わさび侍のプロフィール!
はじめまして。わさび侍と申します。
このブログで取り扱うテーマは発達障害、自動車関係、科学関係が主です。
最近は減りましたが、その他社会に関する意見があったらオピニオンも書いています。
自己紹介へ入る前に発達障害の用語について少しだけ説明します。
自分の生涯を語る上ではどうしても外せないのと、初めて来られた方にも読めるような形にしていきたいと思ったからです。
ADHD:注意欠陥多動性障害。簡単に言えば、不注意(ミスが多い)、多動性(落ち着きがない)、衝動性(話に割り込む、順番で横入りしてしまう)などの症状がある発達障害。
ちなみに、多動の症状がない人の場合はHyperactivityが抜けてADDと表記されます。
多動:
落ち着きがない状態。小さい子供だといきなり走り出したり、椅子にじっと座っていられない。もっというと、本人の頭の中はそわそわしていてかなりしんどい状態です。頭の中がそわそわしているので勉強に集中できなかったりします。
大人の場合だとずっと手を動かしていたりところどころ落ち着きがないです。
小さい子の場合動き方が激しいのでずっと手をつないでいたりしないと車に轢かれる可能性もあります。
アスペルガー症候群: (1) 他の人との社会的関係をもつこと
(2) コミュニケーションをすること
(3) 想像力と創造性
に障害を持つことで診断されます。
簡単に言えば、人の気持ちを察する、空気を読む、その場にあった言動が苦手で日常生活に支障が出ているレベルの状態です。これに知的障害がある場合は「カナー症候群(低機能自閉症)」と言います。
高機能自閉症:アスペルガー症候群とほとんど一緒の意味ですが、学術的には「小さいころに言葉の遅れがある」場合に診断されます。私はこっちです。
遍歴
1989年某日 静岡県の現政令指定都市で生まれる。(1ヶ月後くらいに海沿いの田舎へ引っ越す)
1991年某日 母親の用事で1日祖母に預けられたが、そのときに多動で外に飛び出し親戚の叔父が運転する2tトラックに轢かれそうになったらしい。よく生きてたな。そして、祖母よ。ちゃんと見ていてくれ。
1992年3月 保育園に入園。あまりにもいろいろできなさすぎて同い年の女の子で「わさびちゃんの世話をするの!」みたいな取り合い状態だったらしい。言葉の遅れがあり、母親に発達関係の施設へ連れていかれる。
1994年某日 保育園から抜け出して国道のど真ん中で座り込む。大型トラックにクラクションをガンガン鳴らされる。もう一度言いますが、よく生きてたな。
1996年3月 小学校に入学。多動児なのは相変わらず。「スーパードンキーコング2」を買ってもらい、ゲームの面白さを知る。
1996年某日 公文式に入る。ここでも多動ぶりがひどい。ここでの反復学習が計算力、英語力の基礎になっている。公文式の本棚にある本棚にある科学伝記の漫画にはまる。
様々な科学者のエピソードが一覧になっている1冊で、コペルニクスやガリレイの
知識、笑える話などを知ることができた。(本の名前を失念してしまった・・。)
1998年某日 スイミングスクールへ入る。多動だけど、マイケル・フェルプスにはなれなかった。ただ、水が怖くなくなったのと体力はついた気がする。
1999年3月 デジモンアドベンチャーを知る。アニメの原点はおそらくここ。(開花はしていない)
1999年秋 学校の合宿で観音山へ行く。金太郎と桃太郎、浦島太郎のミックス劇をやる。なぜか、私は主役の金太郎で乙姫と結ばれるという大役。劇中とはいえ、人生で唯一女性と結ばれたエピソードでした。
2000年某日 ニンテンドー64にはまる。
「パイロットウイングス64」「ポケモンスタジアム」「大乱闘スマッシュブラザーズ」 「DK64」「ゼル伝シリーズ」「ゴエモンもののけ双六」「ヨッシーストーリー」「バンジョーとカズーイ」あたりなら無限に語れる。
2001年12月 クリスマスプレゼントに「ゲームボーイアドバンス」を買ってもらう。
「スーパーロボット大戦A」を友人から貸してもらい、めちゃくちゃハマる。オタクの花がつぼみになり始める頃。
2002年3月 小学校を卒業。
2002年4月 中学へ進学。部活が強制だったので楽そうな「美術部」へ入部。
顧問の女の先生がかなり美人な30代後半くらいの人でした。
私のお姉さん好きはここから強くなっていったと思われます。
2004年某日 修学旅行。シカせんべいを食べて同級生の女子に「あんたが食べるんじゃない!」と怒られる。ちなみに、ちょっとヌカっぽい味がします。おいしくはないです。
2004年冬 英検3級を受け、合格する。(公文式で薦められた)
スイミングスクールを辞める。
2004年冬 クラスの不良2人がいきなり入り込んで美術部の部室で痰を吐く。
「おいおい勘弁してくれ」と思ったら偶然部室を見た教師歴30年の
技術教師が1人で不良2人を〆た。おっちゃん強すぎ。
2005年3月 中学卒業。
受験のシーズンだが、提出物を出さな過ぎて内申が2と3の項目しかないため
私立の偏差値の低い高校の特別進学コースへ単願で受験し、合格。同時に、公文式も辞める。
2005年4月 高校へ進学。ここもまた強制だったので「パソコン部」へ入部。
エクセルの技術が少し上がった。だいぶヤンチャなやつが多かったのでちょこちょこ事件などもありました。
例としてはこんなエピソードがあります。
・クラスメイトの悩み相談のため、当事者1名+2人が授業をさぼってどこか他のところに行ってしまう(行き先は知らん)
・家庭科の調理実習中につまみ食いしようと他の学年の人たちが潜り込んでくる。
当然だが、速攻追い出された。
・PC室で取っ組み合いの喧嘩になり、PC1台を落として破損させる事件が発生
・単願で落ちたはずの後輩が遊びに来る。(彼はとび職で頑張っています)
※金髪、タメ口、私服で面接を受けに来るのはちょっとしんどいと思います。
本当はまだエピソードがあるのですが、私の口からはとても言えるような白いものではないのでこのあたりにしておきます。流石に怖すぎる。
2005年春 父親が知人からプレーステーションをもらってきた。「クラッシュバンティクー」などにハマる。そのころ、PS2が流行っていたと思う。遅れていますね。金がなかったんですよ・・・。
2005年春 地元の学習塾と高校が提携し、英語の授業だけ講師が派遣される。そのときに「お前、マジで英単語強化しろ」と言われ、アホみたいに取り組んだところ英語が分かるようになってきた。
2006年秋 修学旅行。場所はオーストラリアのクイーンズランド州(地図の右上あたり)南半球なので季節は真夏でした。クソ暑い。
2007年夏 学校に派遣された学習塾の単語覚え大会に招待され、他の進学校のやつらをぶっちぎって一番多く単語を覚える。あれはとても快感だった。
2007年秋? 生徒会長が文芸部室のドアを外してしまう事件が起こる。
なんでこんなやつを推薦したんだよ・・・
2007年某日 朝5時くらいに目が覚めたのでTVをつけたら「うる星やつら3 ビューティフルドリーマー」の再放送がやっており途中からではあるものの、オタクに目覚め始めた。
2008年 担任から勧められ、得意な化学と英語だけで受けられる公立大学を受験、合格。なお、下宿できる余裕が家庭にはなかったので地元のFラン四大へ進学。
英検2級にも合格。二次試験がギリギリで焦った。*1
2008年 Fラン理系大学(化学系)入学後、週1でパン屋のアルバイト。卒業までやったが、1度クビになりそうになった。部活は母親が茶道をやっていた影響で茶道部に入る(表千家)
2009年 大学で物理の授業中にガムを噛んでいて注意されたDQNが椅子を蹴って出ていく。偏差値の低い大学、ここまではひどい例は少ないけど「なんでお前大学来たよ?」みたいなやつは意外といる。せっかく高等教育を受けに来ているのに、何やってるんだろうなと思い、もう少しこの機会を強く生かそうと思い、もっと本格的に本を読みだすようになった気がする。
2009年 自動車免許(MT車)を取り、そこからやたら車に興味を持ち出す。MT車の操作を忘れないためにコミコミ13万円でボロいアルトの4MTを購入。そこからMT車の面白さを知ったり、いろんな本で旧車を調べる、友人とイベントへ行くなど行動範囲が広がりました。
今はトヨタのMR-Sというオープンカーに乗っており、2018年のGWに滋賀のイベントへ参加しました。渋滞にはまって家についたのが朝6時でした。
2009年 化学系の単位が15単位以上あったので、甲種危険物取扱者の資格に挑戦。一発で合格。(乙4を取って実務経験2年以上、乙種の免許4種類、化学系の単位を指定数取ったのいずれかがないと受験資格がそもそもないのです!)
2010年 「けいおん!」にハマり、そこからいろんなアニメを見るようになる。
理系大学なので自分以上のオタクがいっぱいおり、エロゲーなどの知識もつく。深夜アニメをはじめ、スパロボの影響から入ったロボットアニメ、過去のアニメも見る。
見てきたアニメリスト
「アイドルマスターシリーズ」
一番熱心に見てきた部類の物だと思います。
無印、シンデレラガールズの映画も全部見ました。
無印では三浦あずさが好きです。
デレステ(シンデレラガールズ スターライトステージ)もやっています。
和久井留美を担当しています。ルームの平均年齢が高いと突っ込まれます。
簡単なレベル26くらいの曲をギリギリフルコンできるくらいの腕前なので大したことはないです。
ゲームID:63419752
同僚になりたい和久井留美Pの方はぜひよろしくお願いします。
ミリシタ(ミリオンライブ シアターデイズ)では百瀬莉緒、桜守歌織のダブル担当です。
ゲームid:N4PUCB97
・ロボットアニメ枠
「フルメタルパニック(ふもっふ含む)」「聖騎士ダンバイン」「ブレンパワード」
「機動戦艦ナデシコ」
→スパロボばかりやっていたクチなのできちんと見たロボットアニメはこのくらいです。
知識が付いたエロゲー(やったことはない)
「姉、ちゃんとしようよ!」「お姉ちゃんの3乗(キューブ)」「つよきす」「家庭教師のおねえさん」
→実況プレイ動画を見るほうが好きです。
2011年 半導体を専門としている研究室へ入り、クロロフィルの研究をする。
(この研究室は教授がいろいろなことに興味があるため広い範囲の研究テーマがあった)ちなみに「お前、もっと人気の研究室へ入れるだろ!」と突っ込まれた。でも、私の選択に間違いはなかったと思います。マジで。
2011年 クソみたいな就活ライフ。このころから私の発達障害の特性が足かせになり始める。記憶は定かでないが、このあたりからマイノリティ雑貨店の前身である「あわわ研究所」をyahooブログでやる。
2011年 ブログのスタイルを完全にミスり、「あわわ研究所」を閉鎖。何がやりたかったのか自分でも意味が分からない感じだった。
2011年 叔父に薦められ、一般計量士の試験を受けたところ、合格。*2
2012年 ブラック企業に入社。刺青・金髪の男にトラックの中で蹴られ、2週間で退職。(幸いケガはないが、長くいても未来はないだろうなと思ったので)
2012年 しばらく遊んでいた後に家庭教師のバイトを3年やる。
エキサイトブログで「マイノリティ雑貨店」を始める。
2013年 エキサイトブログが使いにくいのではてなブログに変更した。そして2018年の今までブログは続いています。
2013年 生まれつき持っていた外斜視の手術をする。右目が外側に向いていたのがまっすぐになった。*3
2014年 はてな村という存在をこのころになってから知る。だいぶ遅い。知ったきっかけは小島アジコさんの「はてな村奇譚」。そのころから青二才ブログやイケハヤブログ、ちきりんブログ、脱社畜ブログ、phaブログを真剣に読むようになる。
2014年 親戚のおじさんの工場で仕事をもらい、家庭教師と並行して仕事を行う。少し生活が楽になった。
2014年 3月12日 ツイッターを始める。当初はすぐにアカウントを廃止する予定でいた。
2015年5月 今の会社から内定をもらう。このあたりからブログを書く本数が減ってしまう。(忙しさとかではなく、メンタル的なものだと思う)
2015年10月 問題が一気に露呈し、会社で「発達障害の疑いがあるのでは?」と言われる
2015年某日 いろいろ検査を受けたところ、「高機能自閉症」との診断を受ける。雑ながらも社会適応をする。
2017年11月末 http://tm2501.com/entry/2017/09/09/235815の記事を見た影響で「クイズマジックアカデミー ワールドエボルブ」にハマる。3か月間くらいは「ふーん」くらいに思っていたので始めていなかったが突然やってみようと思いついたのがきっかけ。
2018年1月6日 ブログにはあえて書いていないが、自分を含めて3人でQMAのオフ会を行った。そのときはだいたいqma歴1~2ヶ月くらい。
カメラで、出た問題の画面を撮る「回収」という概念を初めて知った。紹介主の三沢文也さん(CN:きこり)、社会エフェクトクイズが強いことで有名なおおはましんけん君とウェアハウス川崎で店内対戦し、2位になった。特にびっくりしたのは理系スロットの「マルピーギ」小体で単独正解を取れたこと。(自選は物理・化学)
7年もQMAをやっている熟練層にまぐれとはいえ、少しリードを取るということができた経験が今のクイズの原動力となっている。
そのあとは、なぜかカラオケでTVタックルみたいな政治討論やってたりマニアックな歌が飛んできたり、カオスな1日だったことは覚えています。
2018年1月21日 この日は記念すべき、QMA大会デビューの日です。
詳細はここの記事を読んでください。
http://zakka10wasabi.hatenablog.com/entry/2018/01/22/002112
予選落ちとはいえ、初めてで2位を取れたのはうれしかったですね。
今までほぼひとりぼっちでやっていたのですが、こういう形でQMAの仲間が増えて情報交換・先輩方にいろいろなコツを教えてもらったりするとすごく上達が早くなるんだなということを実感しました。
*1:
このあたり、優しい女の先生数人にほぼ毎日「受験嫌だ」とか泣きついていました。(お菓子貰ったり、頭をなでてもらったり。)
この経験のおかげで、女性と話していると、「その人の母性の強さ」「甘やかし方のスタイルの傾向」「包容力のセンス」 が分かるようになってきました。なお、包容力のセンスそのものはあっても活かせるかどうかはマジで別問題なんだなということも分かりました。今は全く使い道のないスキルです。
また、他の女の先生とばっかりくっついて、ご機嫌を損ねると取り戻すのが大変というあまりにもろくでもない知見も得た。
*2:
ただし、実務経験ゼロなので登録はできません。また、実際の業務を見ると全く私に向いているとは思えませんでした。メリットは環境計量士を受験する際に科目免除があるので少し楽になります。
*3:
就活で苦戦していた理由が外斜視により、どっかを見ていると思われていることでただでさえ低いい評価が余計落ちたという経緯があります。
あと、外斜視の影響かどうか知りませんが右目の視力が0.15くらいなので運転は眼鏡必須です。