会的な殺しにかかっている部分があるからちと言わせてもらわないといけない。
あまりにも前提が違いすぎるので共感してくれという贅沢なことは言わない。
ただ、こういう視点があって「そもそもぜんぜん前提が違うんだ・・」という感覚くらいは持ってほしいということで言いますよ。
まずひとつ。これはあなたたちにとって驚くべきことかもしれない。
球技って何が楽しいの?そして、楽しくやるというけど、やっている様子を見る限り異常なまでにピリピリしているんだよな。
あの様子はぜんぜん遊んでいる・楽しんでやる感覚とはいい難い。苦手な人にとっては求められているレベルが高すぎるうえに強制参加なんていうのは地獄以外の何者でもないのよ。部活のノリの延長でやってるんだろうけど、やめてほしい。
球技が好きな人の和気藹々のレベルは凶器なんですよ!
それで「参加しなよ~ゆるいから~」っていうのを断れないっていう空気がどれだけ重いのかっていうのを自覚していない。
本当に苦手なレベルっていうのはあなたたちにとってはふざけているように見えて怒りたくなるんだと思います。ただね、運動が苦手な当事者はふざけているわけでない。ガチで必死なのにあの動きしかできないからネタみたいな状態になっている。
ふざけているやつはもうちょっと動きに余裕があるんだよ。参加させておいてキレるくらいなら、最初から誘うんじゃないよ。そんなのを「協調性」だなんていうのははっきり言って有害だ。
なんで有害とまで言うかわかります?
不向きというレベルが、努力しても伸びしろが期待できないからだよ。マシにはなるけど、あんたらの最低限求めるレベルにいくには何年かかるの?って話。
球技系のチームプレイは、大抵それぞれがフォローできる最低限の能力を持っている前提で動いてるんだよ。
要するに、ある程度同質の能力を求められるからそもベースの能力がある程度持ち合わせていないと、必然的に迷惑かけちゃう。そういうことを自覚してるから参加するというのが怖すぎる。
バレーボールなんかだと、6人しかいないからそれぞれの能力が高くないとそもそもお話にならないですよ。体がついていかないと意味がない。
そもそも球技の動きが苦手な場合って言うのはどうやって動いたらいいかわからないし、もっと低いレベルから指導してもらう必要があるんだよ。
学校教育の球技ではその「低いレベル」っていうのを想定して教育されていないんだ。
そもそも、距離感がおかしいとか、体のイメージをつかめていないとか、動きを見て真似するという「簡単な」ことから困っているなんて、あんたらは想像もつかないんじゃないですか?
はっきり言わせてもらうけど、学校体育でそういうことから指導された覚えなんてないよ?
そういう感覚のない人が指導する体育って言うのは、「球技=楽しい」という発想で、勝手にやっていれば伸びるでしょ?みたいな考えで指導しているから楽しく感じる層と地獄な気分を味わう層とが二極化するんだよ!
後者のほうは理解できない方人格を半分くらい否定されてこれからの人生の自信に影響を及ぼすんだ!
「こいつ、オドオドしてるな」って思っているやつがいたら、それは自称チームプレイが得意なあんたらが気づかないうちにそうさせたんじゃないの?って言いたいんだよ。
具体的な例だと自治会みたいなところで行われがちな「集団バレー親睦会」みたいなのはマジでクソだと思うんです。
さっき言ったこととかぶる要素があるのはすいません。
だって、ああいったスポーツで親睦とかいってもやってるやつらがガチすぎる!
んで、トラウマ級に苦手・嫌いな人も強制参加。
うまくいかなければグチグチ言ったりするんでしょ?そんなの親睦でも何でもねえ、やりたいやつらだけで楽しめってんだ!
好きな人たちは「仲間なんだから。参加することに意義があるんだよ☆」っていうけど、その前提条件がやる気がある/能力的にある程度こなせるという事項を求めている。そして、それを隠しているのがマジで気に入らない。
入り口だけは柔らかい態度していて、いざ参加してみたらヘラヘラやられる・下手なプレイをされるのが嫌って態度ならそういう集団だけでやればいいじゃん。
本当にゆったりな親睦したいなら、そんな結果の多寡でギクシャクするようなもんをやるなよ!
ゆったりというのは選択の自由があってこそのものだろ!
まぁ、もしかしたら自分の仲間内のグループが結構テンテンバラバラで統率とれていないような感じなのでそういうのに慣れてしまっているっていうのもあるんだろうけどさ。
カラオケで音痴すぎて場が凍るみたいな状態になってるといえば分かりやすいだろうか。でも、自分はどんなに音痴な人だろうと楽しんで歌ってくれている分には別に気にもしない。いろんな歌唱力・曲目のジャンルを歌う人がいるからこそ面白いんだ!
なんというか、競技の構造上仕方ないのかもしれないけどそういう違いに対する粗みたいな要素を気にする人が結構いるからすごく入りづらいし、参加しても隅っこで縮こまる人が多くなるんですよ。
ゆるいはずの親睦会で変に空気読ませてしまっている時点でだめなんじゃないかな?
そして2つめ。
あと、自分はぜんぜん違うタイプなんだけど「ガタイがよくて体力テストだけ成績がすごくいい、もしくはチームプレイやボールを使わない柔道、水泳、陸上などは上手。でも球技はからっきし」の人たちも結構被害受けているんですよ。
体格がでかい=運動神経がよいみたいな期待を勝手に持たれてガッカリされるみたいなことを体験した人は多いのではないだろうか。
スポーツ選手は身長が大きい人が多いので、第一印象でプラスなんだろうけどそのプラス分は彼らにとってプレッシャーになる。ましてやできそうなイメージのため、本当にできなくても「できないのはやる気がない」みたいなとられ方もしやすい。
うまい人とやると迷惑をかけてしまうことが分かるので、ヘタクソなチームに入れてほしくても、入れてもらえない確率も高くなる。
前者と違うのは、運動関係のベースが低いわけじゃないので個人競技などを極めて結構大成できる可能性があるということだ。
もし自分が前者だなと本気で感じているとしたら、その土俵で無理に張り合うことはないんじゃないの?と個人的なアドバイスをしておく。林先の台詞を借りると、少しの努力で何とかなりそうな分野を見つけたほうがいいというのはマジだと思う。
小さい頃に親とボール遊びをしなかったとかの環境の話があるかもしれない。
そもそも、球技が嫌いなやつっていうのは小さい頃から違うんですよ。
親と一緒にボール遊びしててもそもそも遊び自体に興味を持てていない。
なんでそんなことが言えるかっていうと自分がそうだったからだ。
体を動かすよりもじっとしていて青空を眺めていたり、積み木でモクモクと遊んでいるほうが好きなやつだっているんだよ。たしかに、ガキンチョはワーワー動いているほうが多数派な気がするし目立つ。
まぁ、結局は環境もあるんだろうけど興味の強さもあるんだろうなって気はする。
いろいろ荒れてしまったが、スポーツが嫌いな人が理解できないって人向けに説明しました。今まで生きてきた人生でこういう背景があったんだよということです。