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自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

発達障害が世間向けに能力を発揮できない問題について考えてみた(後編)

まえがき

 

前編では一般的な話をベースに進めていきました。正直、長いかつ文字ベースなので読みにくいと思った方もいらっしゃると思います。

後編では、自動車の構造などをベースとした例えを用いて発達障害の人がどのような感じで苦労しているのかというのを分かりやすく説明していきたいと思います。

 

自閉症スペクトラムの概念をクラッチで説明

 解説

 

 なぜ、このような形で話を展開することになったのか。

前提として、自閉症スペクトラムというのは健常者と発達障害の中に明確な区切りがなく、うっすらとつながり不連続な状態として定義されている。

もっというと、健常者の中には発達障害の人よりもある意味困っている部分があったりする、そうするとそこの部分だけ急に黒側に振ったりする場合がある。

 

そういう状態の場合、不連続の概念だけでは足りずマーブル模様になっていたりそこだけ急に凸凹の表面になっている可能性だってある。

なので、障害の軽い・重いということだけで生きづらさが違うと議論するのは実は不可能なのだ。絶対的な辛さではなくて、仕事や私生活、健康などを含めた相対的な辛さで議論する必要がある。

 

図解で分かる生きづらさの原理

 

マニュアル車に乗ったことのない方は実感がしにくいと思うので、ちょっと説明します。クラッチペダルを踏むと動力が切れます。そう、この状態では進まないんです。

ペダルを少し上げると少しずつ車が進みます。これが半クラッチ

そのかわり、この状態ではどんどんクラッチが削れて行きます。

 

完全にペダルを離せば、つながるので普通に進みます。

本来ならこの状態を維持できればいいのですが、場合によってはエンストします。

 発達障害の人でこの状態を保つと社会的なトルクが足りずエンストする場合があるため、仕方なく半クラッチでごまかしながら進んでいます。

無理するとエンストしそうになり、ガタガタ言い出します。

そこにガンガン無理してアクセルを踏めば高回転での半クラッチとなり早い段階で消耗していきます。これが過剰適応というものになります。

 

イメージがつかめない方は下の図を見ていただければ直感的に分かるかと思います。

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「お前がイラストで言ってるクラッチの原理の意味が分からへんねん、そもそもマニュアル車知らへんねん」という方はこちらのサイトでイメージをつかんでもらえれば結構です

 

わざと調律を狂わせて人に合わせている

 さきほども図で説明しましたが、ADHDとかASDの人が困っているのは「自分の本来のペース・状態」を解放できないことだと思います。

要は、社会に合わせるために異常なレベルで気を遣ったり、使ったうえでコミュニケーション事故を起こして疲弊したり本当の意味で休めていないのでだんだんメンタルが崩壊していく。

要は本来の自分では社会に認められないため、むりやり背伸びをする。

これは成長の過程では必要なことなのだが、当事者はその差があまりにも乖離しがちになることが多い。社会で是とされることが受け入れがたいことだったりすると余計消耗が激しくなっていく。

それは、もう調律の狂ったピアノのように自分が乱されていく。自分にとって調律を合わせることが社会不適合になってしまう現実を見ると仕方なく悪い状態を続けざるを得ない。

車でいうならコンピューター(ECU)の設定を自分のエンジンに合わせずとにかく静音かつ省燃費に特化したような形にし、まともに出力が出なかったりアイドリングが不安定でたまにエンストするようなセッティングを強いられている状態だ。

仕事をしながらいい環境を作るということができれば本当にいいのだが、それができる当事者はなかなか少ない。

趣味を見つけたりして本来の自分を出せることからきっかけを作っていったり、ストレスを解消できることを見つけると仕事だけで自分を責めていたことから少しずつ解放できるため自分としてはお勧めです。

自分を解放できるという感覚をつかむと、たまたま仕事で得意な分野にあたった時に力を発揮する方法を活用できることがあるのでそういったときに解決の糸口が見えてくることがあるためです。

 

あとがき

 

社会的に「扱いにくい」と言われることが多い当事者ですが、社会の中でピーキーな特性を少しでも生かせるような雰囲気ができるといいなと個人的には思っております。今のところはまだそれを生かすための教育や土壌が不十分、黎明期だという背景もありすぐに改善するとは思わないですが、仕事をして成長しながらもよい部分を生かしていければと思います。

年内に記事を書けなかったので、ここで新年のあいさつをさせていただきます。

これからもこのブログをよろしくお願いいたします。