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自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

支援のよしあし

発達障害の研究や支援がよく進んでいるのはアメリカだといわれている。
ここなら割と発達障害教育に自由が効くんだろうなと思っていたら案外そうでもなかった。
ニキ・リンコ氏の「自閉っ子、深読みしなけりゃうまいく」を読んでみると両国の文化背景によって支援教育の様子も違うことがわかってくる。
進んでいるアメリカの支援でさえ良い所も悪いところもある。だが、日本と違うところは国民全体の認知度ではないだろうか。これはかなり大きい。ヘタすれば、日本だとアスペの人が「話の通じない人」くらいに言われている時があるのでそういった意味で偏見が大きくなるのは支援にとっては弊害になることは間違いない。
もちろん、医者が持っている発達障害の知識が乏しい傾向にある。うつ病専門の人が見たとしても投稿失調症と誤診するときもあり適切な投薬治療が受けられない。詳しい医者もいるのだが、当事者が一発でうまく当たるとは限らない。そのあいだ、自分はどういうやつだ?という悩みに苛まれながら苦悩の日々を綴っていくのだろう。
自閉/多動の診断などで、「ただ遊ばせることだけ」を子供にさせることがあるそうだ。
知識・経験の豊富な人は遊ぶ様子を観察するだけで自閉傾向などを持っているかどうか判断できる。よく、「気にしすぎよ」「成長すれば治るわ」みたいなことをいう大人たちがいるが、それは経験などがない上で言っていることが多いので少し警戒(?)したほうがいいかもしれない。いつも子供を見ており、ある程度発達障害の知識がある母親の不安感は意外と発達の偏りを自覚する上での糸口になるだろう。

どうやら、腕白で騒ぐ子供に関しては日本よりもアメリカのほうが厳しいようだ。そういう子どもがいるとすぐにしつけ、大人しくさせる。人間だけではなく、ペットもそういう傾向だ。アメリカには行ったことがないので分からないが、日本のスーパーとかでは割と子供がスーパーで走り回っている光景はよく見る。
アメリカのスクールカウンセラーは割と騒いでいる子供に「強制/管理的」な対応をとることも多いようだ。
黙らせるためにリタリンを飲ませておとなしくする=逃げた動物に対する麻酔銃のようなことをやる。これは良い悪いの問題で考えるというよりは国特有のやり方なのだと考えたほうがいいかもしれない。
結果としては静かになるので投薬でいい or 子供が大人しくなるまで放置するかの判断の違いだ。ただ、前者のやり方は日本では親のほうからクレームが来る可能性があるのでできない。

あとは、「みんな違う学び方をしてもいい」という風潮が日本にもう少し広がっていけば発達障害支援の認知/実行のスピードが今までより段違いになると考えている。
特別支援教育といえば、今のところは「知的障害」のためのクラスくらいしか思いつく人は少ないかもしれない。しかし、個人の学び方の違いだけなのにクラスで同じようにやらされる当事者たちはついていけずに自尊心をなくしていってしまう。これは本当にもったいない。LDの人の認知に関してもかなり貢献できるので、早めに導入したほうがいいのは確かだ。カバーしきれないことはあるが、このままついていけない悪夢のような時間を過ごさせるよりはずっと有意義。
予算も考えたり、学校の先生はたくさんの生徒たちをカバーして行かないといけないので一筋縄では行かないだろう。牛の歩みではあるが、理解度などは上がっているだろう。文化的背景を考えてアメリカから学んだ支援方法を日本向けのメニューに改良すればより対応をしやすくなるかもしれない。
生きやすい社会が作られていけばいいんだけどね。