好奇心を失った者は莫迦だ。
【なんで、いきなりこんなこと言い出したの?】
夏目漱石の「精神的に向上心のないものは莫迦だ」をもじりました。
これは自分への戒めとしての記事だ。言い換えれば、ちょっと面倒くさい反省文のようなものだと思ってくれればいい。
結論を言うと、この雑貨店のアクセス数はゆるやかではあるものの右肩上がりをずっと続けている。最近は、日によって変動は大きいが平均700PVくらいのペースだ。
月当たりで換算すれば2万PVちょっとくらいはいける計算になるし、前月のPVがだいたい19800くらいだった。ただし、このPVにあんまり中身があるとは思っていないのも事実だ。
それはなぜか? 記事の内容にあまり中身がない状態かつ、更新頻度が低い。
言い換えれば挙がっている理由が検索SEOに偶然ちょっと引っかかっただけという状態だからだ。
人気記事トップ3をあげていこう。
現時点でのアクセストップ3はこれらのSEOだけ強いタイプの記事だ。
言いかたを変えれば、図鑑としての機能を持っているものが多い感じだ。
【アンタが言うほかのタイプの記事って何よ?に答えよう】
それ以外の記事はだいたい、社会と組織適合性、発達障害のことを絡めたことに関してウダウダくだらないことを言ってるだけの状態になっている。
どちらのタイプの記事にせよ、暗すぎるものがほとんど占めているってことなのかもしれない。少し方向性を変えたものが「はやてとゆうこ」になるのだが、感性として一般的なものとはズレがある。
でも、一定数は興味を持ってくれる人がいるのだから他の切り口を考える必要がある。
【なんかパッとしないのは更新頻度が低いことのほうが問題なのだ。】
思いつく理由をおおまかに考えてみる。
・そもそも、話しすぎたのではないか?(=ネタ切れ)
⇒同じような繰り返しをしているということはネタ切れという要素がないわけではない。でも、他ブログではネタの提供が途切れていないことが結構ある。
すなわち、ネタの入れ方とか、整理の仕方に問題があると考えるしかない。
ネタをブログに入れるということは、「これ、面白そうだからマジで語ってみよう」ということに繋がる。
もし、自分すら面白いと思えずに使えないわけではないデータの事実だけを淡々と話していたらそれは「あらそうですか。」で終わる残念なものとなる。
ブログを書くときには楽しいことを追求するする力が必要だ。
【好奇心が落ちると莫迦になる理由】
自分の好奇心が枯れると、人が面白いかどうかという観点を考えるという力が格段に落ちる。
Twitterでもなんか考察して発言したというつぶやきのようなものが減ったと感じたら特に注意したほうがいい。言い換えるなら、自分のツイートがつまらなくなってきたなと感じたらブログのパワーもそれに比例してダウンしている。
y=ax+bという一次関数でいうなら、aの傾きがマイナスの状態だ。この場合の傾きaのは「好奇心の枯渇度合い」のことだ。
これが上がっている指標としては精神的に疲れたり、会社などで目の前の仕事だけに没頭しすぎて周りが見えていなくなっているときだ。
Twitterを楽しんでいるつもりでも、実は漫然と見ているだけ・語るパワーがなくてRTに頼りまくって主張を代用しているときがすごく危ない。
まともにツイートできるパワーがなくなったなと思ったら、それは好奇心的な感性が大分落ちている。言い換えれば、学ぼうとしなくなっている状態になっている。
だんだんそれを続けていくと知能指数が落ちるとか、仕事能力が落ちるという意味ではない「バカ」になっていくよ。なくなった状態がまずいわけではなく、なくなったことに気づかないのが本当にやばいのだ。
最近、ツイッターのフォロワーがやっと100を超えることができたがあまりにもそれはゆっくりすぎる状態だった。なんかものすごく疲れて面白いツイートっぽいのがあまりにもできていないような感じがあまりにもあった。
だからこそ、この言葉を題名にした。