マイノリティ雑貨店

自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

やたら沸点の低すぎる社会

とあるツイートを拾った。→該当ツイート

「気に入らない」「嫌い」という感情だけで謝罪や中止に持ち込むことが普通になってしまうのは公的機関による検閲より怖いのではないかと思います…。RT @ichiyanakamura: ANAのCMもそうだけど、社会の沸点が低くなってて、それにすぐ土下座する空気がぼくは怖いです。



radioya氏と中村伊知哉氏との会話なのだが、はっとさせられることがあった。
地域の関係なのかもしれないが、たまたまANAのCMは見ていないので詳細はわからないが、騒動としては「外国人差別だ」みたいなことらしい。

これはほんの一例として取り上げられているが、最近の日本の人々の中にはあまりにも些細なことでクレームをつける人が多すぎるんじゃないかなと思うときがある。

CMや発言のあと、見た人が「これでは教育に悪い」 「差別ではないか」というクレームは当然リスクとしてありうる。

だけど、そのことに過敏になりすぎるというのはあまりにも余裕がなさすぎるんじゃないだろうかって思うんですよ。
他にも、イオンとかのクレームコーナーだとあまりにくだらないことで怒っている人たちとか。理由があって冷静に理由を言ってくるならまだしも、「因縁をつけるような」形でクレームを書いてある場合がある。
わりと止めてほしいのが、コンビニや駅の改札口で怒鳴るサラリーマン。
あれは本当に精神衛生上よくない。

もうね、どうにかならないのかな。さらに問題なのは社会に対してすぐクレームがつきやすいのに、人々が助け合う余裕がなくなっていることだ。

「お互い様」といえばいいのだろうが、そういった精神が本当になくなってきたと思う。
「舌打ちが増え、助け合いが減る社会」はどんどん治安が悪くなる。これは地域社会だけでなく、会社組織の中でも起こっている。もしかしたら、舌打ちの多い社会に慣れた人が多すぎるんじゃないだろうか。

「たかがそんなことで!」と思うのかもしれないが人によっては精神的ダメージが甚大なのだ。
「鈍感力」という本が昔出たが、良くも悪くも気にしない人が生きやすい社会になっているんだろうな。だから社会適応として、鈍感になれ。みたいなことを主張しているのだろう。
最新のモノに囲まれていると人間特有の感覚というのが鈍るのかもしれない。
傷がついても痛くない。

痛くないなら問題ない。金を稼げば・・・みたいなことが風潮となっている。だけど、その裏で何か大事なものが崩れている気がする。人間特有の味わいのようなものは失われていくのかな?如何せんまだその正体がはっきりしていないが、とにかくまずい予感だけはする。