「自信がない」のは自分のせい?
人生を生きやすくするために「ある程度の自信」は必要だ。
採用面接なんかでも、結構「自信をある程度持っていて、イメージのいい学生」を好む傾向にある。
そう、自信がある人がいるならば、反対に「自信のない人」だっている。
ある程度「元気な人」と「自信のある人」「要領のいい人」はかぶってくる要素だ。そして、良くも悪くも、体育会系に適応できるような人たちというのはそういった特性を持っている場合が多いのだ。
(文化系の人が活躍できるステージが少ない背景があるので、手放しで「明るいイメージ」が単純によいといえないのが現実なんですが・・・)
では、「自信のない人」は体育会系とかに入ればいいじゃないか!という意見があるかもしれないが、それは違うと思う。今回は関係ないので割愛する。
本当のことを言えば、その前の段階を踏まえて考えなければいけない。
余談だが、体育会系に適合しないな・・・と思う場合は自信のあるなしに関わらず早めに退散することを薦める。(もしくは、洗脳されないように意識すること)
では、なんで自信を持つ場合とそうでない場合があるのか。
自信があるということ、それは当事者が親を始め周りの人からの受容があってこそのものだ。ただし、その受容というものにも、格差というものは生じてしまう。
生まれつきの性格
初期スペック(得意分野、好きなこと、容姿)
生きる環境(経済力、親の性格)
親の好きなタイプ
などである程度の基礎が固まってしまうのは事実だ。もちろん、本人の努力も加味できないことはないがスタートラインは平等ではないということはあらかじめ言っておきたい。
失敗経験などで自信のない人を「人生、要領よくやれなかったんだね・・・」みたいなことを言う(感じる)人は育成環境などの背景をあまりにも軽く見ているんじゃないか?と個人的には思う。
あんまり明文化されることではないが、根拠のない自信ですら作られない人がいるということをあえて述べておく。