マイノリティ雑貨店

自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

日本の文化と生きにくさ/システムの素晴らしさ

別に、透明人間になることではない。
潜在能力とかそういった言葉で話されるようなことだ。
身体能力とかもそのうちに入るのだろうか? 能力的にはできない奴じゃないのに、なんか結果が出ないなどのようなことがある。そこには足りない要素があるからだ。
あとは気力の問題もあるので、要素の組み合わせは複雑だ。
補完をしなければいけないのだが、そのリストを調べるには苦手分野をしらみつぶしにやっていかないと分からない。
自分がわかりやすく感じるなと思った能力のリストはちきりんさんのブログにあった。
参照:未完の「能力リスト」
この中にはWais-Ⅲなどの知能試験で測れるものと、交渉力などのように実際の営業などを見ていないと測れないものがある。受験とかで使う能力と仕事で使う能力、楽しむための能力はそれぞれ違う。
仕事はバリバリやるけど、プライベートで楽しむのが絶望的に下手な人がいても不思議ではない。
自分に秘められた能力は開発できる。だが、素養と伸びしろはしっかり把握しなければならない。例えば、ディスレクシア(書字障害)の人が手書きではなかなか書けないとする前提で話をしましょう。
このご時世は幸運なことに、コンピューターが発達している。ローマ字(最悪かな入力)さえ理解できれば漢字がろくにかけなくても文章を打つことはできる。
脳の部分で書く分野と読む分野は働く場所が違うので、「書けても読めない」「読めても書けない」のパターンがある。だから、使えない部分を無理に使うことは負担でしかないので使える部分を工夫して使えるようにするということが能力開発としては新しい視点ではないだろうか。
計算障害の人は暗算や数学の概念が苦手な人が多い。だが、知能にはまったく問題がないので代替手段を用いて結果を合わせることはできる。一部の計算LDの人が使っている例を話そう。
14?30=420という計算がある。普通に計算すると意味がわからない。だからいっそのことこれをそのままコピーして覚えるのだ。
生活の実用上、この暗記計算法はまったく問題ない。なぜなら正解であり、使うのは過程ではなく420の結果の部分だけだからだ。ただ、そこから瞬間的に28?30=840 という1つの数を2倍にすれば最終的に結果が2倍にできる感覚まではカバーできないのでそこも暗記しなければいけないのはたしかに大変だが、最低限のところまで使用できるようになるだけでも違うのではないだろうか。
アスペルガー(またはPDD/高機能自閉症)の人が人とのつきあいかたをパターン化してあつれきを無くすような学習とやり方は似ている。
悪い能力を無駄に責めるだけでなく、あまりにもきついならそれを他の能力で代替することも遂行のやり方としては結果オーライだ。
組織がうるさいところだとそういう代替手段をやたら制限されることも多いので必ずしも有効ではないが今よりは間違いなく「マシ」になるだろう。ほかの人が見たら、「あんた、そんなやり方でやってんの!?」と思うのかもしれないが、実はその人にとっては効率がいいのである。
深刻な問題が出ないならば、あえて放置したほうが支援となる場合もあるのだ。

なんとか折り合いをつければ、それこそやりやすいのだろうけど・・・