マイノリティ雑貨店

自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

空気の怖さ

空気の怖さ。それは1VS多数みたいな村八分の状態に陥る可能性があるということだ。
だから、あんまり意見も言えないし、言ったところで「コミュ障」としてのレッテルを貼られる。
上司からは扱いにくいと蔑まれたり、経営的にはこき使えないと割に合わないので嫌がられる。

中途半端な生産性で安く使おうったってそれは難しい。こき使われることが成長で、そこに長くいれば立派な社会人。
世間にそんな空気が世間に流れている。だが、その実態は仕事に慣れて効率アップ、そして価値観としては感覚がまひしただけだと思う。すごいね、耐えて生産性が上がる証拠があるならちょっと見せてほしいよ。
少なくとも、なんかの講演で「忍耐力で仕事の効率アップ!」だなんて話聞いたことない。
コミュ力(上司のご機嫌取り)で生産性アップ!」も話している人はいない。
まあ、下のやつはニュアンスが違えばありうるかもしれない。

あとは空気読めとか言われるのが飲み会だ。
異常なまでに気を遣いすぎて楽しめないしその過剰適応気味な状態ですら「おい、気が利かねえな」とかいって煽る飲み会に行きたがる奴がいたとしたら、それはもはや変態の領域ではないだろうか。
体育会系でそういった集まりが好きな人は割とそういうことが楽しく、得意であるので別にそういうのはやればいいと思う。ただ、それを強要するのはいただけない。
その人たちにとっては楽しむのにも同調が必要だろうか?叫ぶとかそういうわかりやすいもの(これですらグレーゾーン)はともかく、いちいち変なことで細かすぎるのが問題だ。その空気を「覚えさせられる」人たちに対するコミュニケーション能力は限りなく低い。だけど、そっちの方面におけるコミュ障は問題にならないだけでなく、社会人として当たり前の扱い方として通用している。
そんなに空気読めないのがいやなら呼ばなきゃいいのに。それとも、空気読めないことをあえて知っててそれを指摘しながら自称「腹を割って話す」といううざいトークが社会の常識なのか?

付き合い悪いとか嘆いてる人いるけど、そこには接し方の原因とかがある。
まるで猫を撫ですぎて引っ掻かれるような感じだ。
ああ、ほろびろ