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自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

書評「中村修二の反乱」 その2 名言集

この本は中村教授の名言がちょこちょこ出てくるのだが、ストーリーの流れを重視するため正直、あんまりまとまっているとは思えない。

なので、個人的にいいと思った名言とその背景に対する解説をしていこう。

セリフが長くて、関係なさそうな部分は省略する場合があります。

中村教授の思考のためアメリカひいきなのは仕様です。

 

「(前略)日本の裁判では、証拠を出せといっても企業が出せませんといえば出さなくていいんです。信じられませんよ。404特許が私の特許であることは、私の研究ノートを見れば一目瞭然なんです。しかし、その研究ノートは日亜化学にある。それを要求しても出せない。出せないと言われたら終わりなんです。その代わりに、相手は自分たちに有利な証拠だけを出してくる。それが日本の裁判なんです」

裁判で中村教授が和解することになったきっかけともいえるレベルの発言だ。というのも、弁護士に「この裁判、確実に負けるから和解しろ」と言われたのだ。それもそのはず、証拠を出させようとしないんだからそんなのは日亜にとってのチート裁判もいいところである。

 

「(前略)しかし、高裁に行くと日本社会そのままなんです。1人の研究者に何百億円という対価は多すぎるということですね。これを利益衡量というんです。判断基準が正義じゃないんです。企業のために、経済界、産業界が言うようなことを裁判所が言っているんです。だからあの時、日本の司法は腐っていると私は言ったんです」

 

 こういうことを日本人に言うと「企業の装置を事実上、タダで使ってるんだから企業のものだろ?」みたいなことを言われることが多い。日本の企業が儲かる⇒給料が増えるくらいにしかものを考えていない人が多いからそういうことを多くの人が信じているんじゃないかと思う。中村教授の売り上げ貢献額は604億円相当になるらしいのだが、それに対してもらったのは2万円だった。割合にしてみると3.3ppm。みんな大好き%じゃないんですよ、これが。(ppm=100万分の1)

 

「ですけどね、日本を大企業と官僚が支えてきたなんて、そんなの幻想ですよ。それは最近の金融破綻、官僚腐敗、大企業のモラルのなさ、そういうことを見れば明らかでしょう。日本を支えてきたのは、個人としての日本人の素直さ、従順さ、勤勉さ、忠誠心、誠実さ、能力の高さ、そういうものなんです」

 組織がすごいんじゃない。組織の中の人がうまく組み合わさっているから強いんだということ。従順さというのは若干個人的にはあんまりいい要素だとは思わないが、日本人の職人肌の人の能力の高さは目を見張るものがある。

 

「しかしですね、日本にはもう一つ問題があります。教育です。それが最大の問題です。それが最大の問題ですね。洗脳教育だってよく言ってるんですけど、サラリーマン大量養成洗脳教育ですね。みなさんもその教育を受けられて、大学受験で散々いじめられて、そして永遠のサラリーマンになってると思うんですね。(中略)やはりどう考えても、チョー難問のクイズでみなさんを疲れさせてですね、みなさんを永遠のサラリーマンにするためのものとしか思えないんですね。」

個人的には、疲れさせる要素に大学受験も関係あるとは思うが、最近では過当競争が当たり前の就職活動も原因じゃないか?と思う。(中村教授の時代はまだ就職のハードルがそこまで高くない気がするので)

というのも、中小企業クラスでも無駄に競争率の高いところが多くて自殺している奴やあきらめてブラック業界に行かざるを得ないという層が結構いる。当然、サラリーマン以外の選択肢を見せないし、新規参入を妨げるような産業構造になっていたりするのでこの教育をすばらしいと思い込ませて、それに反対するものには罵倒をする。

厄介な連中らが多すぎだよ!

 

「たとえばロケットが好きな子どもがロケットで遊んでいたら、日本のお母さんはきっと怒りますね。勉強しなさいって言って。でもそれがアメリカなら、好きなロケットにとことん打ち込めるシステムになっているんですね。それが将来の優れた宇宙技術者を育てることにもつながるんです」

これはブログで何回も言っているんだけど、日本人は1つ特化したような人材を「オタク」「暇人」といって蔑む傾向にある。

それなら、「バランスよく常識を知って感じのいい人になれ」という人がほとんどだ。だいたい、日本で最強となるのは商社マンとかそういったバランスタイプばっかりだ。彼らの能力はすばらしいと思うんだけど、そういう奴ばっかりで博士タイプみたいな奴を「コミュ力が足りない、基準的に発達障害だから社会的適応をする方法を考えよう!」とか言ってひきこもりにさせている罪は大きいぞ!

もっと問題なのは、この状況を当たり前だろ?とか言っているやつらですよ。

偏ることを恐れているの?バランス教育でもみんなの趣味はだいたい偏るでしょ?

 

「日本の教育制度は製造業中心の産業界の要求が背景にあるのかもしれませんね。1人の天才よりも100人の秀才がいた方がいいんですね。そのために落ちこぼれをできるだけ減らして、平均的な能力を持った子供にしていこうとするわけです。しかしですよ、わたしがそうだったんですが、数学が好きな子どもに世界史や古典文法を覚えさせたり、絵を描いたりピアノ弾くのが好きだって言ってる子供にわけのわからん物理の公式を無理矢理覚えさせて、いったいどうなるって言うんですか。バリカンでみんなを坊主頭に刈り揃えているようなもんでしょう。数学や物理を好きなだけやらせたり、絵を描かせたり、ピアノを思いっきり弾かせたら、その子はどれだけ伸びるかわかりませんよ。それがないんで、日本は平均点前後の子どもばかりになっていくんです。

しかもその平均点、最近下がっているのはみなさんもご存知でしょう。大学生はもともと低いんですけど、小中高の子どもも、国際比較すると平均点、下がっているんですよ。無理もないですよね。いやな勉強を押し付けられて、やる気なくしてるんですから。このままいくと日本は、1人の天才どころか1人の秀才も生まれなくなるんじゃないかって、わたしは思ってます」

長くて申し訳ない。でも、これだけ重みのあるセリフを長々いえるというのはすばらしいと思う。中村教授は製造業要請ということを言っているが、最近の状況ではだいぶ製造業の割合が減っていて第三次産業であるサービス業の要請がだいぶ大きくなっていたりする。でも、それに対しても同じような人材を求めていることは変わらない。

IT業界なら割と柔軟なんだろうけど、それでも日本的価値観が抜けていないところは結構多いんじゃないかと思う。就職活動の面接官のおっさんを見てみろ、あいつら同じような人材ばっか欲しいんだよ。看板とかに「体育会系歓迎!」なんて書いてあるのは典型的で、それを見るたびに憂鬱になって仕方がない。

結局、日本だとアーティストとかを除けば「同じような価値観」を求めているんじゃないかと思っているんだよね。

 

「でも、わたしがこう言ってると、そういうやり方では偏った教育になって、いびつな人間ができるって言う人もいるんです。まあ、いろんな意見があっていいんですけどね。でも、そういう人は、今の教育がいかに多くのいびつな子どもを生み出しているか知らないんですね。見ようとすらしていない。それに、好きなことをやらせたらいびつな人間になるという考え方は絶対おかしいんです」

学校の教育(部活動)で体育会系に染まった人がね、後輩をいじめる。これのどこがいびつじゃないって言うんだい?もしかして、人を見下して自分が偉いということを教え込むのが「人間としての正しいあり方」ということなの?ねえ、教えてよ。中村教授は確かに6年間、根性論で教え込むバレー部に所属していたけど、その割には体育会系の発想に洗脳されずこの意見を言えているというのは大変珍しいんじゃないかと思う。

好きなことをやらせたらいびつになるという発想というのはおかしいのは完全に同意したい。ただ、彼らのいびつの定義はちょっと自分とは違う気がする。

彼らの存在意義は年下よりも自分が威張っている立場でないといけないということだ。すなわち、後輩が好きなことに一点特化して自分より強い部分が出てくることを恐れているのだ。他人から見れば大変くだらない制約を後輩に押しつけないと自分のメンツが保てなくなるから「そんなことをしてるといびつになる!」とわめき散らすのですよ。

正確には「勝手に増長しやがって!俺の顔に泥を塗るな!」が正しいのだ。

この構造は「毒親と子供」や「教師と生徒」、「上司と部下」の上下関係であればなんにでも応用できる。

 

まぁ、これ以上やってもくどくなるのでここらへんで終わりにしよう。意外と長いセリフが多いが、それだけ言いたいことがたまっていたということだ。中村教授だけじゃなく、場を提供されずにこういったことを言いたくても言えない国民たちは気分的に大変助けられたのではないだろうか。

日本はいい国といわれる中でも、こういった問題があるということを否定してはいけないと思う。日本ならではのいいところを活かしながらこれらの問題を解決すべきじゃないかなということを自分は考えている。