マイノリティ雑貨店

自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

常識的>独創的 独創的>常識的

タイトルの左側は日本の価値観、右側はアメリカの価値観だ。
筆跡鑑定士のブログで面白い話を見つけてきた。

頭のいい人は字が汚い?
日本では、きれいな字が書けるだけで、かなり好感度が上がります。丁寧で整った字を書くことは大人のマナーだと考える人も多いでしょう。冠婚葬祭で氏名を書く時に、もっと字がきれいだったらな〜と思う人も多いのではないでしょうか。
きれいな字を書く人は、人間的にも信頼でき、知的に見えると思う人も多いようです。ということは、字が汚かったら、逆のイメージに見られるということです。だから、日本人は、字が汚いのは恥ずかしいと思う人が多いわけです。
ところが、「字が汚いのは恥ずかしい」という感覚は世界共通ではありません。英語圏の国では、字がきれいで恥ずかしいと思う人もいるようなのです。なぜでしょう?
きれいな字は、頭が悪そうに見えるというのです。
最近みたイギリスの刑事ドラマでこんなせりふがありました。「医者の字は汚くて読めないよ」


元文章の引用だが、後半のことはまず日本の感覚ではない。字が綺麗・汚いが発揮されるのは、ノート取り、芳名帳で自分の名前を書くときなどではないか。
自分は理系出身なのだが、割と字が汚いやつは多かったような気がする。自分も結構汚いのだが、そんなことよりも計算とかを正しく素早く解く方に力を入れていたと思う。はっきり言って綺麗さなどどうでも良くなってくるので、ノートとかメモなどはまるでミミズが貼ったような状態になっている。
あとは、頭の回転に手が追いつかないとかという状態が起こることが多くなるためだろうと考察している。
これは、思考の仕方にもよるのだが思考を火山の噴火のように出す人は割と乱雑になり、字が丁寧で綺麗な人っていうのは思考を心太(ところてん)を押し出すように整理することを優先しているのではないかなと思う。
個人的には前者のほうが考えやすいので、必要ならあとで清書するタイプだ。

もうひとつ引用。
日本人なら、「頭はいいのに、字は汚いな〜」と思う人が多いでしょう。でも、欧米人は、「頭がいいから、字が汚いな〜」と思うようなのです。大人になっても、学校で教わった通りのアルファベットの形を書いているのは、独創性がない=頭がよくないと捉えられるようです。社会に従属している感じがして嫌だと言う意見もあります。
頭の良し悪しの捉え方が日本とは違うことがわかります。日本では、頭のいい人=優等生的なイメージですが、欧米では頭のいい人=独創的というイメージのようです。
筆跡診断の観点から、この違いを考えて見ましょう。
日本人の考える頭のよさは、理路整然としていて常識的な振る舞いができることです。知的であることに加え、常識的であることが含まれるように思います。
(中略)欧米人の考える頭のよさは、常識に囚われず、独創的であることです。学校で教わったことを基礎にして、そこに人と違った自分らしさを加味できることが、頭のよさだと考えているように思います。


一般的なイメージとしては綺麗な字のほうが知的なイメージに見えやすいと言われているのは確かだ。そうじゃなけりゃ、ユーキャンがペン字講座なんて作らないでしょ。まあ、そんなことはどうでもいいだよ。
優等生なイメージというか、体裁を大事にすると言ったほうがいいだろうか?世間体というものとか、空気を読めということが日本で重んじられるのはこういった背景がある。
欧米では、子供を育てるときに、主張できることを重要視して育てる。主張ができるという事は独創性を強くするという事につながるからだ。どちらがいい、悪いということを決めつけることはできない。ただし、ひとつ言えることは考える力をつけるためには後者のほうが断然いい。

字にはよくも悪くも特性が出る。だから、自分の持ち味を大切にできるようにという考え方もできる。あまり日本では受け入れられにくい考え方だが、マイノリティを名乗っているここではそんなことキニシナイ。
まあ、せめて言うなら解読できるようにしてくれればそれでいい。解読不能だとさすがにまずいので、読める範囲であるなら自分の字というものが綺麗・汚いと考えるのではなく個人独特の良さがあると思えばいい。

綺麗に書きなさい! 恥ずかしくないの?  へっ、知ったこっちゃないね。読めないわけではあるまい。
といったところでおひらきです。