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自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

文才のある人? それと感覚のお話

同じ事を言うにしても、とても美しく言える人と、そうでない人がいる。
それってなんだろうなっていうことを考えてみた。一言で言うなら文才というもの。

①感覚がとても鋭い。
いつも、社会に対して思っていることがあり違和感や変化などを敏感に感じ取れる。感じ取れないことには、あまり考える素地ができにくい。食い物を拾うときにはまず、においを感知しないといけないわけだ。

②本質をつかむことがうまい。
難しいことをわかりやすくシンプルに伝えること。基準で言うならば、義務教育を出た人には通じるようにする。
本質をつかめば、説明が単純にしやすいため、読むことが苦手な人も理解しやすいし、情報の混乱も防げる。
「脱社畜ブログ」の日野さんや、ちきりんさんの文章がとても読みやすいのもそういった部分があるからだと思う。

③感じた感覚を美しく言語化する。
自分が頭の中でどう思ったか、整理すること。整理した言葉をならべ、誰にもわかる言葉で書く。
感じたことを整理することは意外と難しい。「あーでこーで」じゃないけど、話が飛んでしまうといい話をしているはずなのに、ノイズがすごくて聞き取れないような状態になってしまうのだ。

④世間の常識にとらわれ過ぎない。
世間の風潮を絶対の基準のように言うような人は、ぶっちゃけて言うとあまり考えていないと思う。
例えば「サラリーマンじゃないと人にあらず」みたいなことだ。そんなことをいうと、個人経営でやっている床屋のおっちゃんに喧嘩を売っているようなことになってしまう。それ以前に、自分の考えを持っていないと「ものを書く」という動作にはつながらない。もし書いたとしても、なんか薄いものになってしまうのではないかと思う。

次に感覚の話を掘り下げたい。
①からの話を引き伸ばすことになるのだが、感覚が鋭いということは、それだけ感じられるものごとが多いという事だ。そういった意味で言うなら、感覚過敏(自閉傾向の人に多い)の人は常に情報の渦に巻き込まれているような状態だ。考える材料を最も多く持つ人と言っても良い。牧場の設計を行なっているテンプル・グランディン氏は感覚過敏を持つ高機能自閉症として最も有名な人だが、彼女の本には細かい情報がたくさんあり、びっくりするほどの判断のパターンがあることが分かる。と畜場を作るときに、床の光り方まで考え、それにより動物の快適さを追求しているのだからすごい。感覚過敏は割と我慢しにくいものなので、グランディン氏はいつも消すように考えているのだろう。
逆に、感覚が鈍い人っていうのは我慢強い。感覚過敏とは違い、情報が入りにくい状態なのだ。
「そんなもの、痛くもかゆくもない」なら気にする必要などない。
苦手なものでもバリバリこなし、どんどん進む。割と当てはまりやすいのが体育会系の組織ではないだろうか。
やたら耐え、ダメなら猪突猛進で特攻する。誰もその意見に反論するものはいない。
チームプレイによる人海戦術で大きなことを成し遂げる。だけど、誰も警告できないので内部の腐敗に気づくのが遅れやすい。
たぶん、日本の社会人は我慢強い人が多いことは確かだ。普通なら200時間とか働くなど、冷静に考えればとんでもないことだ。ただ、その割合がいささか多すぎてバランスが狂っているんじゃないかと思うね。
最近、ブログとかで「社会がやばい」みたいな人が増えてきた。日本では貴重な「敏感な人」だ。
ただ、その主張は現実では通じにくいというのはまだ少数派であることを裏付けている。
本来は敏感な人も鈍感な人(我慢強いでも可能)もバランスよくいるべきなのだが、どうもそううまくはいかないようだ。