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自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

「社会は厳しい」という自己満足

ケンカ売ってんのか?と思ったあなた。 常識に縛られぎみかもしれない。

「社会は厳しい」という言葉は日本にいれば無駄に説教臭く言われることが多い。なんでそんなことが言われるのかといえば、理不尽な命令を聞いてきたのが当たり前で無駄だと思ってもやらなければならないと本気で思いこんでいるからである。(無駄が積み重なって、日本のGDPはガタオチ・・・)

じゃあ、その厳しいことが前提というルーツというのはなんだろう?そう、答えはエントリ「体育会系部活と社会でのバッドスパイラル」に少しヒントがありそうだ。
コーチや先輩に理不尽な怒られ方をして、自分もそれを繰り返す。理不尽な怒り方じゃないと部下は動かないと思っているからというのを前に言った。

それを社会に持っていけばこの糞風習が立派な常識になってしまう。だって、みんなやっているんだもん!
ガキか、てめえは! 赤信号みんなで渡れば怖くないってか?
集団当たり屋みたいなことやっている。決断力が強いといえば、聞こえはいいけどそれが悪い方向に行っちゃってる。だから、この「厳しい」ということがカッコイイと思っている人たちが非常に多い。

暴走族の人もある意味そういった部分では社会に似ている。先輩は絶対!という風潮がすごく強い。
こっちの場合、暴力やかつあげなども入ってくる。+アルファで集団リンチも追加。
自分はこう考えたことがある。「なんで、暴走族やヤクザは自分たちの規則には異常に厳しいのに、社会の法律は守れないんだろう?」
関東連合の人たちを見てみよう。組織内の統率はものすごく、上下関係はかなり厳しい。ただし、やっている仕事は完全に犯罪行為なので警察が飛んでくる。

あれ?ブラック企業って本質は暴走族と一緒じゃね? 犯罪行為してるし、理不尽な命令してるし。
ただし、ブラック企業は曲がりなりにも国に利益の一部を法人税としてあげているし、外の住民に危害は加えてないから一応警察は黙っているという違いはある。こんな状態で不適応を起こす人が少ないとしたらそれはそれでやばいような気がする。