マイノリティ雑貨店

自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

友人を立場だけで馬鹿にするな。

さて、題名では何を言っているのかサッパリだと思う方がほとんどだろう。
同窓会やいろんなところで昔の友人と会うことはある。その時に、片方が社会人、片方がニートフリーターであっても、見下すような奴っていうのはしょせんその程度のやつだってことを言いたい。

さて、なぜ見下すという現象が発生するのか。それは判断材料を「世間体」だけにしているからだ。
え?世間体の通りにしとけば叩かれないし、それに反しているお前の方がくそジャンという意見もごもっともだ。
じゃあ、ブラック企業の法律違反の中で頑張って働いています。でも、それって違法行為の助長をしていると考えることもできるわけだ。頑張っているのは確かであり、評価できることだ。ただそれは、友人の人格を否定する理由にはならないし、なってはならない。
説教すれば、自分は偉いんだ!と溜飲を下げることはできるだろうが、そんな説教を聞く友人の気持ちはどうなるのだろうか。
そもそも久しぶりに会ったのに、同い年とかそういうやつから説教を受けて気分がいい奴などいない。
また、仕事をすると性格が変わるという人がいるようだ。友人にすらこういう対応をしている場合、部下(若い年齢なら後輩)にも説教臭い態度をとっている可能性が高い。
本当に性格がいい!と思っているやつなら仕事とかの要素だけでそいつを批判したくないと思うはずだと思う。昔はあんなやつじゃなかったのに・・・と感じがしたら、こう考えるといいかもしれない。「もともと下だと思う人を見下すやつだなー。と。」
本当に当事者のそういった行動が嫌だなと感じてきたら無理にかかわる必要はない。
それ以上に魅力的な要素を見つけられるならこれからも付き合っていけばいい。

最終的に言いたいのは、くだらない世間体だけで友人を判断してはいけないってこと。
いろんな趣味、考え、使っているものなどそういうことをお互いに尊重できてこそ友人だ。
意見は合わないことはあるだろうが、それは視点を増やす材料として自分の中に備えておけばいい。
「こういう考えなんだなー。俺には合わないけど、見方が増えたな」ならすごくいいと思うんだ。
押しつけだけで生きるのは、飛び込みの営業マンだけでいい。