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自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

暴走族は組織適応性が高いのでは?

ふざけたタイトルだと思うかもしれないけど、これ結構真面目に言っています

【なんでそんなことを言い出すのか?】

世間的に暴走族は社会的不適合って結構いわれる。そこには実際に被害を受けている人がいるからだ。めっちゃブンブンうるさいし、いきなり車の間に割り込んできたりして危険だ。今はそれほどないけど、昭和のときは組同士の抗争や殴り合いなんていうのもあった。そもそも犯罪やってるから悪いことをやっていることは事実だ。

 

ただ彼らの中には更生して会社員になる確率が少なくはないんだ。

だからこそ少し考えてみることにしたんですよ。

社会不適合ってどういう種類があるのか?って考えたことってありますか。

よく考えてみるとこの「社会不適合」ってすごい曖昧な言葉なんですよ。

それについて考えていきたいけど、まず前提が必要だ。

【あなたは社会人って言葉を真面目に考えたことがありますか?】

さて、日本の社会の前提について。日本独特の言葉として社会人という言葉がある。ここに社会不適合が曖昧になりがちな要素が隠れている。

そう、みなさんもご存知のとおり社会人というのは会社員のことだ。それも派遣社員やアルバイトではなく正規雇用を受けている人に限定される。脱社畜ブログの日野さんもかなり古い記事において言及しているが、いまでも余裕で通用する記事なので一度見ていただくとすごくわかりやすい。

ビジネス方面に舵を切ってからは見る頻度が減ってしまったが、過去の記事は結構秀逸なものが多いのでほかの記事もぜひ参考にしていただくとよいと思います。

自分が変わっていないということであれば、指摘されるのだろうけどね。

dennou-kurage.hatenablog.com

社会人という言葉は、字義通り解釈すると「社会の一員」ということになるだろう。しかし、現実には社会人とは「定職についている人」を指す言葉として使われる。学生は当然入らないし、フリーターも社会人としてみなされない場合が多い。

 

この、学生やフリーターが社会の一員ではない、という捉え方はおそろしく乱暴だと僕は思う。学生やフリーターだって、人に会うし、物も買う。お金も稼ぐ。立派に社会生活を営んでるじゃないか。山奥に一人でこもって狩猟採集民のような生活でもしていない限り、人はみんな社会人のはずだ。

 

むしろ、この言葉は正社員として就職して働かなければ社会の一員ではない、といった狭量で差別主義的な思想によって支えられている。「社会人としては失格」や「社会人なら◯◯するのは常識」といったテンプレ表現は、単なる生きるための手段に過ぎない労働を、過度に崇高なものにして、それができない人を必要以上に責めるために使われている。

色を赤くした部分は特に重要な指摘をしている。

要するに、社会人という言葉があるということは能力によって受けている待遇よりも、正規の所属をしているかどうかに対して日本人はすごくうるさいことになる。

日本の基準で言う、正規な所属をうけるためには何が必要か?それは組織適応性だ。

【社会人という言葉は、組織人のための言葉だ!】

わかりやすい例をひとつ。

ホリエモンはすごく仕事が出来る。いらつく人もいるかもしれないが、これは事実だ。

24歳で会社を作り、すごく儲けた。インサイダー取引の件で投獄されてしまったものの、もう一度復帰してTV出演や経営をバリバリこなしている。

では、彼は会社員として活躍できそうな感じの男だろうか?

自分も含め、誰もこの問いに首を縦に振ることはないと思う。彼には組織適応性がないからだ。能力があってもいろんなしがらみや規則のせいで空気を読んだり行動を止めたりしなければいけない。

会社員的にいう斬新な発想というのは、あくまで社会の常識の中におさめなければいけないのだ。実力は劣っても、常識っぽく見せる努力がそれ以上に必要だ。

仕事能力は高いから成果は出せると思う。でも、そんな状態に耐えて行動できるか?って話ですよ。もしどうしてもやるとしたら、会社の規則とかクソクラエみたいに思うんじゃないかな。

何が言いたいのがわからない人向けに言い換えれば、上司や一般常識、ブランドの中で都合よく扱えるような状態でなければそれがどんなに画期的であろうと受け入れられることはない。言い方は悪いが、小うるさい連中のご機嫌をとる必要がある。

 

ブラック企業というのは、暴走族と本質は一緒】

両者の本質は組織という集団の単位で法律違反を犯すことだ。

ただ、違うのは違反する法律が労働基準法ブラック企業道路交通法+市の迷惑防止条例(暴走族)かというくらいではないだろうか。

前者は曲がりなりにも書類上、お役所に認められた組織なので暴走族ほどの取り締まりは受けないが、こうした組織で働く日本国民にとっていい影響を与えていないことは事実だ。

暴走族に焦点を当てて話をしましょう。

ヤンキーとかチンピラの世界はアウトローだが、本質は上下関係の厳しい体育会の世界だ。会社に好まれるのは運動部出身の体育会系だが、背景は違えどノリがそのまま通用するやつらなんですよ。

2つ前の記事でも言ったけど、野球部の強豪高校のやつらは裏でのエピソードが暴れたヤンキーと大して変わりない。PL学園のいじめの話とか胸糞悪すぎる。

暴走族に入るということは、組織の中でうまくやっていく必要があるということだ。

そう、ここで重要なのは日本の学校教育が嫌いなことと組織適応性がないことは別のものとして考えなければいけないということ。

昔、自分は「なんでヤンキーはわざわざグレてまで学校みたいに厳しくされる集団なんかにまた入りたがるんだ?」ということを本気で考えたことがある。

ある人に聞いたら「あの厳しい感覚にしびれるんじゃないの?」という答えが返ってきた。だが、それはとてもではないが納得できる返答ではなかった。

その答えがここ最近になってわかり始めたような感じだ。

【教師が嫌いなのに、厳しい組織に入る理由】

学校が嫌い。先公が嫌い。でも、後者のストレス要因って本質的には問題が解決していないんだよ。なんでかっていうと暴走族の先輩と学校の先生って自分が従わなくてはいけない上位の相手という点ではまったく一緒だからさ。

でも、彼らはそこに入る。なぜなら、組織の中に入っていくことが嫌ではないからだ。

組織適応性のないアウトローというのは絶対に集団で悪さをしようなんて考えることはしないんだよ。だから、グレようという気にもならない。集団で暴走するためにはチームワークが必要だ。

「男がつらいよ 絶望の時代の希望の男性学」という男性学を専攻にしている田中俊之先生の本に次のような暴走族の話が書いてある。

誤解されているかもしれませんが、暴走族は非常に統率のとれた集団です。上下関係は厳しく、基本的に20歳で卒業していきます。また、公道で暴走行為をするためには、役割分担が重要です。例えば、警察をまく係がいたり、十字路での衝突事故を防ぐために道を塞ぐ係がいたりします。要するに、暴走族内部のルールを遵守し、しっかりとした集団行動をとる必要があるのです。なお、妙に詳しいと思われるかもしれませんが、経験はまったくありません。

やってることは間違いなくいいことじゃない。でも、統率は取れているので企業的な要素持っているんですよ彼らは。だから暴走族が更生して・・・会社員でバリバリみたいなエピソードがあるけどあれってそんなに方向性がずれているわけじゃないんだよね。

だから、ブラック企業って言い換えれば経済界のヤンキーやDQNみたいな感じなんですよ。ブラックとして名高いワタミすき家は最悪のヤンキー・ヤクザ組織の関東連合みたいなものにあたるんじゃないだろうか。

 

【組織に疲れた人へ】

今の日本は構造上どうしても会社員としての生き方を求められちゃう。だから無駄に組織適応性を問われてしまうわけだ。自分だけの小さな組織というのをすごく作りにくい。だからこそ、人生に疲れて自殺をする人が増えているのかもしれない。

組織適応性がないことを自覚しているが、会社員として嫌々働けていられる人はまだラッキーだと思う。

「うるせえ」とか思いながらふてぶてしく社会適応したフリをできているなら儲けものだ。どのみち本当の意味で適応するなんてことは自分にとってもきつくなるだろうから、無理に「社会人っぽくしようと意識すること」はおすすめしない。

どっちみち、そんなガラにもないことしたところでボロが出るのは時間の問題だ。

ただ、「うるせえ」とも思えずに日々憂鬱な気分で死にたいというのなら辞職を想定するという選択肢は持っておいたほうがいい。

精神を壊してしまってからでは復帰をすることはすごく難しい。まぁ、そういう壊して云々の話はのほうが実体験からもっと深いことを述べているのでここのブログより説得力あると思いますぜ。

組織適応性がないなと感じている人にはもう一言。

【"社会の常識"とやらに過剰適応するな!】

別にルールや規則を破れなんていっているわけじゃない。

自分は組織だけのために生きているわけじゃないということ。それは自分のためかもしれないし、友達のためかもしれない。組織に所属していれば経済的に生かしてくれるレベルは上がる。だけど、組織と自分の区別はつけておいたほうがいい。

これをもっと具体的に言うと、自分の所属組織=社会みたいな感じになって大学生や子供に説教するような大人になるなということだ。この手の説教をしてくる人の話はあくまで組織内の振る舞いだけに関してであり、電車内などの「公共社会」まで言及はしていない。

わざとではないのに、軽く当たったくらいであからさまに電車の中で舌打ちするようなスーツの男を自分は何人見てきただろうか。まぁ、しょうがないなと思うようになりました。(=あきらめた)

スーパーなどで店員に威張る人も同類だ。

その組織内の正しい振る舞いも本当にいいのか?と思うくらいがちょうどいい。常識が身にあってるならそこに関してはもう何も言いません。

日本の人たちは意外と狭い価値観で生きることに慣れすぎている。

労働時間が長く、会社という狭い世界で生きているから「社会では通用しない」みたいな話がある程度通じてしまうように感じるだろう。

でも、そういう状態って本当にいいのか?って考える必要があると思いますよ。