悪いやつじゃないけど、どう扱えばいいのか分からない後輩の説明書
【こいつ、どうすりゃいいんだよ !?】
さて、いろんな人のコミュニケーションや指導に悩んでいる人がいるんじゃないでしょうか。
特に製造現場の叩き上げといわれるような人は理系的な癖のある人の扱いに困っているんじゃないかと思います。
もしくは、体育会系組織の中にちょっと違うタイプの奴を指導したら不適応を起こし始めてしまったなんてことがありうると思う。
一般的にコミュニケーションが苦手といわれてしまう人たちだけど、別に好きでこうなっているわけではなくそもそも思考回路が違っている状態なのでそれを説明していきたいと思います。
ちなみに「そんなのは甘え」とかいうのは聞かないぞ。その言葉を言われると話が平行線になって最初からやり直しになってしまう。
仲良くしろとまではでいわないけど、こういう考えがベースだよということを知ってもらうだけでもぜんぜん違うからね。
もちろん、適応できるかどうかっていうのは本人の技能と指導者の技量もあるからそんなに単純にうまくいくという保証はありません。
【まずは、teruyastarさんの引用から。】
teruyastarさんの古い記事をお借りして、補足をいれつつ、まとめていくぞー
彼の記事の雑貨店アレンジバージョンだと思ってくれればいいと思いますよ!
ITの専門的なたとえが多いので、こっちのほうで少し翻訳します。
(IT知識をぜんぜん分かっていない人がやるんですけどね!)
もし、会話の本質を探るために
質問の前提をさかのぼり、抽象化して
会話するまでもない常識には触れず、
いかに例外の共通点を貫く仮定を出していこうか、、
という人は、、、まあ自分のことだが、めんどくさいw
まず通常の会話ができない
Aを言われてるのにずっと先のGを返し、
その背景を簡潔に説明できないうえ、
長々と説明しても納得してもらえそうもないので、
返答にフリーズしてしまうことがよくある。相手がAやBを返してほしいことは分かってる。
が、それはワイドショーで
視聴者が見たい物を見せるかのごとく提供することであって
僕は本心を隠したまま、ウソを付いて相手に合わせることになる。
本心ではAやBが問題ではなく、
Gの方が核心に近いと考えたからだ。
【おい、よく分からないけどこれってどういうことなの?】
これってどういうことを言っているかというと、コミュニケーションが苦手な人(以下、論理系*1と記す)はひとつの言葉から相当な情報を張り巡らせるんだよね。
【考えているときにノイズが入っている】
受け取った言葉だけじゃなくてその裏にある背景とかそういうものまで脳内で広げちゃう。歩きながらとか、机に座りながらつい発想が飛びまくる考え事をする癖があるので、それが会話に出てしまってる。
言い方を変えれば「発想の飛びのせいで情報的なゴミを吸い込んじゃってる」と表現すればよいのだろうか。
叩き上げ系の人の感覚からだと、余分な情報が多いということになっちゃう。
考え事をするときにいろんな情報を混ぜてしまう癖があるかどうかでだいぶ会話のやり方が変わってくるのだ。
論理系同士の会話なら、前提条件がある程度確立されていることが多く問題はないし、もし分からないとしても彼らはあんまり察することをしないのでそれは細かく説明するのでまったく問題ないんですね。
叩き上げ系の人からすると「常識過ぎるからそんな説明はいらねえんだよ!」ということになるんでしょうね。
teruyastarさんも論理系の指導方法を書いているが、個人的に補足したいことがあるのでそれを追記する。
【具体的にはどうすんの?@引用より】
指導1「やってみせて」あげる。
指導側としては、解釈は1つしかないはずなんだが
受ける側は10個も方法を考えるので1割しか当たらない。
つまりあれこれ可能性を考える論理バカには、
指導側の「常識」がまるで通用しない。
だから言うだけでわかるだろう、、ではなく、
目の前でやってみせる事が大事。
そして「させてみて」、1回で覚えるわけないのだから
合格点がでるまで、毎日チェックする。
【つまり、彼らに今までの常識的な指導は通用しないと思え!】
叩き上げ系の発想というのは基本的に察して分かる要素が多いんじゃないかと思うんですよ。だから、答えそのものにたどり着くのにそこまで時間がかかりにくい。
仕事の動作を見て、それをコピーする。これが彼らの基本スタイル。見れば真似すればいいのだから、これ以上どう説明するんだ?というのが言い分。
見て覚えることが得意な人はこの教えられ方がすごく楽。もしくはスポーツ的に体で覚えるということが得意な人もここにあたる。言い換えれば意味は考えて行うんだけど、動きがすべてだ!というスタンスですわ。
事務的・専門的な技術の知識なら、ある程度「共有された感覚が身についている」前提で指導がなされる。
【そもそも、論理系にはなんでその「常識」が通用しないんですか?】
まず、叩き上げ系とは常識の扱い方の前提が違うんですよ。そこが分かっていないとこの問題は解決しない。
叩き上げ系:常識を着こなす
論理系:常識という工具を使う
常識を着るという表現に違和感を覚えた人がほとんどではないだろうか。
自分が最近になっていきなり思いついた言葉だからだ。正直、自分でも意味がわからないけどこれに変わる言葉が見つからないので使っている。
常識を着るということを説明しましょう。これは日本的な常識に対して自分を偽る度合を少なくふるまえるということだ。
常識という工具を使うのは、もともとの発想が日本的な常識とは若干違うが、適応するためにそれっぽくしているだけだ。
それゆえ、常識の使い方に技術差が出てくるのは当然だ。本人が常識知らずというよりは、知っていても使うのに苦労しているような感じなのだ。本質的には合わないので深く体にしみつけようっていう発想もないし、そもそも馴染まないと思う。
常識が自然に身につかないなんて努力をしていないんじゃ?というご意見が飛んでくると思うので、それに対して答える。
「常識を工具として使う」ことすらしようとしない場合、もっとぶっ飛んだ行動しますけど?って言うしかないよね。根底で納得はしていないけど、それでもマシに運用しようと思っているんですよ。
【"話を聞いていないように見える"後輩の指導について】
先ほどの話に加え、この項目をつけさせてもらった。別に彼は話を聞いていないわけじゃない。口頭では長すぎて覚えられないため、頭に負担がかかっているだけだ。
またあとで話をするが、基本的に論理系の人は平常時の緊張度が高い。
あえて赤字をつけた。指導で困っている人は「こいつ、理解力ないのでは?」みたいなことになるんだけど、指導される側のワーキングメモリのポテンシャルが全員同じだと思うなよ!ってことを追記する。
これね、何がよいかっていうと指導者自身が何を言ったのかということをはっきりさせることができるんだよ。
通常ならさらっとした説明でも覚えられる人が多いのだろうけど、いっぱいいっぱいになっているだなんて想像もしていないんじゃないの?
【きついこというと、指導者は指導を受ける側の状況を理解していないのでは?】
だから、こういう愚痴を言い出す。(ADHD記事の引用です)
「ああいう人って、『これがこうでこうでこうで…この部分だけ△△です』って説明しても、全然理解しなくて、最後の部分だけ耳に残って『全部△△』みたいに解釈して猛烈な勢いで反論してきたりするのよね。面倒くさいわぁ。全部紙に書いて一個ずつ説明してあげなきゃ理解できないのよね」
これって、本人の言語理解力とかもあるかもしれないけどそもそもワーキングメモリが足りていなくて情報が効率よく入っていないことを考えてますか?
ビジネス上の会話だから後輩は表面上、普通っぽく見せているけど実は口頭だけの指示で結構負担かかっている場合があるんですよ。
ワーキングメモリが足りない場合は大きく分けて3つある。
- ①ワーキングメモリの量が平均より少ない(平常時でもいっぱいいっぱい)
- ②ワーキングメモリは普通だが、常に脳内ノイズが多くて事実上足りない状況
- ③気がつかないうちに緊張しすぎて、ワーキングメモリを消費している場合
【仕事になると会話が通じなくなるメカニズム】
よく観察してみると、楽しい平常時の会話・雑談に問題のないタイプが多いはずだ。もし該当するなら、緊張度の高さと脳内ノイズに関して対処すればいい。
上の1~3の中で、多い原因はだいたい2と3だ。論理系の人がやりがちなのは2、仕事で緊張しまくっている自覚のある人は3。
1は関係ないとはいわないけど、どちらかといえば補助的な要素だと考えてもらえばよいだろう。ポテンシャル以上に情報が分別されずにたくさん入ってくるのが問題なのだ。
脳内ノイズの対処は⇒上部にある【具体的にはどうすんの?@引用より】の見出しの部分を確認してもらえればいい。もしくはteruyastarさんの記事も合わせてみてもらえば対処としては十分だと思う。
彼らは他の人が常識で無視するようないろんな要素を1から考えてしまうから遅いように感じるだけの場合が多い。
緊張度対策については、しつこいようだがこの秀逸な記事をもう一度。
【面倒くさいので、適当にまとめるとこういうこと。】
ただ頑張る方向が間違っているので、まるでハムスターが滑車の中を回るが如く、延々と前に進まないところで必死に走って空回りしているだけなのだ。
頑張っているけど、どこがどのように空回りしてるの?ということを図示でもなんでもいい。あとは変にプレッシャーを与えすぎないことだ。
いつもはそこまで緊張度の高くない叩き上げ系と同じようにプレッシャーをかけてやれば動いてくれるという常識は捨てたほうがいい。
「今までの発想と逆だから社会人として真面目っぽくない指導なんだけど、これでいいのか?」という意見が飛んでくると思うが、それに関して自分のの答えは「ああ、問題ない。」と答えるしかない。
最終的な目的は、一人前になればいいじゃんって話だよね。
【後輩の要領の良さでごまかしている要素があるんじゃないの?】
教え方の形式に小うるさい人がそれだけいるってことじゃないんですかね。
たまにいるんだよ、体育会系っぽい指導じゃないと気に入らないという輩がね。
丁寧な指導したら、それについて文句言うやつを何回見てきたか。
常識で通用しない相手に今まで通じていた常識的な指導を考えたら負けなんだよ。
要するに、相手によって指導方法を変えるということを恐れるんじゃないよ!って話。
自分もあまりでかいことは言えるような立場ではないが、指導を失敗した!って言う人はだいたいこの指導方法のやり方の固執でやられているんじゃないかと思うんだ。
本当に指導力が高いっていうのはね、要領の悪い人/世渡りの下手なやつでもわかりやすい説明・からだの動かし方をさせることができるってことなんだよ。
バランスよく採用したはずなのに体育会系出身だけしか残っていないなんて職場だったら、指導要素をもう一度見直す必要があるんじゃないの?
【まとめ・追記】
結局、自分が思ったのは「日本人は指導方法を同じにしなくてはいけないし、その指導方法で後輩も他の人みたいに伸びてくれないといけない」みたいな思想が心のどこかでこびりついているんじゃないかなってことなんですよ。
言い方を変えれば、日本の教育システムは整備されているようで実はそんなにレベルが高くできているわけではないんだと思うんだよ。まだ伸びしろがあるけどあんまりその部分を注目していない。
だいたい要領のいい人が出世しやすいから「本人の努力が足りない」みたいな方向にいきがちなことが多いんですよ。
教わる本人もさぼっていてはいけない。ただ、何もわからない人が努力できる領域っていうのは案外そこまで多くないと思うのも事実。
まずはその点を頭に入れておく必要がある。それを知らずに”今までの常識的”な指導でゴリ押ししてもうまくいくはずがないよね~ということですよ。
それってどっちもすごい消耗ばかりして何にも進まない。
フォローしておくと、指導者がすべて悪いわけでもない。ほかの大多数の人が今までのやり方でうまく行っていたのだから、根本的に間違っているわけではない。
そのまま伸びて仕事を回せるような仕組みを作ってきた実績はあるのだからさ。
ただ、今までのパターンでうまくいかないときもたまにはある。
この記事を通じて指導の糸口が見つかるとよいのではないか?ということを個人的には思ったのですよ。
ただ、もし違ったパターンの人が来たら性質はしっかり見極めておく必要があるということと、分かった上でうまく対応できることは大きく違ってくると思いますよ。根っから人の性質を変えることはできない。
だからこそ、指導する側は指導される側の性質とかをよく見ないといけないんですよ。
*1:注意:論理系=理系の人ではありません。一番近い言葉が「学者肌」だと思います。 日本の仕事の仕方に最適化している人のことを便宜上「叩き上げ系」として分類しているだけです。バリバリ技術系の人でも、体育会系風のさわやかな人はだいたい叩き上げ系です。