発達障害って、現代社会からの排除の口実なのかもしれない
何らかの明確な障害を持つ人に対して「代わりに何か特異な才能を持っているはずだ」と期待を寄せる風潮が嫌い。実際には何の才能もない人だっているかもしれないし、障害が代わりの才能を担保するなんていうのは都合の良い幻想にすぎない。別に何の才能もなくたっていいじゃないですか。
— たんたんめん (@km170) 2016年2月25日
辛めの記事です。
たんたんめんさんのツイートで強く来るものがあったのでそれをベースに話をしていきましょうか。
たまにいるんだけど、「発達障害は才能だ」みたいにいうのは個人的に違うよということをいいたい。
【才能?いいえ、あくまで補償機能です】
まず、発達障害の人の知能やできる能力っていうのは凸凹なのが基本なんですよ。
ただ、知的障害のないタイプの場合は本来なら知的障害水準~平均レベルにある苦手分野を得意な分野で無理やり伸ばしてカバーしている。
こういうのを「脳の補償機能」っていいます。
結果として、プラマイゼロで表面上はなんとかなるんですよ。バランスが悪いから後でボロが出るんだけどね。
言い方を変えれば、生きるためにその部分を伸ばしてごまかさないといけなかっただけなんだよ。
伸びなくても生きていけるはずだった。むしろ、日本の行き方の密度的には安定な脳のほうがよっぽどいきやすい。
更にいえばカバーの能力にも個人差がすごくある。自分なりにがんばって伸ばしてみたけど、所詮得意分野ですら人並みくらいにしかできないケースなんてたくさん。
【才能っていうんだったら、せめて潰さないようにしろよ】
偏っているといわれても、補償機能を活かして平均以上に伸ばせているならば非常にそれは幸運なんだよ。ただ、それが万能なんて思うな!っていうのが持論。
能力が偏っているってことは、弱い部分のフォローが必要なんですよ。
日本の職場って、なんでもそつなくこなすことが第一じゃないですか。あの仕事は誰よりもできるけど、ほかはからっきしみたいな人にやたらプレッシャー与えるよね?
マッチョイズムな会社員の発想にはフォローするっていうのがあまりなくて、個人のポテンシャルだけでそれなりにできることが期待される。
「できるよね?それなりに広くやってもらわないと困るから」みたいなこと言っておけばいつの間にか身についているジェネラリストみたいなタイプじゃない。
【能力が凸凹だからこそ、埋め合わせるチームが必要だ!】
この状況が当たり前になると、低い動作性IQを平均以上の言語性IQでカバーしている発達障害の人で会社員がずっとうまくできるひとなんて何割いる?
そして退職したら「働け」
会社に行けば「そんな能力で社会に出てくるな」の繰り返しじゃないか。
そんなことやってると,lose-loseしか生まれてこないんだよ。がんばって働いている人の士気は下がるし、怒られている本人だって能力発揮できない部分を求められて疲弊するんですよ。
そうじゃなかったらホリエモンの発言じゃないけどさ、「お金あげてプー太郎やらせたほうが儲かる」状態になっていることにみんな気がついていないんだよ。
もしかしたら、気づいていても「働いていない状態」をたたきたいから損な状態を野放しにしているのかもしれないけどさ。
組織1つだけでもそうなんだから、日本全体でやっているこのLOSE-LOSEスパイラルの総量ってどんだけだ!?ってことになるわけじゃないですか。
「こいつの得意分野はココ、あんたはココ、よっしゃ!アタイがあんたらの苦手な全部まとめ部分やるからとにかく目標に向かって暴走しな!」って動きをする必要があるんじゃないんですか?
それがチームじゃないんですか?そいつの特性も見ねえで、何が才能だ!