マイノリティ雑貨店

自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

借金玉さんのブログを見て、発達障害の生き方を考えてみた。

 

【前書き】

ずいぶんと書くのが遅くなってしまった。

このクソみたいな先延ばし癖をなんとかしなければ人生は開かれない気がするのは間違いない。それはともかく、今回は題名の通り借金玉さんのブログより思ったことを書いていきたいと思う。

はてブでは言及しきれないので、こちらのほうで感想とかを言わせてもらおうと思う。

 若干、発達障害界隈の雰囲気を使って話しているため、変な感じになっていますがご承知おきを。

ピーキーな脳を振り回して社会で事故るぜ!】

特にこのエントリはなかなか刺さるものがある。あまりにも本質をよくついている。

これですね、「言語性優位で大学生活~就職活動までは世の中をある程度ぶん殴って生きてしまった人」にはだいぶクるものがあると思うんです。

中途半端に資格を取る能力が高かったり、成績もよかったり、マニアックな知識を得てできない部分を無理やりカバーして生きていくと本当にこんなことが起こる。

なまじ大学生という身分である以上、「うるせえ!我が道を行くんだ!」というスタンスでなんとかなってしまうと会社員としての社会適応で死ぬパターンだ。

運よく二次障害のない自分ですら、軽く死にかけるのだ。

僕は大学生の頃には自分が発達障害であることに気づいていました。通院もしていました。元来が躁鬱病を患っていたので、実のところを言えば大学時代からコンサータを飲むことは可能だったと思います。そして、そうしていればまた違う未来があったのかもしれません。しかし、これは本当に運が悪いことだと思うんですが、飲まなくても結構なんとかなってしまったんです。

もちろん、客観的に見れば高校は落第寸前の出席日数、人間関係はほぼ全てで破綻を繰り返しその度に別の場所に逃げる、定期的に躁鬱の波を繰り返し、薬物のオーバードーズと自殺未遂を繰り返す、明らかにダメです。でも、その破綻寸前の生活を僕はギリギリの線で乗り切ってしまいました。また、中途半端にテストの成績などは良かったため、問題が中々表面化しなかったのです。大学時代も薬物とアルコール、自殺未遂などは定期的にやらかしていましたが、「圧倒的に大学が楽しい」という事実が問題にフタをしてしまっていました。また、大学は圧倒的な規模があり人間関係を次から次へと乗り換えることが可能だったため、様々な問題を回避することが可能でした。

話を読むたびに血の匂いがただよう感じの黒さだ。むしろこの状況から立ち直るというのは容易な話ではなく、そのまま大学を中退して真っ逆さまに転落することだってありうる。

金玉さんの場合、大学生の時点で双極性障害躁うつ病)を患っているため血の色に染まったダークモードに突っ込んでいる。多分、そういった状態の悪さを加味してもいろいろパワフルに押し切れてしまう分、仕事能力とかそういった器用さはすごく高いと自分は思っている。

 

【会社員=定型発達の前提】

もう、本当に安定した組織が多くなっている以上この事態は避けられない。

だいたい「みんな同じ発想持っているよね?」みたいなことを武器にしてご立派な組織は動いている。

みんな能力が高いー退屈さと面白みのなさに強い

職場に入って一番先に思ったことは「こいつらみんな能力高え」ということでした。もちろん、能力の一番尖った部分で遅れを取る気はない、くらいの自負は僕にもありましたが、総合的な能力のバランスという面で僕は同期の中で圧倒的に劣っていたと思います。端的に言えば、能力のムラがあり過ぎました。

ホワイト企業の最も厄介な面はこれです。学歴はあって当たり前、その中で更に苛烈な選抜を潜り抜けてきた彼らは「出来て当たり前」なのです。もちろん、新卒にいきなり難度の高い仕事が回ってくることなどありません。しかし、「誰でも出来る仕事を効率よくこなす」という点で競い合った場合、能力ムラが大きく集中力にも難のある僕は圧倒的な遅れを取りました。

眠気。耐え難い眠気。僕があの職場にいた時の記憶の中で最も印象深いのがこれです。とにかく仕事に興味が持てず頭に入らない。そして、単調に続く事務作業の連続は、耐え難い眠気を僕に起こしました。また、僕は当時コンサータを入手することに成功しておらず、薬によるブーストをかけることも出来ませんでした。(後にこの症状はコンサータの投与で劇的な改善を見ることになるのですが、その時には全てが手遅れでした)

事務処理能力というのは残酷なジャンルです。素体スペックの差が隠しようもなく露呈します。何の面白みもなく、また仕事の全体像も見えないまま取り組む果てしない事務作業は、僕にとって最も適性のない仕事でした。しかし、ほぼ全ての同期は研修から配属初期に続くこのなんの面白みのない作業に難なく順応していきました。

当たり前です。僕のように中学校は半分以下の出席、高校は単位取得ギリギリのサボリ魔なんてバックボーンの人間はほとんどいなかったはずです。彼らは退屈さと面白みのなさを克服する訓練を果てしなく重ねてきた人間たちでした。その上、定型発達者でした。「こいつら本当に人間なのかよ」と思った記憶があります。しかし、彼らから見れば「人間ではない」のは僕の方だったでしょう。

僕は、人生のほとんどを「圧倒的に出遅れた後、後半で爆発的な加速をしてマクる」というパターンで乗り切って来ました。文句なしのスロースターターです。どこかで強烈な過集中がやってきて、全てをチャラにしてくれる。その繰り返しで生きてきました。中学も、高校も、入試も、大学も、就職活動も全てこのパターンでした。例えば、1年の期間で一定のタスクをクリアするのであれば、僕はその半分は浪費します。そして、誰もが「あいつはダメだ」と思った頃、強烈に加速してチギる。この繰り返しでした。そして、一番悪いことはそのパターンで新卒になるまではなんとかなってしまっていたことです。僕は「出遅れなんていつものこと。どうせ後半になればいつものアレがやってくる」という強い楽観を無意識のうちに持っていました。

しかし、仕事というのはそういうものではありません。特に、巨大なシステムの歯車として機能する事務職に於いては、そのようなやり方は一切通用しません。安定した出力を常時出し続けることこそが一番大事なのです。突出する必要はありません。安定感こそが最重要です。僕には危機感がまるで足りませんでした。そして、1年が経つ頃、僕はどこからどう見ても手遅れになっていました。

僕に仕事を教えようとする人間はおらず、また同情的に振舞う者もおらず、それでも職場は問題なく回っていました。一度掛け違えたボタンは時間の経過とともに加速度的に悪化し、二度と元に戻ることはありませんでした。全てが手遅れだったのです。

これね、本当に素晴らしい典型的ストーリーかつ、発達障害当事者が感じている感覚の言語化だと思うんですよ。特に注目してほしい部分は赤色で強調しています。

「お前に気に入られて勝手に赤色にされても困るんだけど」とか言われても知りません。はい。

本当に、当事者の武器って爆発的な加速でマクるっていうことだと思う。あくまでこれは発達障害界隈独特の言葉・感覚なのであまり一般的に通じる言葉ではない。

これを自分が使う言い方にすると「過集中ターボ」とかいう言葉になるのだが、要は概念としては全く同じなのだ。エンジンで言えば超高回転型で馬力を稼ぐような感じだ。

だが、会社員の業務というのは基本的に渋滞路とか一般道みたいなことが多いような感じだ。

当然、当事者というのはある意味ではすごい部分もあるのだろうが乗り心地は競技用車両みたいなのでは運転手の疲労ばかりがたまる上に本気で高回転を回そうとするとチームプレイを重視する上司というポリスメンが大変こうるさい。下手すると説教や厳重注意という赤切符を食らう羽目になる。

 

【結局は自分にとって”マシ”な選択肢を選ぶしかない】

金玉さんは「会社員として生きていくためには適応しろ」ということを言っている。

ただ、ある人の中にはそれがどうしてもできない発達障害当事者はどうやって生きていけばいいんだ?という深刻な質問が刺さってくると思うんですよ。

この中の言葉に少しヒントが隠されているような気がしたのだ。

発達障害の特性を強く有したまま人生を駆け抜けていける人も稀にいます。それはそれでとても素晴らしいことです。しかし、僕を失敗に導いたのは、正しくそのような発達障害者達の神話でした。自分は突出した能力を持っていて、それ一つで社会を駆け抜けていけるのか、それとも「出来損ない」として社会に順応していく努力をしないと生きていけないのか。僕は今、明確に後者が自分であると認識して生きています。

僕はジョブズではない。エジソンでもない。社会の中で稼いで生きていくためには、己を社会の中に適応できる形に変化させていくしかない。言うなれば、呑み込むべき事実はたったそれだけなんです。それさえ出来れば、後は具体的にどうするかという戦略を組み立て、トライアンドエラーを繰り返すだけのことです。それだけのことを理解してこの文章を書けるようになるまでに、取り返しのつかない時間が浪費されました。なにをどう悔いても、時間は戻ってきません。20代は終わってしまいました。

とはいえ、僕はまだ人生を諦める気はありません。神話的な発達障害者になることを諦めただけです。地道に愚直に積み上げることを今更ながら目指すだけです。

ただ、どうしても個人的に「発達障害の神話」という言い方がもやっとくるのでちょっとそこだけ言及させてほしい。

神話というと「ものすごい!だから簡単にまねできないから強引に適応してでもサラリーマンやれ!」みたいなところあると思うんですが、それはあくまで有名になった人の生き方が最終形になっただけなのでは?と思うんですよ。

どうしてもサラリーマンは無理だった・・・起業なんてできるわけないしほかの生き方を探そう・・・たまたま運よくこの形におさまれた・・・とか、特性を持っていたとしても問題なかった生き方だったみたいな運も含めての話なんですよ。

だからこそ、自分が言いたいのは「自分の発想・能力とかで総合的にできそうな・マシな生き方/稼ぎ方は何か?」ということを高校くらいから考えたほうがいいんじゃないかなって。もし、もう就職しちまったよ!ジーザス!ということであっても、常にそういったことは考えておくべきだということだ。

 

サラリーマンとかをやっているとどうしても精神が発狂してしまう!なら茨の道を覚悟してフリーのライターみたいな生き方をせざるを得ないとか結局は選択肢のどこを重点に置いて生活するか?に尽きる。最強のニートことphaさんみたいな生き方だって、結局は試行錯誤の末にあの形になっている。

phaさんも最初からニート(というか、半分くらいだるいめの自営業?)なわけじゃなくて4年間サラリーマンやって発狂しそうになってじゃあいろんな生き方をグダグダ模索してきたわけですよ。それがいきなりストレートでできていたとしたらあなたの人生って相当幸運をつかんでいる。だったらあとはそこに乗っかるだけ。

(ただし、当事者向けなので先延ばしとかそもそもチャンスに気づいていないとかあるのでそこだけは気を付けないといけないかな・・・)

 

平たく言えば借金玉さんは「サラリーマンがマシ」という結論に行きついて「自分の持っている特性上、組織内ではパワフルではないけどほかの選択肢があまりにもデンジャラスすぎるから曲がりなりにも適応しましょうや」ということになったわけだ。

【あとがき・余計な話】

よく説教臭い人が使う「努力をしている・していない」というのは、そもそも努力の仕方を分かっているか?というところになると思うんです。

得意/マシな分野なら分かる、そうでない部分は努力の仕方すら分からない。ただ、生き方が器用な人ってそのツボの範囲がやたら広いんですよ。その前提をそうでない人に強引にぶつけるからお互いに齟齬が起きる。そういうのってすごい悲しいですよ。

最終形なんてものはやってみないと分からない。だるいけどしょうがないやたら死ぬわけにもいかないし、折り合いをつけていかなくてはいけないのかな・・・と自分はしみじみ思った次第である。