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自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

発達障害特有の見積もりの甘さの追求

言語分野が得意な発達障害の人の失敗の理由で意外とよくあるのが「見積もりがまずかった」ということ。この回数が人に比べて多いのは多分実感できると思うんですよ。

見積もりの要素ってなんだろうかって考えると分かりやすいのかもしれない。

物事に対して動くときに、タイミングのよさとかそういうことを総合的に判断しなくちゃいけない。要するに、瞬間的な条件の把握力と行動力がものをいうわけですよ。

瞬間的な条件を見るにはどうするかというと、流れを逐一確認すること。

ただ、これが得意な人というのはメモに記録を残すだけでなく頭の中で構造的な理解ができている。

10のうち、6で前提条件が変わったからこの6以前のことは無視しなきゃいけないけど、その中の人物自体の構成が変わっていないからそこは残すとか。

それ以前に、流れ自体を歴史のように年表化していてるんじゃないかな?

 

ADHDの人とかがやっちゃうのは、割と直前の情報ばっかりしか見えていなくてそのまま行動に移しちゃう。もしくは動いている状況を把握すること自体が苦手だったりする。それゆえ、前の部分にある流れとしての情報まで覚えていられない。

短期記憶領域の欠如とかも関係があるわけですよ。構造を全体で見ようとすると、苦手な分野を使わざるを得ない。

そういった短所の部分で理解しようとするとえらく疲れるし、分野的に脳が活性していないことが多いので本来の知能よりガクッとおちた状態にならざるを得ない。

先を見通すにしても、状況をすべてメモるという言語分野の頼り方ってあんまり現実的じゃないんですよ。確かに、助けにはなるけど情報量が多すぎて得意な言語分野ですらパンクする。

変な話、言語能力だけを使って構造化された流れを覚えるには物事をやりながら日記を書くようなふざけたことやる必要があるんじゃないかなって気がする。それくらいでやっと見積もりというのがイメージできる。

その人が言った台詞などなど、すべて文字や図にする。もちろん、前提条件なんかは頭の中で理解していることが少ないのでそれもノートに明文化しちゃう。

これくらいやればなんとかなるんだろうけど、あまりにも労力がやばすぎる。定型発達者はなんかそういうイメージみたいなのが勝手にできているんだよな。

言語化というのは情報処理としてはあまりに遅すぎるし多すぎるものだ。

物事をやる上で発達障害者というのは、必要な情報自体が渡されていないんだよ。

決断しようとして情報を取ろうとしたときにはもう遅かったりしてそのままやらざるを得ない。

それを全部知識とかネットで調べられる情報ならなんとかなる。

個人の事情とかそういうのが絡んでくると、もうそれを言語化するだけで小説が作れるんじゃないかね。ましてや判断材料として情報量が辞典のようになったものを把握するということが起こっているのではないかと。

把握能力とは別の路線をひとつ。

 

過集中という概念を持っていると、だいたいいつも集中力のペースが一定な人自体の感覚が分からない。というのも、グダグダしていてもなんかいきなり一気にターボをかけてやってしまうため「いつできるの?」とか言われてもまったくピンとこないのですよ。

よく分からないけど、やっちゃうみたいな。

いつもペースが一定ならまだしも、自分でも処理能力が日や時間によって全然違う。そのときにならないと分からないなんていうのはザラ。

期限とできるペースを把握する以前に、ものごとをやるペース自体のコントロールが難しくなっているのですよ。

「やらなきゃいけないのは分かっている」けど、「この過程をやるためのペースって1日ではどのくらいにやればいいのか」の感覚がまったくない。

だから一気にやってしまえるときもあれば1日中何もしない日もあるとかそういう変なやり方がある程度行動パターンになっているわけね。

要するに、計画なんて立てる以前に「やる気にムラがあるせいで、だいたいの見通しはズレてしまうのが分かっている」から、見積もり自体がそもそも役に立っていない場合があるわけですよ。

だったら、そんな状態なら「もう最初から条件を無視してやる!」くらいでやってしまってドツボにはまる。その頃には状況を確認している余裕なんて、もはやないんだ!