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マイノリティ雑貨店

社会に関すること、自動車、発達障害などを扱うブログです。社会ブログなのか、車ブログなのかよく分からなくなってきました。

世間が求めていた「コミュ力」ってこういうことだったんですか?

社会などの風潮

今日、こんなツイートを見かけた。視点がすばらしいと思ったので言及させてもらう。

 

【○○が好きな文化系の学生は採用しない=私は体育会系独特のコミュ力しか対応できない人です

企業側の言い分としては、「商品を消費する人と商品を売る側の人の分別がついていないんじゃないの?」といいたいのかもしれない。

言いたいことはわからないわけじゃないさ。ただね、商品を売る上で、商品の知識を学ぶ能力が高い人ってどういう人なのか理解していないからこういうこと言うんじゃないのかね?って気持ちになるんですよ。

 

ここから考えさせてもらうと持っている知識や本来のやる気を買おうとする意志を試しているかというと微妙なんだよ。物を売る上での知識とか背景とかに詳しいっていうことはその分野に関してはオタクにならざるを得ないんだよ!

その分野が好きな奴は好奇心が手伝って商品知識の習得が早いことを理解していたら、こんな発言はできないよ。

例えば、鉄鋼関係とかで営業するじゃないですか。

客先でステンレスの材料について聞かれたとしましょう。その関係の知識なくて

「SUSってなんですか~?僕わかりましぇーん」とかいうの?

話を聞いている限り、自分たちがあんまり関わってきたことのない理系とかオタク風の学生を弾き飛ばしたい口実にしか聞こえないんだよね。

 

あんたらが、本当にコミュ力がある人がほしいっていうんなら理系や変なことに詳しいオタク系のやつともうまくコミュニケーションできることを見せてからにしてもらわないといけないよね?

だって、仕事上でコミュニケーション能力がほしいんでしょ? ならば、あなたたちはコミュニケーション能力がなかったらまずいことになる。

それともなんですか?コミュニケーション能力というのは「体育会系特有の常識だけを持ったコミュニケーション」に限定されてるのだろうか。

もし、後者だとしたらあまりにも価値観が狭すぎる。

前提として体育会系がプロのスポーツマンとしての発想から来ていると主張するとしよう。それに対する自分の答えは「ちょっと待て」と言いたい。

【日本の体育会系はスポーツマンとしての精神とは違う!】 

スポーツを激しくすると体力が消耗する。体力が消耗したら休んで筋肉の回復を待たないと次の試合とかに影響が出る。

それに対して日本の会社のブラックな体育会系って「休む」発想がまったくないんですよ。要するに、スポーツ科学の視点から見た筋肉の回復もへったくれもないわけ。

それで根性がある? ふざけんな。疲れている・無茶に慣れすぎて感覚が麻痺してるだけじゃん。運よくつぶれていないだけだよね。

あともうひとつ考えるとするなら日本の会社というのが体育会系やマイルドヤンキーみたいな人たちに最適化されすぎて他のタイプの人種を入れにくくなっているんじゃないですか?

同じ性質がゆえに秩序は高いし安定はするけど、いろんな要素が混ざらないから変わるということに関してはすごく弱い。

昔の記事でも何回か言及したけど高度成長期はそれでもよかったんですよ。単一な人材で回せるくらいの時代だったの。その構造をまだ見直せていないってことなんだ。

ちょっと前の記事でもいったけど、自称常識人として干される日が来る。

【体育会系の人が世間的にコミュ力あるように見えてしまう理由】

 

体育会系独特のコミュ力について少し話していこう。

野球の強豪高校とかさ、体格や能力としてはすごい奴多い。けど内部告発のエピソードがあまりにも人としてクズすぎるんですよ。

後輩をボコボコにしたとか、罰ゲームで厳しい上下関係を身につけさせたとかそんなことを手柄にしている発想が理解できないんだよ。自衛隊関係の連中もそう。

本来なら、暴行事件だから警察がかかわるべきだよ!しごきとかですましていい問題じゃない。

TVで写す雰囲気が華々しいから美しい風潮にしたがるんですよ。

恐ろしいのはマスコミとか世間の人たちがそんな倫理感覚を持っている人たちを問題視しないことだよね。高校野球の試合の結果くらいしか見ていないんじゃないか?ってくらいのひどさ。これは情報収集のリテラシーのレベルもあるので単純な問題ではないんだけどさ。

結構勘違いされるので言うけど、自分は野球というスポーツが根から嫌いというわけじゃなくてその界隈に停滞しているクズの自浄作用のなさが本当にいやなんですよ。

言い換えれば、自浄作用のない組織に適応しているので同じ雰囲気のような会社に入ったとしてもそのままのノリが通用しちゃうってだけなんですよ。

しかも、上役の人に対しては黒い部分をきれいに隠すのが彼らはめちゃくちゃうまい!ある意味感心しちゃうと思うところだ。賞賛はできないけどね。

だからこそ、同じようなシゴキを受けても自浄作用として働こうとする桑田真澄とかはすごい評価したいんだよね。

 

{教育のしくみとかそういうのは面白いんだけど、球技観戦に興味がないので野球の試合を見ることが好きな人とは話が合わない・・・。簡単に言えば、世間を理解する道具として使っているので興味の持ち方がおかしい。だから、セ・リーグとかパ・リーグとか言われても何じゃそりゃ?って感じになる。}(余談)

 

もうひとつ、ツイートを。

 

【運動部に所属してかつ、体育会系のマインドに同調しなければいけない】

 

問題の本質は所属していたことじゃないんですよ。なかなか鋭いところ突いている。

運動部やっていたからこそ、体育会系の黒い部分を見てしまってあのノリに憎悪を感じる人がいるわけだ。そういう態度を感じ取ると、体育会系は必要以上に敵視するんですよ。それは、怒ったスズメバチのごとく違う巣(考え)のものをつぶすかのように。

余談だがチャラいやつとかは毛色は違えど、空気を読むことがすきなのでそういう集団に慣れているんだ。意外と親和性が高いのはそのため。

【体育会系偏重社会は技術系の人を軽視する社会】

 

社会を体育会系だけで回そうとしていると、結局はオタクが強い研究・技術関係ってつぶされる。形だけスーパーサイエンススクールでお茶を濁すようなことしたって、そんな付け焼刃な発想が通用するわけないよ。根本から治さないとだめ。

華々しいノーベル賞は好きだけど、内容なんかどうでもいいやって感覚がものすごいある。要領はいいけど、深みの足りない人たちばかり構成してどうするのってことになるんですよ。

ちょっと自分でも言い方が悪いと思ったのでフォローすると、こういった要領がいい人たちを批判しているように見えるが、彼らは社会的には必要な要素だとは思うんですよ。団結とかそういう能力ではやっぱり強い。

だからこそ、あえて見出しの「偏重」を赤くしたのだ。

ただ如何せん日本はそのバランスが悪すぎる。いらちな奴が多すぎて大事なこと見落としているんじゃないの?ウワベだけ持っていこうと思っているんじゃないかってすごく感じる。

そういうことを警告しておきたいってことで、今回は以上です。