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自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

お互いを信用しない日本の人々

新・シニア起業時代プロジェクト 第1回フォーラム「『個力』を生かすチームワーク」

ほかにも参考にしていただきたい記事がある。
日本人って案外「個人主義」な気がする

会社でのチームワークってなんだろうか。自分は社員の特性をそれぞれ活かし、個々の力を合わせて物事を成し遂げることだと考えている。

でも、なぜその割に社内がギスギスしているのだろうか?ほかの記事でも、「内戦」という争いに使う言葉の状態になっているというのは会社の中で協力などできていないことが証明できる。ノルマ至上主義になってから特にその傾向が顕著になっている。

「議論が苦手」「弱みを見せない」がボトムネックに

 では、なぜ日本はそのチーム力が弱いのかを考えましょう。最初のポイントは、日本人は議論を嫌がるということです。日本に来て、いろんな会社の経営会議や役員会議に出て、議論をしないのを見てなぜかなと思った。とにかくコミュニケーションがプア(貧しい)。どういうことかと言うと、言いたいことを言わない、遠慮する、上司に向かって言わない、情報をうまく伝えない、会話で言わなければいけないことを言っていない…。
(中略)
これは余談ですけど。いずれにしてもコミュニケーションがプアです。
では、なぜコミュニケーションがプアかとじっと観察していると、意外に日本人というのはお互いを信用していないんだな、ということがわかった。何を言いたいかというと、これを言ったら「ばかにされる」「後で足を引っ張られる」「後で仕返しされる」と思う人が多い。もう一つはジェラシーとかやきもちがすごく働いていて、「これを言ったら変な風に思われる」とか言って、結局だれも何も言わないし、議論にならない。



「馬鹿にされる」「仕返しされる」みたいな状態はどこの国でもありそうなことだが、ちょっとした粗さがしみたいなことをして「お前は何を考えてやがる!!」みたいなことをとことん言い詰めていくのが日本特有のスタイルみたいなことは感じる。この背景には、リスクを取って成功するよりも、自分は極力何ももせずに失敗した誰かを叩くスタイルの方が出世するシステムがある。

ちょっとずれたことを言っただけで、「これはチャンス」とばかりに攻撃する。

相対的にその人がすごそうに見えるのだが、絶対的な基準でみると叩かれた人の地位が見た目上で下がっただけであり、別に叩いているほうの価値が上がっているわけではないので実情はプラマイゼロである。 暴君な意見ならば、むしろマイナスにもなりうる。
なお、上役にとっては凄そうに見せることが重要なのであり、中身がスカスカでも構わない。

なぜなら自分には権力があるため本当に実力のあるものでも余裕でひねり潰せる保険があるからだ。

総合職という採用が大企業にはあるが、そんな制度を作っているのは日本だけじゃないだろうか。

良くも悪くもそこそこ何でもできるゼネラリストを取りたがる。ということは、逆にいえば「こういう特技はあってすごいけど、割とみんなができることが苦手」みたいな人を異常なまでに嫌う。
「社会人にもなってこんなことができないのか!」なんていうのは最低限みたいな不明瞭な基準をいろいろなことに求めすぎているから起こる現象なのだ。

そして得意なことを発揮するのはイメージ的に完璧に見える人でないと気が済まないのだろう。従業員はそんなくだらないことに振り回されないといけないから雇用のミスマッチが起こるんだよ。

雪見さんの記事を見てみよう。

「自分がやらないと誰も解決できない」
「自分がやらないと周りが困る」
見方によっては確かに仲間思いの考え方にも見えなくはありません。
でも、これって――単にチームワークがなってないだけなのでは?
「延長の理由」は要するに「自分でやる」「自分でやる」って繰り返し。
それって、一人一人がただ「自分の仕事だけ」をしている――自分のことだけ考えてる――という事実の裏返しじゃないでしょうか?

スムーズに「交代」できるように、なぜ普段から情報を共有しないのでしょう。
気兼ねなく「交代」できるように、なぜ普段から引き継ぎの風土を作らないのでしょう。
誰かが急に休むことになっても業務に支障が無いように、なぜなってないのでしょう。
それぞれがそれぞれの仕事を抱え込むのが「和」なんでしょうか?
違いませんか?
互いに互いの仕事を助けあうのが「和」ではないでしょうか?
他の人に迷惑がかかるからとか、自分にしかできない仕事だからとか・・・要は協力する気が無い、交代したくないだけなんじゃないでしょうか。
下手すると、情報を共有しないことで自分が「代わりの居ない、会社にとってかけがえの無い人材」として重要な位置を占めることを狙ってそうなきらいもあります。
(中略)
みんなの能力を単純に足し合わせるんじゃなくって、有機的なチームワークから相乗効果を生み、加算をはるかに凌駕する乗算や指数関数的な成果を導くのが「チーム(集団)」となる醍醐味のはずです。
「みんな一丸となって頑張るぞ!」
って、ただ横に並んでどうするんですか。
ただ集まるだけで、情報も共有しないし、交代もしない、ただそれぞれが突っ立ってて、各々のことを勝手に「努力」する。



大まかに言うなら2人とも、「日本人同士のコミュニケーションって乏しいよ!お互いを信用していないから、関係がぎすぎすしている!」という主張だ。
なお、斎藤ウイリアム浩幸さんはインタビューでこんなことも言っている。

アメリカでは企業で長年働いた人や定年退職した人は「宝物」です。なぜなら、彼らは若い起業家たちにもっとも欠けている常識や礼儀や社交といったスキルを持っていて、引っ張りだこだからです。彼らはお互いに欠けているものを補い合い、結果としてベンチャーも成功しやすくなる。
日本だとなかなかそうはならない。実際に私が経験した話ですが、企業、特に大手企業のシニアの方々を若い起業家と引き合わせると、シニアの方はミーティングの席に大手企業のオーラをたっぷりまとって現れることが多い。「秘書はどこ?」と聞いたりする人もいます。場の空気が凍りますね。ミーティングが終わった後、「息子のような年齢の若造に指図される覚えはない」と言う人もいます。



ここの部分だけ、色を変えたのはより強調したかったからだ。日本の大企業のシニアはやはりどこかで自負があるのか、自分は崇高な存在であると思っている人が多い。年収なども結構いい場合が多いため、大企業に勤めて肩書きの立派な役職に長く就いていると近所の評判はすこぶるいい。

当然、近所の住民には会社の内情やその人のとんでもない部分などわかるはずもないので、盲目的に崇拝されがちなことが当たり前になってしまう。
ただ、この大企業シニアの集団はかなり人や所属組織によってかなり差があるため、人をよく見なければいけないのも事実だ。

その上で次の話を続けていこう。
「大企業かつ長年いることが正義!」みたいなところがあるため、彼らにとって若い企業家は「社会についていけない奴のいうことなぞ当てにならない」くらいの目線で見ている。
彼らにも見習うべき要素はあることは間違いない。

経験年数という点では圧倒的に強い。経験の質が良いかどうかは個人によるが、そういうところと、若い柔軟性みたいなところはお互いに信用し、助け合っていくのが大事だと思う。もう、年ってだけで威張れる時代じゃなくなるんだよ。